第10話 完璧を目指して


 萌乃の小説がアニメ化される。


 その障害となる苛木を退場させることに、才賀たちは成功した。


 その祝宴を開くため、才賀と萌乃は秋帆に連れられ、ちょっとおしゃれなレストランにきていた。


 時々打ち合わせなどで利用しているファミレスじゃないのは、


「せっかくの祝いの席ですからね!」


 と秋帆が奮発したからだった。


 席の始まりは雰囲気に飲まれ、ぎこちないものだったが、時間も経てば落ち着いてくる。


 そうすれば料理を味わう余裕も出てくる。


 それは才賀だけでなく、萌乃も同じだった。


 あれがおいしい、これがおいしいと、和気藹々と食べる姿はどう考えても秋帆の存在を忘れてイチャイチャしているようにしか見えず、実際、秋帆は疎外感を覚えて苦笑したりしたのだが、今は余計な茶々を入れて水を差すこともないだろうと、秋帆自身も料理を堪能した。


 そうして食後のデザートが運ばれてくるのを待っている間、ようやくといった感じで秋帆が話を切り出した。


「さて、藻ノ先生、彩先生。さんを退場させられたからと言って、喜んでばかりもいられませんよ」


「北海道じゃなくてな、辺見さん」


 才賀がツッコミを入れる。


「そうでしたっけ? ま、あんな人のことはどうでもいいんですよ」


 確かに、と才賀がうなずき、萌乃に「才賀くん!」と窘められる中、秋帆が話を続ける。


「今回のシナリオライターの暴走ですけど、彼の独断じゃないでしょうね」


「独断じゃない? なら、誰かが裏で糸を引いていたってことか?」


「そうじゃなければ、普通、シナリオライターがあんなことを言い出すわけないですよ」


「その裏で糸を引いてた人って」


 萌乃がそこまで呟いてから、「あ」と声を漏らす。


「藻ノ先生、気づきましたか。そうです。あのプロデューサーです。監督も雇われっぽい感じでしたし。間違いないでしょうね」


「けど、それっておかしくないか?」


 才賀は腕を組む。


「だってあの人が萌乃の小説をアニメ化したいって言ってきたんだろ?」


「ですね」


「なのに、あんなふうにシナリオライターを暴走させて。下手すれば萌乃のアニメ化は失敗していたかもしれないじゃないか」


「かもじゃなくて、確実に失敗していましたね。あのままなら」


「何を考えてるんだ?」


「どうせろくでもないことですよ」


 秋帆が断言する。


「何にしても、あのプロデューサーがこのままでいるとは思えません。藻ノ先生が書いたシナリオにケチをつけてくるのは間違いないでしょう!」


「どういう意図があるにせよ、今回の件、プロデューサーが裏で糸を引いていたというなら、そうだろうな」


 秋帆の言葉を、才賀は肯定する。


「そこで藻ノ先生!」


 秋帆が萌乃を見る。


「生半可なシナリオでは駄目です! というか、それではむしろ向こうの思うつぼ。これ幸いと藻ノ先生を引きずり下ろして、子飼いのシナリオライターにすげ替えようとしてくるでしょう!」


 なので、と秋帆は言う。


「あのろくでなしプロデューサーですら『ぐぬぬ!』と認めざるを得ない、これ以上ないくらい完璧でものすごーいシナリオを書き上げてください!」


 とんでもない要求である。


 萌乃は小説家ではあるが、シナリオライターではない。


 しかもこれまで一度もシナリオに触れたことすらないのだ。


 才賀は萌乃を見る。


 果たして萌乃は決然とうなずいて見せた。


「もちろんです! わたしがシナリオを書くって決めたんですから! 最高のシナリオを書き上げます!」




 その日から、萌乃がシナリオに取り組む日々が始まった。


 〆切は二週間後。


 その日までに全13話のシリーズ構成と1話目のシナリオを用意しなければならない。


 小説家としての萌乃は速筆で、小説ならばそれで何とか仕上げられる自信があった。


 しかし、シナリオは?


