第11話 想定外の事態
どうせ書けるわけがないと、そう六手は考えていた。
萌乃は学生で、小説家といえども、所詮、WEBで連載していたものがたまたま人気になっただけで、それは素人に毛が生えたようなものに違いない。
六手が敬愛し、熱狂的に支持する愛奈とは全然違う。レベルが違う。次元が違う。
そう考えていた。
それでももし万が一、いや、億が一のことを考え、シナリオの〆切を厳しめに設定した。
とはいえ、プロのシナリオライターであれば、プロットから初稿を上げるのに、一週間もあれば充分である。
それなのに一週間も猶予を与えたのだから、むしろ感謝して欲しいくらいだとすら思っていた。
〆切が刻一刻と迫る。
萌乃からシナリオは送られてこない。
六手は笑いが止まらなかった。
苛木を排除し、原作者が自らシナリオを執筆する。
大言壮語だったことが判明し、今頃、顔を青くしているのではないか。
そんな姿を想像するだけで胸がスッとする。
だが、まだだ。その程度であいつらが許されていいわけがない。
愛奈のアニメ化の道は閉ざされ、その小説が絶版となったことを考えれば、もっと苦しませなければいけない。
〆切前日、遅くとも〆切当日には、やっぱりできないと根を上げるだろう。間違いない。
そうしたらすかさず、準備しておいたシナリオライターの候補者リストを先方に送るのだ。
今回は苛木のようなヘマはしない。
萌乃を下げるような言動をさせることができないのは腹立たしいことこの上ないが、それでもシナリオライターたちには、最低限のクオリティのシナリオを書くよう、言い含めてある。先方が誰を選んでも問題ない。
アニメ化は当然失敗し、萌乃たちには決して小さくない傷を負わせることができるだろう。
その時のことを思って六手は、ほの暗い喜びを感じていた。
だが、そうはならなかった。
〆切当日、シナリオが上がってきたのである。
腹立たしい。
さらに六手を苛立たせたのは、送られてきたのが全13話分のシナリオだったことだ。
この展開はまったく予想していなかった。
六手は奥歯を噛みしめる。まだ大丈夫だ。焦る必要はない。
急いで書いたはずで、辛うじてシナリオの体裁が取れているだけの、ゴミみたいなシナリオに違いない。そうだ。それ以外、考えられない。
だが、六手の希望は見事に打ち砕かれた。
重箱の隅をつつくように粗探しをする。そんなつもりで読み始めたはずなのに、気がつけば萌乃が書いたシナリオにのめり込んでいた。
粗がない。それどころか面白い。否、最高に面白い。
原作者が書いているだけあって、原作に忠実。
だが、原作小説には描かれていないキャラ同士のやりとりがあって、そういう意味では原作から逸脱しているはずなのに、まったく違和感がなく、むしろそれが作品に深みを与えていた。
それだけじゃない。
原作小説を見事に映像表現としてのシナリオに昇華されていて、感嘆の声が漏れ出る。
映像にする際、こうしたい、ああしたい、これならこういうふうに作ればもっと面白くなるのではないか。
いろいろなアイデアが膨らんでいく。
プロデューサーとして、いや、プロデューサーになる前までも、様々なアニメに携わってきた。
その経験の中でも、このシナリオは群を抜いて出来がよかった。
早くアニメにしたい。映像化したい。六手はそんな思いに突き動かされた。
――突き動かされてしまった。
だが、そこで六手は、
「は!?」
と我に返った。
敬愛する愛奈の仇に対して抱いていいものではない。
何が早くアニメにしたい、映像化したいだ。
「……ふざけるな」
六手は強く奥歯を噛みしめる。
萌乃を貶し、シナリオを貶し、とにかく徹底的に貶める。
そのためにはどんなことだってやる。
六手は昏い決意を固めた。
打ち合わせの日がやってきた。
時間どおりに、会社の会議室にやってきた才賀たちは当たり前のように自信に満ちあふれた顔をしていた。
六手にしてみれば、それは苛立ちしか感じさせないものだった。
シナリオの出来を考えれば、才賀たちの態度は当然かもしれない。
だが、六手は萌乃のシナリオを認めるつもりはなかった。
たとえどれだけ出来がよかったとしても。
絶対に、何があっても。
