第6話 初めてのアニメ打ち合わせ


 才賀が池巣に表紙や口絵、本文イラストのラフを提出してから、数日が経っていた。


「……おかしい」


 才賀の独り言が部屋の中にこぼれ落ちる。


 池巣からの連絡がないのだ。


「何かを企んでいる……?」


 卑怯な手を使って、才賀に仕事を受けさせるような人物である。


 そう考えるのが自然だろう。


 やはり、才賀が提出したものすべてを全ボツにして、新しく描かせるつもりなのかもしれない。


「それならそれでいい」


 何も問題はない。


 萌乃の小説のイラストを描く合間に、既に前回を上回る量のラフを用意してあった。


 合間時間に描いたからといって、しかも量を用意するためだからといって、まったく手は抜いていなかった。


 質も量も大事にした。


 それは、池巣に変な言いがかりをつけられないためだ。


 とはいえ、やはり萌乃の小説のイラストには劣ってしまうのは仕方のないことだった。


 池巣に渡された小説も確かに面白くはあったが、普通に面白い程度で萌乃のそれには遠く及ばない。


 それは萌乃が自分の彼女だからとか、そういった欲目は一切抜きにしての判断だ。


 このまま池巣からの連絡を待ち続けるというのも、何となく気持ちが悪い。


「よし」


 才賀は自分から連絡をしてみることにした。


 直通であるスマホの番号も教えてもらっていたので、かけた。


『――あなたがお掛けになった電話番号は、現在使われておりません。電話番号をお確かめになって、もう一度お掛け直し下さい』


 どういうことだ。通じないなんて。


「仕方ない」


 才賀はCG文庫編集部に電話した。


 池巣に繋いで欲しいと告げたのに、繋がれた先は編集長を名乗る人物だった。


 戸惑っていると、さらに驚くべきことが告げられた。


『池巣は関連会社に異動しました。彩先生は今後、私が担当させていただきます』


 のちに、池巣が異動したという関連会社を検索してみたところ、地方の不動産を取り扱っているところであることが判明した。


 編集者だった人間がいったい何をすれば、そんなところに異動することになるのか。


 才賀にはさっぱり理解できなかった。


 それよりも才賀が気になったのは、萌乃のアニメ化についてである。


 編集長も池巣と同じことをしようとするのだろうか。


 あるいは、編集長が今回の件を主導したという可能性だってある。


 秋帆が言っていた。


『彩先生は、今、赤丸急上昇中のイラストレーターですからね』


 萌乃も続く。


『才賀くんは本当にすっごいイラストレーターなんだから! わたしの小説がたくさんの人に読んでもらえているのは、才賀くんのイラストのおかげなんだから!』


 そんなことはない。


 萌乃の小説が多くの読者を獲得したのは、萌乃の小説がそれだけ面白いからだ。


 才賀のイラストも少しは貢献しているかもしれないが、それは本当に微々たるものだ。


 しかし、そんな才賀の言葉を、萌乃も秋帆も否定する。


 確かに才賀と仕事をしたいと思う作家や編集者が多くいることは知っている。


 実際、SNSを通じて接触してくる者は後を絶たない。


 だが、それがどうしたというのだろう。


 才賀は萌乃の小説のイラストを描いていられれば、それだけでしあわせだった。


 そんな才賀の思いを聞いて、萌乃が、


『才賀くん、ありがとう』


 そう言ってくれたら、それで充分なのだ。


 何にしても、今後のこともある。


 はっきりさせておいた方がいいだろう。


 そう考えた才賀は、単刀直入に聞いてみた。


 果たして編集長の反応は、才賀が想像していたものではなかった。


 絶句し、それから慌てて謝罪したのである。


 そしてこう続けた。


『……そういう経緯で仕事をすることになったのなら、今回のことはなかったことにしていただいてもかまいません』


 誠実さを感じさせる、強い決意を秘めた声だった。


 おそらく、編集長は今回の件に関わっていないだろう。


 才賀はそう感じた。


 その上で、編集長の提案をどうするか。


 そんなのは考えるまでもなかった。


 続けることにしたのだ。


 一度引き受けた仕事だからという、そういう理由ではない。


 萌乃が『才賀くんが別の作品のために描くイラスト、実はちょっぴり楽しみにしている……かも』と言ってくれたことが、まったく関係ないと言ったら嘘になるが、実際にはこういう理由だ。


