第9話 踊らされた者の成れの果て
萌乃の小説のアニメから降板して以来、苛木は些細な不運が重なり、ストレスが溜まっていた。
――タンスの角に足の小指をぶつけた。
――スマホを電車に置き忘れてしまった。
――コンビニでいつも買っているコーヒーが売り切れだった。
どうして自分がこんな目に。
自分は六手の求めに応じただけなのに。
苛木はアニメが好きで、しかし絵を描くことができず、それでも何とか業界で仕事がしたいと思う中、シナリオライターという職業があること知った。
専門学校に通って勉強し、念願かなってシナリオライターになった。
苛木は会社に所属しているわけじゃない、フリーのシナリオライターだ。
そんな苛木が、プロデューサーの意向を断ることなどできるわけないではないか。
まったく腹正しい。
とはいえ、あの後、六手からはフォローの連絡をもらった。
オリジナルアニメの企画を動かすから、打ち合わせを兼ねた飲み会を近々行うと。
あと、原作者サイドに対する苛立ちも書かれていた。
――先方の言うとおり、原作者がシリーズ構成を担当したり、すべての脚本を担当したりすることもある。
――だが、あの原作者にできるとは思えない。
――あの原作者は、元々、WEB上で小説を発表していただけの素人に過ぎない。
――多少は文才があるかもしれないが、それでも小説とシナリオ、それぞれに求められる技術はまったく違う。
六手の言うとおりだ。
小説とシナリオに求められる技術はまったく違う。
そもそもシナリオとは、文字で書かれた映像表現なのだ。
苛木は、六手のように萌乃をまったくの素人だとは思わない。
だがそれでも、彼女がそのことに気づけるとは思わなかった。
「せいぜい困ればいいんだ」
苛木はほの暗い思いに囚われながら笑う。
すべてのシナリオを担当すると言ったのは彼女だ。
シナリオが上がらず、最悪、アニメの話が流れたとしても、それは彼女が原因だ。
彼女の作品のアニメ化が失敗すればいいなどと、六手のように最初からそんなふうには望んでいなかった。
だが、今は違う。
苛木自身も六手と同じだけ、いや、むしろ六手以上に、萌乃のアニメ化が失敗すればいいと、心の底から願っていた。
そして、あの現場からは降板させられたが、自分を必要とする現場は他にいくらでもあると、苛木は気持ちを切り替える。
実際、あの後しばらくして、知り合いのシナリオライターから新しい現場に誘われた。
奇しくも今回もラノベ原作だった。
しかも萌乃の小説と同じでWEBで連載されていた小説が書籍化し、人気を博した結果のアニメ化。
ただし、ジャンルは違う。
萌乃の小説がかなりエッチなラブコメであるのに対し、この小説は異世界転生もの。
いわゆるファンタジーな世界に転生した高校生主人公が、異世界の女の子と恋人関係を築きながら、異世界を崩壊に導く神と戦う物語だ。
原作者自身が本読みと呼ばれる毎週の打ち合わせにくる現場で、苛木は3話目を担当。
1話目、2話目と様子見していた視聴者が、今後も継続してそのアニメを視聴するかどうかを判断する、ターニングポイントになる話数だ。
責任重大である。
初稿に入る前、プロットを作成するのだが、そのプロットを見せた時、原作者には絶賛された。
どうやら原作者は、苛木の評判をどこからか聞いたらしい。
『苛木さんに参加して欲しいと言ったのは他ならぬ自分なんです』
まさか原作者自身に請われるとは。
同業であるシナリオライターや、親しくなったプロデューサーから仕事を回されることはあっても、原作者から望まれて現場に参加したことはこれまでなかった。
『この最高のプロットがどんなシナリオになるのか。楽しみにしています!』
苛木は笑いが止まらなかった。
自分を降板させたことを後悔しろ。
自分はこんなに求められている。
さらにいえば、今回参加することになったアニメの放送時期は、萌乃たちのアニメの放送時期とぴったり重なる。
つまり、このアニメを最高のものに仕上げることで話題も売上も独占。
萌乃たちのアニメを潰すことができるのだ。
それは何と素晴らしいことだろう。
ますますこの作品に力が入るというものだ。
そういうわけで、苛木はこの作品のシナリオに全力を注いだ。
原作を上手く落とし込み、いい感じにまとめることができた。
他の現場なら、これを初稿として提出していただろう。
だが、苛木はそれを全ボツにした。
「いい感じじゃ駄目だ……最高のものに仕上げないと!」
二稿も全ボツ、三稿も同じ。
四稿あたりで道筋がおぼろげに見えてきた。
そうやって稿を重ね、最終的に八稿までやった。
「これだ!」
ようやく納得のいくものが完成した。
疲労困憊だったが、筆がかつてなく進み、苛木の精神は満たされていた。
そうして最高のシナリオをもって、苛木は本読みと呼ばれる打ち合わせに臨んだ。
