第6話 とある天使の存在証明

「え? ちょ……八舞さん、俺の右腕を見て!」


 俺はキズナがしがみついているところを指さしながら、彼女にそう訴える。


 しかし、彼女は怪訝な顔をしながら首をかしげただけだった。


「右腕が、どうかしたの?」


「どうかしたのって……明らかにどうかしてるじゃないか。具体的に言うとこの女の頭が」


「あーっ! また言った! そんなこと言うヤツはこうしてやる! ていっ!」


「うおっ!?」


 俺の腕を取りながら、キズナはその場で大ジャンプ。


 良い感じのふとももで俺の腕を挟み込み、両腕を使って胸元で極める。


 いわゆる飛びつき腕ひしぎ十字固めである。


 女の子とはいえ全体重をかけて、曲がらない方向に腕を極められているのだから、めっちゃ痛い。おまけに重い。


 俺は彼女を支えきれず、思わずその場で膝をついた。


 本当は倒れたかったけど、キズナが怪我をしちゃいけないからな。電波で中二とはいえ女の子は女の子。俺は優しい紳士だからな。その辺の気遣い、大事。


「痛てててててっ!? おいバカ! いい加減放せ!」


「イヤだね! 外してほしかったら電波女って言ったことを取り消せ!」


「わかった! わかったから! 俺が悪かったから! 取り消すからさっさと放せよ!」


「ふんっ、言ったらこうだからな。よく覚えておけよ」


 もう二度と会わないだろうし、誰が覚えておくかっての。


 俺は膝をパンパンと払うと、八舞さんにこっそりと耳打ちする。


「……ほら、明らかにどうかしてるだろ? コレ。会ったばかりの男に難易度の高い関節技を極めるばかりか、自分のことを天使とか言うんだぜ?」


 腕を組んでふんぞり返っているキズナを指さしながら、八舞さんにそう説明する。


 たわわに育った胸が腕に乗っかり、男子的に絶景ではあるが、これ以上関わりたいとは思わない。


 なるべく早く帰るために、できるだけ速やかに対処したい。


「服を見てわかると思うけど、明らかにウチの生徒じゃないし、警備員の人を呼んできてもらえないかな? もしくは精神科やってる病院に連絡でもいい。俺がなるべく時間を稼ぐか――」


「あの、茂手くん。さっきから何を言っているの?」


「何って……この変な女についてだけど」


「……太陽は物覚えが悪いようだね?」


「電波とは言っていないだろ!」


「同じことだよ! 覚悟しろ!」


 じりじりとキズナが近づいてくる。


「ほら、こいつだよこいつ! この変な女に絡まれて困ってるんだよ!」


「…………………………どこにいるの? その、変な女って」


「……………………は?」


 どこって……目の前にいるじゃないか。


 背中を丸めながら、じりじりと距離を詰めてタックルの機会を狙っている、おっぱいの大きな変な金髪女がそこに――。


「誰も、いないわよね? そこ」


「え……ちょっと待ってくれよ八舞さん。……冗談だろ? 自己主張の激しい(特に一部)変で騒がしい女が目の前にいるだろ?」


 この俺の言葉に、彼女は首を横に振った。


「無駄だよ。オレの姿、お前以外に見えていないから。特殊なシールド張っているし、天界製のアイテムを触って、脳が活性化されない限り、天使の姿は見ることができないんだよ」


 だからさっきのオレとのやり取り、全部一人芝居に見えていたんじゃないかな?――とキズナ。


 ……そんな、嘘だろ?


 そんな俺の心の声をあざ笑うかのようなリアクションが、八舞さんからもたらされる。


「えーと、私には何も見えないんだけど……もしかしてさっきまでのはお芝居なのかな? 演劇部のお友達に頼まれて練習していた、とか?」


 そん……な、馬鹿な……。


 オレは今自分の目の前で起きていることが信じられなかった。


 自分にははっきりと見えているのに、八舞さんには見えていない。


「ああ、だから誰もいない教室で練習していたのね。お芝居って、他人に見られるのはずかしいもんね。慣れないうちは特に」


「あ、ああ……実はそうなんだよ。急に出てくれって頼まれちゃってさ。どうだった? 俺の演技」


「ものすごく上手だったわ。まるで本当に誰かがそこにいるみたいで。茂手くん絶対演技の才能あるわよ」


「は、はは……そりゃどうも…………」


 乾いた笑みしか出てこない。


「助っ人じゃなくて、本気で演劇部に入ったらどう? もしかしたら俳優への道が開けるかもしれないわよ」


「……考えておくよ」


「ええ、是非そうしてみて。それじゃあ茂手くん、また明日」


 そう言って彼女はフェードアウト。


 夕暮れの校舎に足音が響き、やがて消えた。


「ね、言ったとおりだったでしょ?」


「この科学万能の時代にそんな……そんなファンタジーな存在を認めろっていうのかよ?」


「科学だって万能じゃなだろ。人類が今確認している物質って、宇宙規模で見たらわずか四パーセントにすぎないんだぜ? この世界のことを一割もわかっていないのにファンタジーな存在を否定するのは早すぎると思わない?」


「た、たしかにお前の言っていることは筋が通っているし、彼女がお前の存在を認識できなかったのは事実だけど……こんな異常なことを、そうそう簡単に認めろって言われても……」