 ここで今回の話を断ることで、また何か言いがかりをつけられるかもしれないと考えたのだ。


 だから断るかわりに、こういう約束を取り付けた。


「そちらと仕事をするのは、これが最初で最後ということにしてください」


 ただの口約束で終わらせることをしなかったのは、秋帆の入れ知恵だ。


 きっちり書面に残した。


 もちろん、編集長のサインと実印入りでだ。


「これで萌乃の小説のイラストに集中できる」


 後日、才賀が打ち合わせの席で、思わずそう漏らせば、


「そんなに藻ノ先生のイラストを描きたいんですか?」


 秋帆がからかう口調で言ってきた。


 才賀の返事は決まっていた。


「当たり前だ。俺が心の底からイラストを描きたいと思うのは、萌乃の小説だけなんだから」


「さ、才賀くん……!」


 それ以上は言わないで欲しい、そんな感じで萌乃が才賀の服の裾を引っ張ってくる。


 真っ赤な照れまくった顔で。


 俺の恋人がかわいすぎる。


 そう思った才賀は、気がつけば萌乃を抱きしめていた。


 いや、抱きしめるだけじゃ足りない。


 それで終われるわけがない。


 胸の奥から溢れてくる萌乃への思いを確かに伝えたかった。


 だから萌乃の首元に顔を埋めるようにして告げた。


「好きだ、萌乃。大好きだ。ずっと、ずっと――」


 秋帆が呆れたような眼差しを向けてきた。


 違う、眼差しだけで終わらなかった。


「そういうイチャイチャはふたりきりの時だけにして欲しいんですけど」


 才賀の答えは決まっていた。


「それは無理な相談だ」


 萌乃はさっき以上に照れて、才賀の抱擁から逃れようとしていたが、今のかわいすぎる萌乃を逃すつもりは才賀にはなかった。


「萌乃がかわいすぎるのがいけない」


 熱のこもった声で告げれば、萌乃は抵抗する力を失い、まるで甘えるように才賀に体重を預けてきた。


「……もうっ、もうっ」


 本人は怒っているのかもしれないが、まったく恐くなく、むしろ愛おしさが増すばかりだった。




 それからしばらく経って、萌乃の小説の2巻が発売された。


 秋帆は言った。


「1巻が売れに売れまくりましたからね。今回はかなり強気の部数を刷ってみましたよ!」


 聞かされた部数は確かに驚くべきものだった。


 1巻の時よりだいぶ、いや、かなり多かったのだ。


 だが、それでも


 しかも足りないことがわかったのは、発売前だった。


 ゆえに、萌乃の小説の第2巻は、発売前重版が決定した。


「正直に言います。発売前重版という、この結果は見えていませんでした」


 秋帆がうれしさ半分、悔しさ半分といった表情で白旗をあげた。


 さらにこのあと、2巻は何度も増刷を繰り返すことになる。


 いや、2巻だけではない。


 あれだけ増刷を重ねたはずの1巻でさえ、繰り返し繰り返し、何度も増刷を重ねることになるのだった。


 そうして才賀たちが順調すぎる日々を過ごす中、アニメに関する打ち合わせをすることになった。


 打ち合わせ場所である制作会社にやってきたのは、才賀と萌乃、それに秋帆の三人。


 制作会社の社長を名乗る人物に出迎えられ、会議室に通される。


 そこにはすでに数人の人がいて、挨拶とともに名刺交換が始まった。


 制作会社の社長にしてプロデューサーでもある六手ろくて茂内しげうち


 監督を務める日寄じつよりみのる


 他にもキャラクターデザインを務める者などもいた。


 才賀と萌乃はこの日のために用意しておいた名刺を渡した。


 萌乃は緊張した様子を見せていたが、才賀が隣にいることを示すことで、落ち着きを取り戻すことができた。


「ありがとう、才賀くん」


 笑顔になった萌乃に、才賀はうなずいてみせた。


 名刺交換も終わって、これで打ち合わせが始まるかと思ったのだが、そうはならなかった。


 というのも、遅刻している人物がいるというのだ。


「シナリオライターが遅れておりまして」


 六手が申し訳なさそうに告げる。


 あと10分程度でやってくると連絡が入っているということなので、その間、世間話をすることになった。


 話題は、発売されたばかりの2巻のことが中心になった。


 売れ行きが好調なことを、主に秋帆がメインとなって得意げに伝えれば、


「それはすごいですね! いやあ、そんなすごい原作小説のアニメ化を担当させていただけるなんて光栄です……!」


 六手は心の底から本当に思っているという感じの表情で褒めてくる。


 萌乃だけではない。六手は才賀のイラストも褒めちぎった。


「学生生活を送りながら、こんなすごい絵を描いているなんて! 僕は自分に話を作る才能も、絵を描く才能もないから、そういうことができる人を尊敬します」


 きらきらした目で見つめられれば、うれしい気持ちよりも、むずがゆい気持ちの方が大きかった。


 それは萌乃も同じようだった。


 才賀と萌乃は顔を見合わせ、照れくさいような、面映ゆいような、何とも落ち着かない気持ちで、遅刻しているシナリオライターが到着するのを待った。


 それからほどなくして、シナリオライターがやってきた。


 柔和な顔立ち。縁なしの眼鏡をかけている以外、これといった特徴のない、30代の男だった。


 六手たちに向かって謝罪をしたあと、空いている席に着いた。


苛木いらきくん、こちらにいらっしゃるのが――」


 六手が才賀たちを紹介しようとしたのだが、


