銀・魔階島
内田推
プロローグ 復活には金銭という対価が必要となる
燃えるような赤い髪の少年――『チアン・ハード』は十五歳の誕生日の夜、人間ならば誰しもそうであるように夢を見た。それは少年が成人とみなされた証だった。
闇に満たされた空間の中に、白く光って見える道が彼の足元から伸びている。道を辿ったその先には、直視できないほどに眩い光球が浮かんでいた。それは一人たたずむチアンに向けてこう言った。
――汝には、剣で以って戦う力を授けよう――
そして目を覚ましたときにはもう朝だった。すでに起きていた両親と妹に夢の内容を話した。それぞれの反応はこうだった。
父親は「チアン、お前は俺たちの誇りだ」と目を潤ませた。
母親は「祖父さんの再来だね。……今日は好きなもの作ってあげるよ。何がいい?」と腕まくりした。
妹は「そう、よかったね」とそっけなく言ったきりだった。
両親の喜びようを妹にも期待していたために、チアンはその反応に対し少なからずがっかりした。とはいえそこで言うことでもなく、なごやかな雰囲気の中、朝食の席に着いた。
その日の昼間、チアンは彼の住む村の通りを歩いていた。戦闘の才能を授けられたという噂は昼には村中に伝わっており、知り合いの誰もが、通りを歩いているチアンを見て声をかけた。その声に愛想よく応えながら、彼は自分に与えられた能力について考えた。
「剣、か。練習しておきたいな。すぐには使わないだろうけど……おそらくは」
「兄さんは真面目だからね……言うと思ったよ、絶対に」
突然横からかけられた声に首を向けると、同じ髪色の少女――妹が立っていた。周囲から意識が逸れた瞬間を狙われたため、それなりに驚いていた。しかし彼女の、朝の反応を思い出し、チアンは驚きを押し隠し、不機嫌になって言った。
「俺がどうだろうと、お前には関係ないだろう」
「まあそうだけど、兄さんは兵士になるんだよね。練習はすべきだよ、絶対に。
……だから、これをあげる」
不愛想に手に押し付けられたものは、じっくり見ないでも何かわかった。柄から刀身にかけてのすべてが木製の、抜身の剣だった。チアンは目を剥いた。
「どうしたんだ、これは」
「武器屋さんのサービス品。それで自分を鍛えておけ、って。わたしからはこれ、いつもの堅パン。好きでしょ」
馴染みのある袋も押し付けられる。猛烈な硬さが特徴の、彼の大好物である。チアンが何も言えないでいると、妹は顔を背けた。
「じゃあ、あんまり暗くならないうちに帰ってきてね。……お母さん、張り切ってたよ」
そう言ってから、家のある方へ通りを駆け出した。木剣の柄から手を離せないまま、チアンは遠ざかる妹の後姿を見ていた。
そのとき、通りの十字路から現れた馬車が、妹の背中を覆い隠した。目の前の光景の違和感に、チアンは目が離せなかった。馬車は通り過ぎてしまわず、少し進んでから止まった。馬車の奥の景色に、妹の姿はなかった。
周囲がざわめき始めるのをよそに、彼は止められた馬車のもとへ駆け寄る。そしてチアンは、剣を用いても解決しない事態が起こったことを理解した。
馬車の御者が、予期せぬ衝撃に興奮している馬を鎮めようとしていた。昼間の太陽に照らされ、暴れる馬の足の先――蹄鉄が黄金色に輝く。視界の端にそんな様子を捉えながらも、チアンの両目はただ一点を見つめていた。
落ち着いた作りでありながら高級品であることを示す馬車――その車輪と車輪の間に、彼の妹の身体は転がっていた。馬に踏みつけられた上に続く車輪に轢かれた肉体は、ひどく損傷しているようだった。馬車の下の影が広がっていくように見えた――血だまりであると途中で理解する。
事態に集まって来た村人たちは、状況を見て言った。
「あの傷だと、もう助からないだろうな」
「仮に助かったとして、あれだけ傷を抱えて生きるのは苦しかろう」
「すぐに死ねそうなのは、不幸中の幸いだ」
人々にとって、深い傷を負った者の早急な死を願うのは当然のことだった。彼らの神々の一人は、彼ら――人間が寿命を全うしないうちに死ぬことを嫌う。それを理由に用意されているのが、金銭と引き換えの『復活』だった。女神『イキ・カエール』の名をとった『カエール教』の教会で、無傷の状態で生き返ってくる。
皆がそのことを知っているため、事故現場にいる人々の中に悲しみはなかった。チアンも例外ではなく、なるべく苦しまないように妹が死ねるよう願っていた。
とはいえ、命ある人間を故意ではなくとも傷つけることは罪である。村人たちが周囲を取り囲んでいるため、馬車は動けない状態にあった。馬は落ち着きを取り戻していたが、御者は人々に罵られることを恐れて、馬車の中に逃げてしまっていた。
馬車の乗客へ向けての糾弾と非難が飛び交う中で、チアンはふと握っていた木剣を見た。鍔の部分に、紙札が張り付けられている。そこには数字が書かれていた。
「どこに行くんだ、チアン?」
群衆のだれかが訊ねるのを無視して、チアンは走り出した。向かった先は武器屋だ。青い顔をしたチアンの問いに、武器屋の店主は不思議がりながら答えた。
「サービス品なんかじゃない、上等の新品だから値段はそのままだ。……どうした?」
騒ぎの鎮まらない事故現場に戻ったときにはすでに、妹は死んでいた。死体は残らない――血だまりをはじめとした痕跡だけを残して、死者はこの世から消え失せる。復活を前提としているため、それを惜しむ者はいない、はずだった。
「……なんで、なんでだよおぉぉ! なんで、こんなもの、こんなものを……!」
そのため、戻って来たチアンが泣き喚く姿に、村人たちは困惑した。
その場で彼だけが知っていた――彼の妹が、兄への贈り物のために無一文になっていたことを。復活には金銭という対価が必要となる。
翌日、葬儀は村のカエール教教会でしめやかに執り行われた。棺はあれど、その中に骸はない。残されたのは、名前とその者についての記憶だけだった。
『スピカ・ハード』。享年十二歳。
奇しくも事故の日同様の晴天だったが、チアンの目にはその場の何もかもに違和感が含まれて見えた。両親をはじめとして、ついぞない不幸に泣き崩れる人々。普段通りの態度の中にも悲しみを滲ませる神父。御者を含めた馬車の乗客が参列している姿には、憎しみの欠片も覚えなかった。馬車を引く馬の足先も、輝きを失って見えた。
それらの光景を、チアンはぼんやりと眺めていた。その先十年以上、その見方が変わることはなかった。
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