 何せ初めて取り組むことになるわけで、勝手がわからない。


 なので、秋帆は何とか〆切を延ばそうと六手に交渉した。


 だが、結果は駄目だった。


『制作スケジュールの関係で、これ以上は伸ばせません。大丈夫ですよ。最悪、こちらでシナリオライターは用意出来ますから』


 六手はそう言ったという。


 どうやら、あの日、秋帆が言ったとおりだったようだ。


 六手は子飼いのシナリオライターにすげ替える気が満々のようだ。


「絶対にそんなことさせないから!」


 そう言い切る萌乃を心強く思う才賀だった。


 そうして一日が過ぎ、二日、三日、四日と時間が経った。


 しかし、萌乃はシナリオを完成させられない。


 書式は学んだ。シナリオ関係の本を読み、秋帆の伝手を頼ってプロのシナリオライターから、実際に使われたシナリオも手に入れた。


 一応、それらしい形にすることはできたらしい。萌乃曰く。


 だが、


「……駄目なの。形だけなぞっただけで、全然面白くないの」


 そんなものでは、六手につけいる隙を与えてしまう。それでは駄目だ。


 萌乃は何度も何度も自主没を繰り返した。


 日に日に追い詰められていく萌乃に、秋帆が言った。


「藻ノ先生、大丈夫です。藻ノ先生なら絶対できますから!」


 無条件ともいえる信頼は、これまで築き上げてきた関係故だろう。


「ありがとうございます、秋帆さん。大丈夫です。わたし、がんばりますから」


 だが、萌乃は思うような形にまとめられない。


「こんなのじゃ駄目! どうすれば最高のシナリオになるの……?」


 萌乃は、これまで休まず続けてきたWEB小説の連載もストップさせてしまった。


 シナリオ作業に集中したいと萌乃がいい、秋帆もそれを許し、書籍化作業も中断していた。


 小説の更新も、書籍化作業も、両方ともストップしているのに、まったくシナリオが書けない。


 そのプレッシャーが萌乃を追い込むことに繋がり、萌乃のシナリオ執筆はますます捗らない。


 藻掻けば藻掻くほど泥沼にハマる、そんな悪循環に囚われてしまった萌乃を前に、才賀はただ手をこまねいているわけではなかった。


 自分にできることはなんだ。


 イラストを描くことだ。


 なら、萌乃のやる気が溢れるような、そんなイラストを描いて、描いて、描きまくろう。


 苛木の心ない言葉によって傷ついた時、萌乃が才賀のイラストから力を得て、立ち直ることができたように。


 今再び、才賀はイラストによって萌乃に力を与えるのだ。


 才賀はイラストを描きまくって、萌乃に見せた。


「わあ、才賀くんのイラストがこんなに! すごく力が出たよ。ありがとう、才賀くん。大好き」


 だが、それでは駄目だった。


 やる気が空回りして、泥沼にハマってしまった萌乃には、むしろ才賀のイラストは毒にしかならなかった。


 なら、このまま何もしないのか?


