第1話 仲裁が間に合わないとすぐに殺し合いになる
絶海の孤島、魔階島。その中央で寄り添う二つの王城の城下町。
「交代の時間だ、次は誰だ? ……レオ、それにチアンだな」
詰所に現れたのは、町の巡回任務に当たっていた男だった。名前を呼ばれ、『チアン・ハード』は椅子から立ち上がる。部屋の中に相棒の姿を探すが、見当たらなかった。
「悪いねチアン、ちょっと話が弾んじゃってさー!」
『レオ・トレイビヤール』が奥にある給湯室から出てきた。チアンと一つ年下で、青い髪を毛糸の帽子で押さえている青年だ。レオは交代を告げに来た男に親し気に声をかける。
「お疲れです、ダモス先輩! ……町の様子はどうでした?」
「パーティ間の小競り合いが増えているようだ、仲裁が間に合わないとすぐ殺し合いになるからな……お前らも気をつけろよ」
了解です、と愛想よく答えながら、レオは先んじて出て行ったチアンの後を追って詰所を出た。廊下の扉のガラス窓からは、外界を照らしている日光が差し込んでいる。
「誰と何を話していたのか、気にならないかい?」
「どうでもいい。……給湯室で話し込む相手なら、一人しかいないだろう。その相手が何を話すのかも見当がつく」
チアンは重い口を開きながら、扉を開く。何ものにも遮られていない真昼の太陽光に、レオは立ち止まって手でひさしを作った。チアンはわずかに目を細めただけで、レオに構わず歩き出す。
彼らの詰所は、町の中でも最も通行人の多い通りに面していた。通行人はそのほとんどが武装していた。剣に槍、戦槌など、革や金属の鎧に盾など、各々の目的に合わせた格好をしている。二人も例外ではなく、チアンは腰のベルトに下げた金属の鞘に剣を、レオは厚手の上着を羽織っている。しかし、扉から出てきた二人からは、人々はやや距離を取っていた。
「そこまで言うなら当ててみなよ、それで言えなきゃ嘘つきというものだよ」
「リグナ・クローク。あの人は医者だ、それも肉体、精神なんでもござれの。……お前がわざわざ聞くとしたら、スキルの可能性についてだろう」
チアンの言葉に、レオはくつくつと笑った。その反応をぼんやりと見てから、チアンは目をそらした。そして町の賑わいにも同じように、濁った目を向けた。彼らに与えられている仕事は、町の中を巡回して、その間に発生した不審な出来事に対処することである。
声を殺して笑いながら歩いていたレオは、笑い止んでからチアンに言った。
「八割方正解だよ、リグナ先生とスキルについて話していたのさ、けど少し間違ったね。
……僕らが話していたのは、チアン、君のスキルについてだよ」
「話題にするほど大層なものじゃない。『戦闘のスキル』、『型』は剣、それだけだ」
成人を迎えると同時に、人間は神から能力を与えられる。それは『スキル』と呼ばれ、人々の生活を、文化を、さらには発展を成り立たせている。与えられた能力の種類に応じて適当な呼び名が割り振られており、チアンのスキルは『戦闘』ということになっている。これらスキルは決定してから種類が変化することはないため、それがそのまま、その人物の天職になることが多い。
「それは勿論わかり切ってることさ、問題はスキルそのものじゃなくて……」
なおも続けようとしたレオは言葉を切った。チアンが通行人の流れの中の一所を黙って指差したからだ。そこは喫茶店のテーブルや椅子を店外に置いてある、オープンテラスの席だった。多人数がテーブルを寄せ合って話している内に口論になったことがうかがえた。
チアンは一歩下がり、レオが前に出るかたちになってから、その席に近づいていく。二人の姿を見て、口論をしていた者たちは少し押し黙った。再び騒ぎ出す前に、レオが声をかける。
「はいそこ、どうしたのー」
おどけた言葉だったが、テーブルを囲む者たちの表情は和らがない。チアンはレオの後ろで彼らを観察していた。幼さの残る者が四人、年月を感じさせるいでたちの者が三人、総勢七人。いずれも武装していることは言うまでもない。
それから若者四人組、ベテラン三人組それぞれの代表者が口論の内容をレオに説明する。それを聞いて反応を返すのはレオで、帳面に書くのはチアン。二人が組んだときの割り当てだった。無論話を聞くだけでことが済むわけではない。事態の解決策を提案するのも職務の内だった。
