ウィルスとヒーリング

回復系の術である『ヒーリング』が

医療現場で使われるようになれば、

この世界の根底を覆すことになるかもしれない。


人々は誰しもそう考えていたし、

現代医療では対処出来ない

不治の病ですら治せるのではないかと

大いなる期待が寄せられていた。


しかし、そんな

万能の治療方法だと思われていたヒーリングにも、

どうにも出来ないことがあると

人々は知ることになる。



患者の名は『つぐみ』、二十代女性。

本来は明るく優しい、

笑顔の素敵な娘であった。


しかし、感染症による

ヒト免疫不全に陥ってから

長期に渡る入院生活を余儀なくされ、

常に様々な病気を発症しては治療を施す、

そんなことを繰り返すばかり。


次第に彼女の顔から

笑みは見られなくなっていった。


「フローラさん、いつもすいません、

ありがとうございます……」


彼女を担当しているフローラは

病気を発症する度に

ヒーリングを使って

何度も回復させていたが、

それも次第に限界が見えはじめて来ていた……。


途方に暮れたフローラは

彼女を助けたい一心で、

院内のドクター達に助言を求めたが、

異世界の術のことなどが分かる訳もなく、

彼等はただただ首を横に振るばかり。


まともに取り合ってもらえたのは、意外なことに

天才外科医と呼ばれる氷室ひむろだけだった。


-


「臓器、器官、細胞レベルで、

損傷している患部や

機能障害を起こしている部分は

ヒーリングで治せるのですが、

根本的な原因となる病原体、ウィルスは

私の力ではどうにも出来ません」


浮かない顔で事情を説明するフローラ。


「患部をヒーリングで治しても

すぐに他の患部が障害を起こして、

延々とそれを繰り返すばかり、

それももう限界に近い状態で……」


「なるほどな……」


指で眼鏡を押す氷室。


「こちらの世界ではウィルスは、

生物と非生物の間に位置するもの

と長い間定義されて来た。


非生物であると言う生命科学者が未だに多いが、

生物だと言う科学者もいる。


問題なのは、

お前等が信仰する神が

ウィルスをどう定義しているか、

ということだろうな」


聖職者であるフローラのヒーリング能力は

一神教の神への信仰を前提にして使えるもの、

それがどう関係しているのか……

氷室の言葉をフローラは

繰り返し、咀嚼そしゃくする。


「あっ……」


「そう、お前等が信仰する神が、

病原体ウィルスを

一つの生命体だと考えているならば、

ウィルスにヒーリングは

全く効果がないだろうな


お前等のヒーリングは

生命を、肉体を修復するもの、

治癒するためのものであって

命を奪うものではないかならな、

ウィルスを生命体と考えるならば

効かないと言うのも道理だろう」


「では、私は彼女に、これ以上

何もしてあげられないのでしょうか……」


氷室はため息をついた。


「お前は今、

医療従事者ではあるが、医師ではない」


氷室は再び指で眼鏡を押す。


「お前達が居た異世界、

そこでの元々の職業ジョブはなんだ?


聖職者ではないのか?」


フローラの目からは涙が溢れ落ちる。


氷室の言葉、それは彼女との

永遠の別れを仄めかしているからだ。


「闘病生活も末期ともなると、

痛み、苦しみに耐え切れなくなって、

あまりにつら過ぎて

早く死んで楽になりたいと

人間誰しも思うものだ……」


「そんな辛い思いをさせずに

ここまで治療し続けて来たことは

立派な『魂の救済』だと、

俺は思うがな……」


-


フローラは、その後も

患者である彼女を治療し続けた。

例え、このまま治らなかったとしても

苦しむことなく安らかに

最期を迎えて欲しい……。


それが聖職者としての

フローラの願い、そして祈り。


こちらの世界に来て

フローラ自身も忘れかけていたのかもしれない。


死は悲しみではなく、

苦しみに満ちた肉体からの解脱げだつ

魂の解放であるはずなのだ。


そう、彼女は、神に召されるのだ――。



「フローラさん、これまでずっと

ありがとうございました……」


突然、彼女はそう言い出した、

もう自らの死が目の前であることを

悟っていたのかもしれない。


「フローラさんのヒーリングは、

いつもとても暖かくて、とても優しかった……

ありがとう……フローラさん……」


彼女は笑みを浮かべてそう言うと

目を閉じて、そのまま昏睡状態に陥り

二度と意識が戻ることはなかった。


意識を失くしてからもフローラはずっと

彼女が痛くないように、苦しまないように、

術を使い続けた。



窓から射す陽光が

病室内をオレンジ色に染める夕暮れ、

彼女に付き添うフローラの前に、死神が姿を現す。


「そなたが信仰する神ではなくて、

すまないのだが……」


「はい、大丈夫ですよ……

ここは私が元居た世界とは違いますから……


多神教で魂を管理されている方ですね?」


この世界は一神教と多神教が

同時に存在する世界、

こういうこともあるのだろうと

フローラは思った。


「彼女の魂を、

どうか正しくあるべき場所へと

お導きください……」


「……承知した」


死神と共に彼女の魂が

天に昇って行くのをフローラは見届ける。


人の姿をした彼女の魂は

笑顔に満ち溢れ、手を振っていた。



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