空の居場所
アイナの視界は常よりも下を向いていた。
見るべきものも無ければ聞くべきものも無い。
そう思う明確な理由は至極単純。
だって私は今日死ぬのだから
身に纏うのは豪奢な衣装。
化粧、髪飾り、何ならここ最近における食事等を含めたらこの星の人が半年は暮らせるお金と資源を費やしていた。
最も大抵のものは返還し、無視したがどちらにしろ無駄遣いの極みだと思った。
今日死ぬと決まっている女に対して無駄に金をかけてどうするという。
……それも今日で終わりなら精々したとも言えますか
後ろ向きな前向き意見だな、と思いながら地を踏む。
自分で分かるくらい俯いているのを理解しているから少しは前を向きたいと思うのだが……自分の視界に映る手足は震えており、更に余計な力が入っている。
どう見ても緊張……いや、今更嘘を吐いても意味がない。
私は今、どうしようもなく恐れていた
自分が死ぬ事が怖い。
あんな蛇に無残に殺される事が怖い。
母さんの時のように嬲られ、喰われるのかと思うと今直ぐにでも逃げたくなる。
怖い
嫌だ
死にたくない
生きていたい
助けて
辛い
苦しい
逃げたい
何でもするから許して
命乞いの台詞が脳内を駆け巡る。
まだ城の中にあるというのに眼前に闇が広がっている幻覚を見る。
死を前にアイナの内側に積もっていた恐怖が口から漏れる───その瞬間
「───アイナ」
闇から目覚める。
無様に震えていた体は途端に少女の支配下に戻り、顔に刻まれていた恐怖の形相は一瞬で無表情に変貌する。
抜群の効果を出してくれた声に思わず内心で笑ってしまう。
嗚呼……私は心底からこの人が憎いのですね……
目の前に声を掛けた男───父親が居なければはしたなく腹を抱えて笑っていたかもしれない。
まさか自分を正気に戻す相手が一番憎い相手とは。
何が自分にとっての支えになるか分からないものである。
その父親は父親で自分を前に酷く暗い顔で俯いている。
相も変わらず人の事を死なせるように動きながらも、いざその時になれば自分は今、こうして苦しんでいるんだアピールである。
立場的にしょうがないと言う人もいるし、事実そうなのだろうけど知った事では無い。
どんな立場、理由があっても私はこの人を憎むし、許す気等さらさらない。
ああ……そういう意味では私は間違いなくこの人の血を継いだ娘なのだろう。
器は小さく、何も為せずどこにも行けない人間
らしい末路だと嗤いながら、私は父を見上げる。
「お父様。実は私、この時が来たらずっと言おうと思っていた言葉があるのです」
「……聞こう」
厳かに言うものだからつい笑いそうになるのを堪えながら私は言葉を綴った。
「子供の頃……お母様の死の後に何度も思い返しました。どうしてお父様はお母様の為に何とかしてくれないのかと」
「……」
子供の癇癪だ。
大人ならどうにか出来た筈だ、と子供の空想から私は大人の代表格であった父を恨み、今も続く。
こうして少しは大人になった今ですら理不尽な恨みを抱いているのだから本当に器が小さい王女である。
なのでこれを反抗期の娘の最後の恨み言だと思って聞いて欲しい。
「ずっと私、お父様の事が嫌いで溜まらなかったです───ですから精々死ぬまで苦しんで生きてくださいね」
「──」
言うだけ言った私はもう父の顔を見せるつもりは無かった。
父から体事背き、離れていく。
陰鬱とした気持ち自体は消え去ってはいないが……少しばかり心残りは無くなった。
外を見れば、こんな日だというのに蒼空であるのが憎らしいが……