「あったま固いなあ。じゃあ詳しく説明してあげるから外行こう」


「お、おう……頼む」


 外の風に当たれば、この混乱も多少はスッキリするかもしれない。


 俺は頭を抑えながら昇降口へ向かおうとしたのだが、


「じゃあオレは先に行くから」


 突然キズナが窓を開けると、その窓枠によじ登り――そこから飛び降りた。


「馬鹿っ!? お前ここ三階だぞ!?」


 俺は身を乗り出し、キズナの無事を確認する。

「言ったろ? オレ、天使だって。翼だってあるから空くらい飛べるってば」


 宙に浮いたキズナがそこにいた。


 ご丁寧に純白の翼と、天使の輪っかも生やしている。


「さっきまでなかっただろ。心臓に悪いわ……勘弁してくれよ」


「えへへ~、電波女って言ったお返しだよっ」


     ☆


「お前が天使だっていうのはわかった。確かに他の人には見えていなかったようだし、その背中の翼と頭のリングもそれっぽい。俺の頭が固かったことは認めよう」


「お、やっと認めてくれた。先輩から聞いていたけど、自分のターゲットに存在をきちんと認識させるのってこんなに大変なんだね」


「そりゃあほとんどの人はリアルに生きているからな。ファンタジーな存在が突然現れて、漫画やラノベみたいに存在を主張したところで、そいつの脳を普通疑う。黄色い救急車の手配を始める」


「そんなリアルに生きている太陽は、何で存在を認識した今でもこっちを見ないのかな? もしや……オレに惚れた?」


「どんな考え方をしたらそんな結論に至れるのか俺には全く理解できんが、それは違うと言っておこうか」


 午後6時20分、どうやら本物の天使っぽいキズナと俺は学校を出て、駅前近くの公園のベンチに座っている。


「じゃあ何でこっちを見ないのさ?」


「他の人には見えてないんだろ? それなのにそっちをガン見して話してたら、俺がアブナイ人に見られちゃうじゃねえか」


 そう、俺は横の絆を見ておらず、自分のスマホを耳に当て、誰かと話しているフリをしている。


 こうすれば一見誰かと話しているように見えるため、自然と風景に溶け込める。


「話しているのに無視されているみたいで感じ悪いなあ。なんなら翼とリングしまってステルス解除してあげようか?」


「止めてくれ。こんな学校の近くで女の子と二人っきりとか、誰かの目に絶対留まる」


 高校生なんて身近な人物の恋愛系ゴシップが大好きだからな。


 たとえ俺の顔がわからない奴が目撃しても、目撃証言を元に各部活・委員会の中から俺と同じような非リア充が自主的に捜査を始めて犯人を見つけ出す。


 そうなれば終わりだ……。近い将来勇気がチャージされて八舞さんに告白できたとしても、それを理由に100パー『ごめんなさい』される。


 現代を生きる高校生の生態をキズナに説明すると、キズナはどこからともなくタブレット(っぽいもの)を取り出して何かを調べ始める。


「うーん、データを参照させてもらったけど、もしそうなってもそれを理由に『ごめんなさい』にはならないみたいだよ? 『茂手くんっていい人なんだけど……友達以上には思えないの』だってさ」


「何でそんなことが言い切れる!? っていうかお前そのタブレットみたいなの今どこから出した?」


「ここからだけど?」


 キズナは頭に浮かべているリングを手に取ると、その中に腕を突っ込んだ。


 おかしい。リングには穴が開いているはずなのに突っ込んだ手が見えない。


 そのままキズナはシュッシュと、リングの穴に自分の手を出したり入れたりを繰り返し、「ここから取り出したんだよ」ということを俺にアピールする。


「天使のリングの穴って、四次元空間への入り口なんだぜ。しかもこのリングって伸縮自在だからどんなに大きなものでも中に入れられるんだ。すっごい便利でしょ」


 確かに便利だ。


 どことなく国民的人気アニメの青い猫型ロボットが持っている某ポケットを彷彿とさせる。


「どこから取り出したのかはわかった。だからもういい。それよりさっきのお前のセリフ! 俺が八舞さんに告ったら『友達以上には思えない』って断られるなんて、どうしてわかるんだよ!?」


「わかるんだよなあ、これがあるから」


 そう言ってキズナは、タブレットの画面を俺に見せる。


「何だよこれ? 片方が俺の名前で、もう片方が……八舞さんの名前が出ているけど」


「えっとね、オレが持っているこれは《Little Oath Viewer typeE》、通称LOVEっていう、人界で言うタブレットみたいなモンなんだけど。この中に入っているアプリケーションソフトに《ザ・ネクサス》っていうのがあるのね。あ、《ネクサス》って意味は……」


「《絆》、だろ?」


「うん、そう。オレの名前と同じ」


 説明する手間が省けたのが嬉しいのか、キズナは俺に向かって微笑むと、LOVEを操作し、今言

ったネクサスというアプリケーションを起動してみせる。


「このネクサスは世界中の人類のアカシックレコード――運命を閲覧できるアプリケーションなんだ。使い方は至ってシンプル、検索画面で運命を調べたい相手の名前を入力して検索ボタンを押すだけ」


 そう言いながら、淡々と俺の名前を打ち込んでいくキズナ。


「さっきオレはこれでお前の運命を見たから、あのセリフでフられるって断言できたんだよ」

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