しばらくして、それぞれのパーティは話し合いの末に喫茶店を出て行った。それを見送ってから、レオは近場の椅子に座り込み、近づいてきた店員に飲み物を注文した。
「はー、いきなり当たるとは参ったね、先輩の言った通りじゃないか」
「喋り疲れているところ悪いが、文面の内容の確認を頼む」
脇で聞いているのと実際に会話に参加するのとでは話題の理解度が違う。チアンはレオに帳面を差し出した。運ばれてきた飲み物を片手に読み始めたレオは、口に含んでいた液体を噴き出しかけた。
「何がおかしい」
「『ダンジョンにて挑戦者パーティ、行きずりの関係、事後の騒動』。……クエスト途中の窮地を救ったあとで起こった報酬の分配騒動なのに、ものは言いようだね」
注文していないチアンの手元にも、サービスの冷水が置かれている。腰の荷物入れから取り出した袋の中身を、チアンは一枚掴み出す。乾いた砂の色をした、板状の物体。口元に運んだそれを噛み砕くと、近くの通行人が振り向くほどの音がした。昼間の通り、喧騒の中のことである。よく噛んだそれを冷水で流し込んだところで、レオは帳面を閉じた。
「うん、ばっちり。特におかしなところはないよ、題名以外は」
「変えた方がいいか」
「そこまですることはないさ、味のうちだよ」
二人は席を立ち、店内で料金を支払ってから巡回に戻る。二人の姿を見た者は避けようとするので、人混みの中を通るのも苦しいことではなかった。レオは隣のチアンにだけ聞こえる声量で言った。
「こういうときには、苦労して『銀帯』を取ってよかった、って思えるよね」
「そうか。俺は別にそうは思わない」
人々は彼ら二人との接触を避けようとするが、チアンやレオという個人として判別しているわけではない。彼らが二の腕に巻き付けている『銀帯』――布でありながら銀色の輝きを持つ腕章を見ている。
「『ガーディアンズ』に入るだけならまだしも、わざわざ銀帯まで取るのは普通じゃないほうらしいよ。理由がないほうがおかしいんだってさ」
「……それは知らなかった。リグナ先生にでも聞いたのか」
そう、と短くレオは肯定した。魔階島治安維持機構、通称『ガーディアンズ』に加入するのは難しいことではない。島の中央部にある本部で名前を登録すれば、すぐに身分を示すカードと『銅帯』を手に入れることができる。それだけにあまり価値がない。ガーディアンズらしい行動がとれるようになるのは、銀帯を手にしてからのことだった。
「あの人は何でも知っているな」
「わからないことだってあるそうだよ。
……チアンがスキルを活かさない――頑なに剣を抜かない理由とか、ね」
群衆に遠巻きにされながらも周囲に目を配っていたチアンが急に立ち止まり、レオに顔を向けた。チアンの淀んだ目を、レオは正面から見つめた。手入れを忘れた金属のように、それは曇っていた。
「……俺のとっての剣は、すでに使う理由がない道具だ。それだけのことだ」
「は? どういうこと?」
レオはチアンの言葉に冷たく返す。流れの中で立ち止まった銀帯の二人を、群衆は遠巻きにではあるが見つめ始めた。騒動の収束を担当する者たち同士の諍いなど、そうそう起こらないことだ。
「じゃあチアンは、これまでずっと本気を出さずにいたってこと?」
「剣を使っていないだけで、俺自身は常に本気だ」
「どうだか!」
チアンの言葉を一笑に付して、レオは続けた。
「それならどうして、未練がましく剣を持ち歩いてるんだい? ……まるで使いどきを待ってるみたいにさ!」
「やめろ!」
チアンは自分から合わせていた目線を、首を背けて振り切った。
そのときだった――周囲に集まる野次馬たちの隙間から見えた者と目が合ったのは。燃えるように赤い髪色の女――見覚えのある風貌だった。
「スピカ?」
今は亡き妹の名前を呟くと、錆びて曇った視界に輝きが戻っていった。十年以上も目を逸らしてきた――あるいは押さえつけていた感覚。
一瞬のことながら、チアンは目が合った相手を、失ったはずの妹――『スピカ・ハード』だと確信していた。
「レオ、悪いが……私用ができた」
「えっ?」
突如駆け出したチアンを避けるように野次馬が散らばる。一人取り残されたレオは、溜め息を一つ吐いてからひとりごちた。
「そういう理由なら、初めから言っておいて欲しかったよ」
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