どうせ死ぬなら最後に視るのが蒼空なのはきっと良い事なのだろう
※※※
その光景は華やかという概念からは余りにも程遠い祭事であった。
この星唯一の街の大きな城のような場所から一人の少女が担ぎ上げて運び出されたのだ
星海の技術が発展した宇宙からしたら時代錯誤の神輿の上に乗せられたこの星においては非情に豪華な衣装で着飾られた少女は無感情の仮面を貼り付けて運ばれていた。
それだけ見れば何かしらの祝い事にも見えなくはないのだろうが、その豪奢さに反して街の空気は死んでいた。
誰もが家の外に出ない所かカーテンまで閉めて外界を遮断している。
これでは祝い事というより忌事だ。
否。実際、そうなのだろう
誰だって自分達の代わりに死ぬ誰かの事なんて見たくもなければ喜びたくもない。
終わる事は拒絶したが、代わりに恥知らずの人生を選び続けなければいけない牢獄と処刑の人生。
加害者は蛇であり民衆。
老若男女問わずに民衆全てが殺人者の烙印を刻まれるのだ。
無論、人口は少ないとはいえ人殺しを罪とは思わぬ悪も少数ではいるだろう。
自身以外の誰かが死ぬ事に対して自分は運が良い、と口さも無く嗤う者もいる。
だが、それでも人々はこの日ばかりは沈黙を守り、弱さに震える。
無力によって生まれた罪悪を皆等しく噛み締める為に
──だから、その光景から目を逸らさない物はその意思が無い者。
誰に求められるのではなく、自身の意志を引き金に走る者。
かつてどこかで絶望を舐めた者。
根源というモノから見限られ、怒りに囚われるままに遂には
故に今回もまた同じ。
自分勝手で傍迷惑な理不尽としてあるべき流れを台無しにするのだ。
※※※
少しずつ自分の死に場所が近付く。
近付いてくるのは酷く簡素な舞台。
……いや。あれを舞台と呼べばあらゆる舞台に謝罪しなければいけない程の手抜きな舞台であろう。
何せ適当に硬く拵えただけで色や飾りなど一切無い、三角錐型の建物を作ろうとして途中で頓挫したような形なのだ。
その気になれば幾らでも豪奢に作る事など可能ではあったけど……そんな事をする筈が無かった。
死んで死んで死んでいくだけの人間を放り捨てるようなゴミ捨て場のような場所なのだから、力や技術を込めて作ろう等と思いもよらないのだ。
怖い
そう思う数だけ走馬灯が頭を駆け巡る。
短い人生であると嘆いた筈なのにこうして思い返してみれば空虚な癖に何故か濃密さすら感じる。
食べられて死ぬ、噛み砕かれて死ぬ、飲み込まれて死ぬ。
待ち受けている結末を考えればどれがまだマシ、という死は無い。
必ず苦しくておぞましいだけの結末が待っている。
……だけど
「……もうここまでで結構です。運んで頂きありがとうございました」
本来の地点よりも前で自分を運んできた担い手に声を掛ける。
当然その事に驚いて戸惑うのだが……数秒して彼らはゆっくりと自分を乗せたシンプルな神輿を置いて離れて行った。
本来ならばそれは職務放棄だ。
こんな風に一人生贄を置いていったら逃げるかもしれない。
単純に自分の意志をくみ取ってくれたのか……あるいはいっそ逃げて全部台無しになっても構わないと思ってしまったのか。
「……」
もしも後者であるのならば、たった二人でもそんな風に思う国民が出た時点でこの国の未来は欠けているとしか思えない。
そういった自滅の思想は細々とだが広がっていくものだからだ。
そうとなると自分の死は無意味になるわけだが……自分の知った事ではない。