制作会社の会議室に原作者をはじめとする関係者が一堂に会し、プロデューサーが司会進行役を務める形で本読みが始まった。
まずは1話目のシナリオから。
問題点があればそれを指摘し、担当したシナリオライターが代替案を提示。
その場で解決する場合もあるし、解決しない場合、持ち帰って修正することになる。
1話目、2話目とも、キャラクターの語尾などの軽微な修正だけだったので、その場で決定稿になり、いよいよ苛木の番だ。
「自分ではまあまあいい感じにできたんじゃないかと思うんですけど」
最高の出来になったという内心を隠し、苛木は告げる。
「確かにいい感じだ」
プロデューサーをはじめ、他のシナリオライターも、苛木の言葉に賛同する。
果たして原作者の反応はどうか。
「……うーん」
腕を組んで、首を傾げていた。
「あ、あれ……もしかしてどこかおかしかったですか?」
まさかそんなことあるはずがないと思いながらも、苛木が尋ねれば、
「あ、いや、確かにシナリオ単体で見ればまあまあいい感じだと自分も思うんですけど……」
奥歯にものが挟まったような言い方である。
「……すみません。変な言い方になってしまって。もっとはっきり言った方がいいですよね」
原作者が申し訳なさそうに言った。
「全修正、お願いできますか?」
「……え?」
何を言われたのか理解できなかった。
「ぜ、全修正ですか!? 部分修正とかじゃなくて!?」
「本当にすみません! プロットの完成度が高かったからですかね。すごく期待していたんですけど……」
原作者が頭を掻く。
「何ていうか、『これじゃない感』が強いというか……。もう一度最初からすべて書き直してみて欲しいんです」
苛木はプロデューサーを見た。
アニメの現場では、原作者の言い分がすべて通るとは限らない。
原作者が黙らされることもあるのだ。
一応、『先生のご意向』として伺いはするが、それはそれとして無視されるのである。
原作は原作、アニメはアニメですから、と。
苛木の視線の先で、プロデューサーが首を横に振る。
どうやら今回の現場は原作者の意向が優先されるらしい。
正直なことを言えば、内心は激しい怒りに燃えていた。
自分史上最高のシナリオがこれじゃない?
何をふざけたことを言っているのか。
しかし――。
「苛木さんならできると思うので……お願いできますか?」
苛木ならできる。
原作者にそこまで言われれば、こちらとしても応えようという気持ちにもなるものだ。
「わかりました。やってみます」
「ありがとうございます! 楽しみにしています!」
原作者のうれしそうな声に、苛木はまんざらでもなかった。
全修正という結果は、駆け出しの頃ならともかく、中堅の域に達した今、さすがに初めてだったが、やってやろうじゃないかと気を引き締め直した。
次の本読みは1週間後だ。
苛木にはこの現場の他にもレギュラーで入っている現場が二つほどあり、平行して作業を進めることになった。
前回以上に原作小説を読み込んで、シナリオに落とし込んでいく。
今回のシナリオでは、展開上重要ではないと削ってしまったキャラクターのやりとりを盛り込んだ。
手応えはあった。
そうやって完成したシナリオを読み返すことで、気づくことがあった。
前回のシナリオは「こんなものでいいだろう」そんな気持ちでいたかもしれない。
ちょっと傲慢になっていたかもしれない。
それに気づかせてくれた。
また、新人だった頃の気持ちも思い出すことができたのは、いい経験だった。
ただ、こちらの作業に集中するあまり、他の二つの現場では全修正まではいかないまでも、そこそこ大きい修正をするシナリオを提出してしまったのはいただけない。気をつけなければ。
苛木は意気揚々と本読みの現場に向かった。
他のシナリオライターの4話目、5話目のプロットの打ち合わせが終わる。
問題点は特になく、来週は初稿を提出する流れに。
苛木の3話目、二稿が俎上に載せられる。
「……すみません、苛木さん。今回の二稿も、その、これじゃないです」
本当に申し訳なさそうに、原作者が告げる。
「苛木さんのシナリオ、本当に、すごく楽しみにしていて」
そう言われてしまうと、苛木は怒るに怒れなかった。
「……わかり、ました。ですが、これじゃないだけじゃ方向性がつかめません。何かしら指針になるようなことはないですか」
「あ、えっと……これ以外のものを出していただきたい、です」
修正で一番難しいのがこれだ。
――これ以外のものを出して欲しい。
原作サイドにしてみれば、自分以外の誰かが描く自分の世界に違和感を覚えるのは当然で、こういった感覚に陥るのは理解できる。
だが、シナリオを書く側の苛木にしてみれば、それだけを言われても困るのだ。
キャラクター像が違うというのなら、それを修正すればいい。
話の展開がマズいのなら、やはりそれを修正すればいい。