だから打ち合わせ早々、六手はそのことを告げた。
「いいところがまるでありませんでした」
「……それはつまり、どういう意味ですか?」
秋帆が、剣呑な眼差しをしていう。
「全然駄目で、つまり全ボツということです」
六手の発言に、萌乃が目を見開いて固まる。
秋帆は剣呑な眼差しはそのままに大きくため息を吐き出し、肝心の才賀はといえば――。
「……なるほど。最初から認めるつもりはなかったということか」
そんなことを言い出した。
才賀の言うとおりだ。だが、それを認めるつもりは毛頭ない。
「彩先生が何を仰っているのか、さっぱりわかりません。変な言いがかりはやめて欲しいですね。自分は事実を言っているだけです。13本ものシナリオを読まされて、むしろ苦痛でしかありませんでした」
そこで六手がため息を吐き出す。
「はっきり言わせていただきます。これだから素人は困るんです。原作者とはいえ、まるで使い物になりません。メディアの違いを理解して欲しいですね」
才賀が立ち上がった。
見れば、拳を握りしめている。
殴るつもりだろうか。それならそれでかまわない。傷害事件になれば、それはそれで面白い。才賀を追い詰める、いい材料になる。
そこまで考えて六手が笑った。
だが、そんな才賀の行動を止めるように、口を開く人物がいた。
監督の
「プロデューサー。あなたはこれを面白くないと言いましたけど、それは本気ですか?」
「もちろん本気です。当たり前じゃないですか」
そうでしょう、と六手は日寄に同意を求める。
日寄も苛木と同じ、今回のアニメ化を失敗させるために六手が集めたスタッフである。
実力はそこそこ。なので、監督として名前が売れているわけではない。
それでもこの業界でその仕事を長く続けられているのは、こちらの意をしっかり汲むからだ。
要するに、長いものに巻かれるのだ。日寄は。
そういう部分を六手は高く評価していた。これが他の監督なら、我が出て、扱いづらくて困ることになる。日寄にはそれがない。
「……そうですか」
六手の言葉を受けて、日寄が立ち上がった。
「監督?」
「自分はこのシナリオを最高に面白いと感じました」
日寄は言う。
「自分はこれまでの原作を消化するだけで、冒険しないシナリオにはげんなりしていたんです。視聴者のニーズに応えることは大事です。ですが、あまりにも度が過ぎるのではないでしょうか。これでいいのかとずっと思っていました。正直に言います。これならシナリオライターなんて必要ないとすら思っていました。でも、このシナリオは違います。最高でした。これが面白くないというのなら、自分はプロデューサー、あなたとは仕事ができません」
日寄が才賀たちに向き直る。
「このシナリオを自分に預けていただけませんか?」
「え?」
「このシナリオなら、映像化したいと思う人間はいっぱいいるはずです。ここで、このスタジオでアニメ化する必要はまったくありません。どうでしょう?」
「監督、何を言って――」
「黙ってください。あなたとは話していません!」
奥手は奥歯を噛みしめた。こいつは何を勝手なことを言っているのか。
なるほど、と秋帆が言う。
「ですが、あなたを信じることは難しいですよね。だってあなたはそちら側の人間のはずですから」
そちら側、と秋帆が言った時、六手を見た。
「確かにそう思われるのも当然でしょう。……いえ、告白します。実際、このシナリオを見るまではそうでした。ですが、今は違います。この作品のアニメ化に携わりたくてしょうがないんです。自分以外の誰かが監督になるなんて許せません! 自分が監督を務めたい。だからお願いします! 自分に監督をさせてください……!!」
秋帆が萌乃を見る。
いや、秋帆だけではない。才賀もだ。
「どうしますか、藻ノ先生?」
「……わかりました。お願いします」
萌乃が差し出した手を、日寄がうれしそうに握りしめる。
「では、場所を変えて打ち合わせをしましょう。ここでは何ですから」
秋帆が言い、
「確かにそのとおりだ」
才賀がうなずいて、出ていく。
呆然とすることしかできない六手を一人、その場に残して。
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