自分が守るのはあくまでここまでだ。
ここからは父の領分だろう。
だから、私は一人処刑場に自分から進んでいく。
暫く自分の足音と風音だけが耳朶に届く。
本来はあの蛇が動く震動等も伝わるのだが、流石に私達は慣れっこだから無理矢理意識から弾く事は出来る。
死に行く自分が最後に見て聞くのは無情さを表す砂漠と平等に人を打ち付ける風の音だけだった。
「……」
最後の思い出とするには余りにも殺風景過ぎる。
殺風景……ああ、そうだ。この星を表すのにこれ程相応しい言葉は無いだろう。
風景事殺されていくこの光景は正に"殺風景"だ。
風景に染まるように人々の心は死んでいき、絶望しながら死に行く私達によって風景が殺されていく殺戮の連鎖。
生きる為に死を受け入れる。
死ぬ為に辛い生を続ける。
滅びに向かう為の機構しか存在しない星。
先程の死滅願望云々も余り関係ない話だ。
何もしなければこの星はそう遠くない未来に終わるだろう。
なら、今滅びるのも少し先に滅びるのもそう変わらない話なのだろう。
だというのに──私の足が止まる事は無かった
「……」
自暴自棄になっているからか。それもあるのだろう。
どちらにしろ自分の未来が無いからか。それもあるのだろう。
役目だから。姫だから。それもあるのだろう。
でも──心の底に消えないように閉じ込めた気持ちは意地という名の無駄な徒労であった。
苦しいだけの生であった。
何時か死ぬ自分の無惨な末路を考えて何度夢に見、震えて泣いたか。
自棄になって周りに人間に八つ当たりした事があった。
何なら憎しみから父を殺そうと包丁を握ったりした事もある。
逆にどうせ死ぬなら自分の手で死んだ方が遥かにマシな死を迎えると思い、夢想し、実行しようとした事がある。
生きていて良かったと思える時間は欠片も無かった。
誰かの為に死んでもいいと思った事なんて一度も無かった。
でも……ここで逃げたらその苦しさを誰に対しても誇る事が出来なくなってしまう。
私は誰かの為なんかで死んでやらない。
私は私の為に死ぬ。
苦しくて辛くて……泣きたくて悲しいだけの人生だった私を……せめて私だけでもよくやった、と褒めたいのだ。
苦しくて無価値な私の生だけど……自分やお母様が積み上げて来た命の価値だけはあったのだという強がりだけを示したい。
だから、私は滅びを受け入れながら先に進む。
この先を生きる人の為ではなく、この先を守る為に死んでいった
「……ぁ」
気付けば自分は処刑場の階段を上っており、階段も僅かだ。
随分とあっさり十三階段を上ってしまった、と自嘲する。
なら、ここからもあっさり上った方が気楽だろうと思い、動き辛いスカートを積み上げて上り、そして
「うーーむ、こっからだと蛇の図体しか見えねえじゃねえか。無駄な図体しているせいで景色も楽しめん。風情っていうのが分からんのかあの蛇は! こんなファッキンスネーク! 酒にして嫁とのハッスルタイムに備える燃料にすんぞこらぁ! あ、くそ!! 思い付きでボケたけど案外良いアイディアじゃねえか!! 赤玉出るまで頑張るよ俺! ぐんぐん燃え上がってきたよ興奮ゲージぃーーー!!」
何か馬鹿が居た。
※※※
アリアンはようやく
「よう、ア」
「帰れ」
「反応早いぞ!!」
余りにも早いリアクション……その容赦ない反応速度にはハリセン辺りを与えたくなる。
うちにはツッコミが不足しているから危うくスカウトしたくなる。しないけど。
それにここでめげない心こそが男というもの……!!