だが、そのどれでもなく、とにかく「これ以外のものを出して欲しい」とだけ言われても、とっかかりがなさ過ぎる。
初稿、二稿と、自分の全力を打ち込んでシナリオに取り組んできた苛木は、途方に暮れることしかできなかった。
苛木が3話目のシナリオでもたついている間に、他のシナリオライターたちは新しい話数の作業を順調に進めていき、シナリオを決定させていく。
苛木は自分だけが遅れている状況に焦りを覚えた。
とはいえ、こうやって何度も没になること自体、経験していないわけではない。
駆け出しがそうだった。
これぐらいでへこたれていてはプロとは言えない。
掛け持ちしている他の現場は作業が全体的に進んでいるため、自分が多少遅れても大丈夫だ。
なので一回、休みをもらい、こちらのシナリオに集中することにした。
気持ちを改め、もう一度、原作小説を読み直す。
前回、前々回のシナリオも参考に、どうすればいいのか、その方向性を探る。
できた。今度こそ納得のいくシナリオに仕上がった。
何より今回のシナリオが素晴らしいのは、原作を何度も読み返したことで気づくことができたキャラクターの内面描写を映像として過不足なく表現できたことだ。
そうやって仕上がったシナリオを見れば、確かにこれまでのシナリオは苛木自身ですら「これじゃない感」を覚えるものだった。
そうやって胸を張って提出した三稿だったのだが……。
「苛木さん、すみません! 本当にすみません……! あの、今回も……」
苛木だけが同じ話数のシナリオを四稿、五稿、六稿と書き続ける。
周囲は「大丈夫」「気にするな」と言うが、それは苛木にとって何の気休めにもならなかった。
掛け持ちしていた他のレギュラー番組にも影響が出始めた。
どうやら苛木が何度も全ボツを出しているという噂が出回っているようで、苛木のシナリオで問題点が発生すると「修正できるのか」「完成させることができるのか」という声が囁かれ始めたのである。
実際、こちらのシナリオに気を取られていて、今までならあり得ないミスを連続でしでかしていることが、それに拍車をかけた。
早く何とかしないとマズい。
本格的に焦り始めた苛木は必死になってシナリオを完成させるが、
「本当にすみません、苛木さん……!」
シナリオは決定稿になかなかならなかった。
いよいよ精神的に追い詰められた苛木は、とうとう他の現場でもシナリオの修正をすることができなくなってしまった。
「苛木くん、しばらく休んだ方がいいよ」
プロデューサーからかけられた言葉はやさしいが、実質クビ宣言だ。
……何でこんなことに?
だが、落ち込んだり、悩んだりしている暇は、苛木にはなかった。
他の現場をクビになってしまった以上、今、ここで踏ん張るしかない。
ここで踏ん張って、何とか完成させ、自分はできることを見せつけなければ、他のどの現場にも呼ばれなくなる。アニメ業界は狭いのだ。
苛木は鬼気迫る勢いでシナリオを完成させる。
しかし――。
「これじゃ駄目だ! こんなのを出したらまた全ボツになるに決まってる!」
最初の頃はクオリティアップのために自主的に全ボツにしていたが、今の苛木は全ボツにならないために全ボツにするという、本末転倒な状況に陥っていることにも気づかない。
ギリギリのところで何とか踏みとどまりながら、ようやく何とかいけるのではないかというシナリオを提出。
祈るような気持ちで本読みの場に出る。
原作者の顔を見るのが恐かった。
いや、原作者だけじゃない。
同業者、プロデューサーも同じ。
原作者が言った。
「苛木さん、ごめんなさい。今回も……」
駄目だったらしい。
項垂れる苛木に、プロデューサーが言った。
「これ以上はスケジュールが間に合わなくなってしまうので……今までありがとうございました」
クビだった。
ここが最後の砦だったのに。
苛木はのろのろと顔を上げ、すがるような眼差しを原作者に向ける。
苛木に参加して欲しいと言ったのは原作者だ。
なら、原作者が苛木のクビを望むだろうか。
「残念です、苛木さん。苛木さんにはとても期待していたんですけど」
苛木はばっさりと斬って捨てられた。
その瞬間、苛木の心はぽっきり折れた。
だから、それから先、原作者の言葉は苛木には届かなかった。
「聞いていたんですよ、苛木さんの評判。以前、大変お世話になった編集から。スカスカの原作を最低限見られるアニメに何度もしてきたという実績がある、と。なので安心して欲しい、と。そんなにすごい人なら、ぜひ自分の小説のアニメに参加してもらわないと! って思ったんですけど」
本当に残念です、と原作者。
「あ、3話目のシナリオは自分が担当しますから。オンエアー、ぜひ楽しみにしてくださいね」
苛木はシナリオライターを引退。
夢だった世界から退場した。
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