「ああ、はい。大丈夫です。原作サイドの先生方ですね。どうも苛木です」


 それで終わりだった。


 六手たちにはした遅刻してきた謝罪が、才賀たちにはなかった。


 六手たちにした際、こちら側も聞こえていただろうと考えたのかもしれない。


 だが、


「……感じ悪いですね」


 秋帆の呟きに、才賀はうなずいた。


 何となく嫌な感じを覚えたが、打ち合わせは始まり、何事もなく進んでいった。


 今後考えている小説の展開やキャラクターに声を当てるキャストに関する要望、他にもあれこれ訊ねられ、秋帆のサポートを受けながら、萌乃がメインで答えていく。


 イラスト関係の話題になった時は才賀が答えた。


 そうして打ち合わせが終わる――という空気になった時、爆弾は投下された。


 六手が苛木に対して、何かないかと言い、苛木がこう言ったのだ。


「僕はをこれまで多く請け負ってきたので安心してください。最高の作品に仕上げることは無理ですが、最低限見られるものにはしますから」


 と。


 こういう作品。


 最高の作品にすることは無理。


 最低限見られるものにする。


 まるで萌乃の小説に何かがあるみたいな、含みを感じさせる言い方だった。


 どういう意味か問いただそうした才賀だったが、それより先に秋帆が噛みついた。


 すこぶるご機嫌な笑顔を浮かべながら苛木を睨みつけるという、器用さを発揮しながら。


「あの~、それはいったいどういう意味でしょう? まるでこちら側に何か問題があるみたいに聞こえたんですけど……まさか、そんなことあるわけないですよねぇ?」


「よかった。僕の発言は正しく伝わったみたいですね。……ええ、そうです。問題があると僕は思っています」


 苛木はちらりと萌乃を見て、それから秋帆に視線を戻した。


「正直に言わせていただけるのなら、原作の中身がスカスカすぎて、アニメにするのが大変なんです。ご存じですか? 今時は原作を忠実にアニメ化しないと、改悪だ何だと僕たち制作陣が叩かれることを。原作がしっかりしているのならそれもできます。けど、こうまで中身がない原作では?」


 苛木はそこで言葉を切った。


「最高の作品に仕上げるのは無理だと、さっき僕は言いましたよね? はっきり言いましょう。最低限見られるものに仕上げることがせいいっぱいなんです、この原作では」


 ですが、と苛木が続ける。


「先ほども言ったとおり、僕はこういったスカスカの原作を最低限見られるアニメに何度もしてたという実績があります。なので安心してください」




 初めてのアニメ化の打ち合わせが終わった。


 最悪な空気だった。


 プロデューサーである六手が苛木の発言を撤回させようとしたが、苛木は最後まで撤回しなかった。


 一応、


『傷つけたのでしたら謝ります』


 とは言っていたが、きっと本心からではないだろうと才賀は思っている。


 実際、苛木の表情や態度からは、微塵も申し訳なさみたいなものが伝わってこなかったからだ。


 六手に言われたから。だから仕方なく言ったのだろう。


「藻ノ先生、大丈夫ですよ」


 帰り道で、秋帆が言う。


「あんな奴の言うことなんて気にしなくていいです。とっとと忘れてください。藻ノ先生の小説は本物なんですから」


「本物?」


 秋帆が何を言い出すのかわからず、才賀は問い返した。


「ええ、そうです。藻ノ先生の小説は面白いです。これは疑う余地がありません」


 まったくそのとおりだったので、才賀はうなずいてみせる。


「ですが、ただ面白いというだけで重版が決まるほど、ラノベ業界は世界じゃないんです」


 秋帆が笑った。凄みすら感じさせる、そんな感じで。


「面白いだけじゃ足りない。プラスアルファで何かがないといけないんです。その何かを藻ノ先生の小説は持っている。だから自信を持ってください。藻ノ先生の小説は、あんな奴の言葉に打ち負かされるほどスカスカじゃない。確かな力があるんです」


 以前、秋帆から聞いたことがある。


 編集者として、自分が担当してきた作品は、すべて面白いと思って出版してきた。


 だが、それでもすべての小説が売れたわけではないと。


 作者が死にものぐるいで書いて、イラストレーターも編集者も一丸となって作っても、それでも売れず、続きを出すことが叶わなくなって、終わってしまった小説がたくさんあると。


 続きを出すことができるほど売れて、しかもメディアミックスまでできるのはごくわずかの限られた小説だと。


「藻ノ先生の小説はそれなんです」


「俺も辺見さんの意見とまったく同じ……いや、ちょっと違うか」


「え、違うんですか?」


 秋帆が驚いたように言う。


 大げさに驚いているところをみると、才賀が何を言い出すのか楽しみにしているみたいだった。


 才賀はそのことに少しだけ苦笑してから、表情を引き締め直して萌乃を見た。


 真っ直ぐに、その大きな瞳を見た。


「俺は誰のどの小説よりも、萌乃の小説がすごいと確信している。いつも言ってるけど、恋人だからとか、そういう欲目は一切ない。本当に、純粋に、心の底からそう思ってる。萌乃の小説は世界で一番すごい小説だ」


「秋帆さん、才賀くん……ふたりともありがとう」


 そう言って萌乃は確かに笑ってくれたが、いつもみせてくれる笑顔とは違って、どこかぎこちないものだった。

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