「落ち着くんだアイナ。まずはゆっくり落ち着こうぜ」
「成程──迷子になってテンション上がっていたんですね」
「そうそう、迷子になると子供ならそこで気落ちして泣きたくなるんだろうけど、大人になると迷子=自由っていう感じになってこう色々とテンションが上がって、ってガキか俺は!? ガキだな俺は! やるじゃないかアイナ……!!」
何か凄い嫌そうな顔でこちらを見たが特に気にしない。
人生時折諦めが肝心である。
この教訓は時折という部分が大事である。
何事にも諦めを主軸にする人間は負け犬か、あるいは根性無しという人種に陥るものである。
悪党だったり犯罪者と呼ばれるのは躊躇いなく受け入れる事が出来るが、誰にでも尻尾を振るのも、何に対しても膝を着くのは性に合わない。
そんな風に思っている俺に対してアイナは暫くジト目でこちらを見ていたが、その後一度だけ大きな溜息を吐いた後に今度は真摯な目でこちらを見てくる。
「最後にお会いした時に言いましたよね」
「おう、言われたな。助けは不要。放っておいてくれ的なの」
「……つまり聞く気は無いと?」
あれだけ言われても私だけを助けて生贄を台無しにする……という事だろうか。
確かに有難い話である事は認める。
だが個人的には有難迷惑である。
その意思をそれこそ表明したつもりだったのに、残念なことにそれを汲み取ってくれなかった、という事なのか。
思考をそのまま言葉に乗せた問いを
「いや? 別に止める気はない。俺が今ここに居るのは別に君を助けたいだなんて恥ずかしい思想からじゃない」
「……じゃあ何を?」
予想外の返事に眉をひそめる。
この時この場に来てする事なんてそれぐらいしか無いというのにそれ以外の目的がここにあるというのだろうか。
精々無惨に死んでいく自分の死に様を見届けるくらいだが……この少年は確かに歪さは感じるが性悪さは感じない。
甘いのかもしれないが、そんな人間には思えない……と思う。
その疑問に対してまぁ待てと一度の待機の指示の後
「よぉーし。オリアス。繋げれたか?」
『はい! ばっちしです! 回線オープンします!!』
どこにも居ないというのにアリアン以外の声が彼の傍から響いたと思った瞬間に変化は起きた。
「え……!?」
自分の周り……いやどちらかと言うとアリアンを中心とした空間に様々な画面が表示されたのだ。
明らかに自分が見聞きした事が無い何か……ソラの向こうにある異界の技術か、あるいは特殊能力であると分かっていても未知のモノが唐突に溢れかえるという光景に驚きを隠す事が出来ない。
見たところ……その画面は風景……いやこれは自分達の首都を映している。
見れば画面に映る人々もまた異様なモノを見るような眼でこちらを見ているのを察するに……この画面は風景の向こう側とこちら側を繋げているものなのだろう。
双方向、つまりこれは連絡等に使う物なのだ。
そんな画面を映し出した主犯はこちらの驚き等一切気にせずに笑顔で画面に向かって声を放つ。
「あーーテステス? 感度良好? OK。お初の人の方が大量だろうから一応自己紹介しておくけど俺は星海から来た適当なガキだ。奇異な事態に驚きを隠せないだろうけど、まぁ聞いてくれないかな。え? ふざけんな? 何勝手な事してやがる? 白髪チビ野郎? ──よし殺す。面覚えたぞテメエ」
画面から理不尽かよ!! という声が追加で聞こえたけど少年は適当に無視していた。
「まぁ、君達からしたら何だこのガキだとかもしかしてそちらの王女兼生贄美少女を誘拐だとか考えているだろうけど生憎だけど興味ねえ。死ぬなら勝手に死ねばいいし、君達もとっとと絶滅しろと考えているから」
さらりと流れる冷たいのか乾いているのか分からない言葉に最早何を言えば分からなくなってくる。