 そんなわけがなかった。


 才賀は気がついたのだ。萌乃が大事なことを見失っていることに。


 いや、萌乃だけじゃない。才賀も、それに秋帆も、それを見失っていたのである。




 〆切がいよいよ三日後に迫ったその日。


 放課後、才賀は萌乃を連れて、ある場所へと向かっていた。


 シナリオはまだ完成していない。


 13話分のシリーズ構成もできていない。


 このままでは、萌乃ではなく、別のシナリオライターが出張ってきてしまう。


「才賀くん、わたしにはこんなことをしている時間がないのに」


 萌乃は当然、行くことを渋った。


「わかってる。けど、一緒に来て欲しいんだ。どうしても。大事なことだから」


 才賀の言葉に萌乃は、微かにだが、うなずいて見せた。


 電車での移動中、才賀も萌乃も一言も言葉を発しなかった。


 だが、二人は手を繋いでいた。


 ――冷たい手だ。


 才賀は萌乃の手を握りしめて、心の中で呟いた。


 最寄り駅に着いた。


 電車を降り、目的地へと歩いて行く。


 に近づくにつれ、追い詰められてすっかり表情をなくしていた萌乃の顔に、表情が戻ってきた。


 もっとも才賀が愛してやまない笑顔やはにかみ、照れたものではなく、戸惑いだったが。


「才賀くん、この道……」


「ああ、そうだ」


 才賀はうなずいてみせる。


 才賀が向かっていたのは、町の小さな書店。


 萌乃の小説が書籍になり、初めて店頭に並んだあの日。


 才賀、萌乃、それに秋帆とともに訪れた場所だった。


 秋帆を通じ、事前に連絡を入れたりはしていない。


 完全なアポなし。


 なので、店に迷惑をかけるにはいかないと、外から覗く形になる。


 だが、それで充分だった。


 見えるのだ。萌乃の小説が店を入ってすぐのところに展示されているのが。


 1巻はもちろん、2巻も置いてある。


 専門店のように大量に積み上げられているわけではない。


 だが、あの日と同じ。


 書店員による手書きのポップが添えられ、これが売りたいという熱量がはっきりと伝わってくる。


 その熱量に充てられたのかどうかはわからない。


 才賀たちの前で店に入った客が、店内をフラフラと物色したあと、萌乃の小説を手に取り、読み始める。


 ページをめくり、さらにページをめくり、本を閉じる。


 そのまま戻すのかと思いきや、その客はさらにもう一冊手に取って、レジに向かった。


 おそらく1巻を読んで面白いと感じ、そのまま2巻も購入することにしたのだろう。


 ありがとうございました、という書店員の声が才賀たちのところまで届く。


「俺たちが大事にしなくちゃいけないのは、完璧を目指すことじゃなくて。そうじゃなくて――楽しみに待ってくれている人たちの期待に応えることなんじゃないのか」


 アニメ化を成功させるためには、確かに六手に有無を言わせない、完璧なシナリオを仕上げる必要があるのだろう。


 だが、それを目指すあまり、一歩も進めなくなってしまっては本末転倒なのではないか。


「だから萌乃。萌乃が紡ぐ物語を楽しみにしている人たちのために書こう」


「……でも、それで駄目だったら?」


「それならそれでいいじゃないか」


「え?」


「そもそもアニメ化にこだわるのは何でだ?」


「それは才賀くんのイラストをみんなに見て欲しくて……」


「そうだ。萌乃はアニメ化したいから小説を書いているわけじゃない。確かにアニメ化したらより多くの人の目に止まることになるだろうけど、アニメ化なんてしなくたって、多くの人の目に止まるような、そんな小説を発表し続ければいい。俺もがんばる。より多くの人の目に止まる、そんなイラストが描けるようになってやる。俺と萌乃ならきっとできる。必ずできる。だから萌乃。完璧じゃなくたっていい。萌乃が思う、最高に面白い物語を書けばいい」


 才賀は続ける。


「辺見さんだってわかってくれるはずだ。そもそもアニメ化の話が来た時、受けなくてもいいって言ってたくらいだし。まあ、でも、逃げるみたいで癪に障るぐらいは言うかもしれないけど。でも、それぐらいだ」


 才賀は萌乃の言葉を待った。


 萌乃は長く沈黙したのち、言った。


「……そうだよね。アニメ化しなくたって、わたしたちなら、多くの人の目に止まる小説、作れるよね」


「ああ、作れる。俺と萌乃は最強コンビだからな」


「コンビ? それだけ?」


「最強のコンビで、最高の恋人同士だ」


「うんっ」


 才賀が握る萌乃の手にぬくもりが戻ってきた。


「ありがとう、才賀くん。わたし、やれる気がしてきた。完璧じゃないかもしれない。でも、最高に面白いシナリオを書く!」


「ああ」


「大好きだよ、才賀くん。本当に大好き」


 肩を寄せてきた萌乃を才賀は抱きしめ、お互いのぬくもりを求め、交換する、そんなキスをした。




 それから三日後。


 才賀たちは打ち合わせに臨む。


 全13話のシナリオを携えて。

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