ただ一つだけ分かる事があるとすれば……死ぬなら勝手に死ねという言葉には適当な感じの感情しか籠められていなかったが、絶滅しろという言葉には本気の感情が籠められていた。
心底情けないと少年は告げていた。
その理由は次の言葉で明かされた。
「生きたいっていうのは当然の願望だ。他人の命を捕食して生きていくのは生命体の宿命だろうしな──だけどな。だからそれは仕方が無いし、責められる物じゃない……だけどな。恥ずかしい、辛い、苦しいって面下げて挙句の果てに死に行く少女一人を見送る事も出来ねえのか? お前らの手で死なせるんだろ? ならせめて俺達の為に死んでくれって頼む事くらいも出来ねえのか? ──ガキ一人だけ死ぬ覚悟をしているのにお前ら加害者は目を逸らしてごめんなさいごめんなさいって一人満足の自慰行為か!? あ!? 被害者面して本当の被害者に無駄な重荷背負いに背負わせてんだ!!?」
徐々にだが唐突に熱く強く炎のような言葉が少年から放たれる。
たった数日だけしか付き合いが無い私だが……これには気付いていなかった。
少年は怒っていた。
他人の命を犠牲にしてのうのうと生きている──事ではなく、命を犠牲にするというのにまるで被害者面して被害者と接する事に怒っていた。
「馬鹿かあんたら? 死ぬんだぞ? 一人で寂しく、苦しい死を迎えるんだぞ? そんな奴をまるで腫れ物みたいに扱ってごめんよごめんよって何様だ? 嫌々だけどでも仕方がないのよって私達は望んでいないけどって免罪符ばっかり押し付けやがって! そんな嫌々ばっかりするなら抗って死ね! 守って死ね! 戦って死ね!! それが出来ねえなら出来ねえなりの態度があるだろうが!! 死に行く子供の女の子が出来る事を何で年だけ無駄に食っているあんたらが出来ねえんだ!! 奴隷根性だけ一丁前に磨いてんじゃねえぞ……!!」
数秒、少しだけ激しい息遣いと沈黙が空間を浸す。
少年の息が荒れるのはあれだけ大きな声と感情が籠った言葉を重ね連ねた故の弊害。
沈黙が辺りを浸すのは赤の他人の言葉であっても……致命的な急所を突かれたが故の反応。
誰しもが思いながらも実行する事の出来なかった行い。
勇気を失ったが故に考えてはしても口にも行動にも映す事が出来なかった惑星サームに住む人々の実態にして欠陥。
立ち上がる事を忘れた人類種の行き着く先なのだから
誰もが……生贄である私ですら忘れた概念。
この星に存在しない彼だからこそ口に出して叫べる指摘。
誰かが言わなければいけなかった言葉を、今、無関係の少年が叫ぶ。
その事実に気付けば私の瞳から零れ落ちるものがあった。
「……ぇ?」
とうの昔に枯れ果てたと思っていた物がみるみる沸き上がってくる。
これがただの正義感……人を死なせるのは良くない事だという分かりやすい故に薄っぺらい同情なら私は絶対に泣かなかったと断言出来る。
そこまで安く無いし、生贄なんて良くないなんてそんなの私達だって知っている事なのだ。
どうしようもないからやっている事を、まるで自分ならどうにか出来たなんて言う言葉は同情という名の上から目線だ。
そんな言葉のどこに救われるという。
アリアンの言葉は違った。
アリアンは追い詰められた自分達の限界に同意した。
恥知らずで苦しくても生きたいという罪深さを赦して……そこから来る身勝手な懺悔を責めた。
死なせるならばせめて死ぬ人々が死ぬ事に価値を見出すように生きろと。
諦めきった私の願望を、彼は短い日数で見抜いてくれていたのかと零れてしまった。
零れた涙に喉から漏れるしゃくれた声に少年も気付いたのだろう。
自分の様子に目を細め、小さく微笑み
「……ったく。失敗失敗。つい特徴のクールキャラを崩してしまった」
おどけたような言い方で肩を竦めるが、それは流石に信じる事は難しい戯言である。
思わず苦笑しそうになるが……培った経験で直ぐに涙を引っ込め、喉の調子を戻す。
何だか全てが納まりそうな錯覚を覚えたが……それこそ夢幻の類である。
私はここに死ぬつもりで来たし、彼がここに来ている理由を問い質さなければいけない。
「……で、結局貴方は何をしに来たんです?」
「いや分かれよ。ここに来る用事なんて二つに一つだろ?」
「……二つ?」
一つは私の事なのだろう。
生贄である私をどうにかするか、という選択肢。
それは余計なお世話である事を除ければ理解出来る。
だけどもう一つやる事なんてこの場には無い。
その意味を含めて疑問形で返したのだが……すると呆れの返事が返ってくる。
「しょうがないんだろうけど……本当に君達にはその選択肢が無いんだな」
「……?」
やれやれ、と言わんばかりに首を振られても困る。
私達に無い選択肢。
先程みたいに自分達から消えてしまった機能という事なのだろうが……それならば確かに察する事は出来ない。
首を傾げるしかない状況にアリアンは深く溜息を吐き、
「いいか? 俺が用があるのはアイナでも無ければ、何なら他の住民とかじゃない。要があるのはあのうざったらしいへ」
──余りにも唐突に全てが途切れた。
「……え?」
無意識の内に体から冷や汗が流れ、震える。
理由はと思うより先に今になって気付く事実がある。
視界の変化だ。
私は生贄の儀式の為にほぼ昼を終えた辺りに外を出た。
当然、昼という時間帯では日の光が差す時間帯であるのだが……何時の間にか視界全てが暗くなっている。
この現象をこの星に住む者は知っている。
唐突に夜に変化したとかではなく……ただ単に
「っ!!?」
理解と同時に沸き上がる恐怖が一瞬で平静を奪い、瞬きを行う。そこに全身を叩くような風圧が頭を揺らすが構っていられない。
たった一瞬の瞬きで目の前から異邦の少年の姿は消えていた。
だけど全てが消えたわけじゃなかった。
「……ぁ?」
何せそこには
まるで今もそこに立っているようにある両足からは未だ鮮血が零れていない。
墓標というには余りにも生々しい。
今にもそのまま歩き出しそうな形で残る両足に恐怖よりも奇妙さが勝り
『──ヨブんなエさか?』
天から落ちて来たような拙い声が全ての感情をひっくり返した。
惑星サームにおける恐怖の化身。
人類を、異属を絶滅の危機に陥らせ管理する悪辣な蛇。
その相手に名前を付ける事を私達は拒んだ。
名を付ける事でその対象を呼ぶという事をしたくなかったという現実逃避から私達は蛇に対して名前を付ける事を嫌がったのだ。
……今の私の思考こそが現実逃避なんだろうと引き攣った笑みを浮かべながら恐る恐る上を見上げる。
そこにはまるで巨大な暗雲を捏ねくり会わして作り上げた巨大すぎる蛇の顔があった
星そのものを巻き付ける程の巨大さを持つ蛇の顔はそれだけで惑星サームの人類を撃滅させる事が可能な程であった。
チロロロ、と口からわざとらしくはみ出ている舌だけで何十人の人間が一度に死ぬ事やら。
……ああ、もしかして彼が
あれだけ巨大な物だと蛇の舌の動きを見切る事は出来るだろうかと思うし、あの暴力的な風圧がそれならば筋道が立つからだ。
逆に考えれば風圧だけで済んだのは奇跡か……あるいは常識が違うのかもしれない。
どちらにせよ結論は一つだ──死ななくてもいい命が今、目の前でまた消えてしまったのだ。
『くダらン……いまハオトコをクラうきなどなかッタというの二……』
蛇の口調は下らないと私達を嘲っていた。
生贄を追加した事にではない。
そんな風に無駄に生き足掻く生目を汚らわしいと蔑んだのだ。
その嗤いに対等という概念は無い。
最も巨大な生命として生まれた傲岸な目線を持って、蛇は人間を
……分かり切っていた事だ
人間は天災には勝てない。
時間や技術があれば勝てる可能性があるのかもしれないがどちらもないからこそ行き詰ったのがこの星なのだ。
巨大な形はそれだけであらゆる物を破壊し、萎縮させる恐怖になる。
巨大である以上、小さい自分達がどれだけ反抗しても蛇からしたら欠片とすら言えないレベルの傷しか負わない。
唯一打倒出来る手段があるとすれば寿命と思っていたが……この蛇が出現したのは数十年、あるいは数百年なんて規模ではない。
約1000年に近い年月を生きている筈だ。
何れ滅びるのかもしれないが……先に滅びるのは間違いなく私達人類だろう。
分かり切った結末。
そんな相手に勇気等というモノを振り絞ってどうなるという。
だからあからさまな嘲笑に対して私は何も言い返せず、ただ縮こまるだけ。
アリアンによって映された他の民も同じように沈黙を選び
「──うっせぇ、やかましいわ爬虫類。無駄にデカくなった脳味噌で言えるのは自分本位の理論かよ」
──答えるのはやはりこの星の異物である者だけであった。
※※※
蛇にとって人を視認するという事は出来なくはないが面倒事であった。
何せ芥子粒に劣る程に小さい。
虫けらよりかは多少マシな程度の大きさしか持てない存在を視認する等、蛇にとって無駄な労力に他ならない。
万象須らく虫けらのごとし。
蛇にとって人間等、精々が動き、暇つぶしの唄を響かせるものでしかない。
だから、蛇はやかましく吠えたてる少年が生きている事に対してはある意味で驚いていなかった。
……ねらイがズレタか?
明らかに通常の蛇よりも発達した鋭い五感によって人間の雄の方を見る。
見る限り傷も一切無い所、奇跡的に外れたとしか思えない。
蛇とて別にわざわざ意識を割いて攻撃を仕掛けたわけではないからそういう事もあるのだろう程度の出来事である。
──だがそれはそれとしてそこまでの手間ではないとはいえ自身に煩わしさを感じさせたという理不尽な怒りが込み上がる。
さもありなん。
蛇にとって自分こそが全ての頂点だ。
人間は言うに及ばず、他の動植物や天災ですらこの巨体に打ち勝つことは不可能である。
頂点であり続け、その地位が脅かされないのであれば慢心し増長せざるを得ない。
故に蛇は躊躇わずにもう一度舌を伸ばし、先程の小粒を叩き潰す。
音の速度を超えたそれは先程以上に力を込めている。
下手すれば折角用意された生贄も一緒に死ぬが知った事ではない。
そもそも己を不愉快にさせる生物を追加で送り届けた以上、
最後にしては興醒めではあるが……どちらにしろ無駄に続けて来た事故に飽きてきていたのだ。
故に蛇の一撃はそれらを決める為の丁度いい一撃になるかと思い……蛇の一撃は眼下の大地事小粒共を叩き潰した。
これデオワリだ、と蛇は嗤う
そのまま直ぐに舌を戻そうとして──初めて異変に気付く。
戻せない。
舌を戻す事が出来ない。
まるで何かに捕まれたかのように引き戻す事が出来なくなっている。
誤って地面に埋めてしまったかと思うが、流石に舌が地面に埋まったならば感触や土の味を感じる。
では、何故という思考を頭に過らせ──次の瞬間、蛇は未知の世界に叩き込まれる。
生涯無敗にして無傷であったが故の陥穽。
断言しよう
この蛇は確かに地上最強の蛇だ。
何人たりともこの蛇を侵す者もいないし、どんな才人がこの先現れようとも資源も数も無い惑星サームでは打ち勝つ箏は99%不可能の存在だ。
黒星なんて得る事は無い故、何れ惑星サームはこの巨大な蛇だけが済む星となっていた──今日、この星には存在しない異物が現れるまでは。
地上最強──ただしそれは惑星サームという星が生まれた宇宙の中においての最強だ。
蛇は知らない
空の先を知らない。
星の海を知らない。
別次元を知らない。
世界というモノを牛耳ったと思っていた蛇は今こそ別次元の怪物を知る──
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