第5話 無能の末路
池巣はCG文庫編集部の自分の席で、しばらくの間、呆然としてしまった。
才賀からメールが送られてきた。
キャラクターデザインにOKを出し、次に送られてくるイラストは、カバー、口絵、本文イラストのラフの予定だった。
実際、才賀から送られてきたメールには、それらが添付されていた。
ただし、その量が想像を遥かに超えていた。
誰が数百点近く送られてくると想像できるだろう。
質より量を選んだわけではない。
量が多すぎてまだ全部に目を通すことができず、ざっとしかチェックしていないが、それでもわかった。
添付されていたラフはすべて、どれも手を抜いていなかった。
すべて全力で描かれていた。
池巣は才賀の技量を甘く見積もっていたことに気づくと同時に、才賀の才能に圧倒されていることにも気づかされ、口紅によって真っ赤に染まった唇を思いきり噛みしめた。
――ああ、どうして。
どうしてこんな感情を抱かなければならないのだ。
ラノベ作家もイラストレーターも、すべては自分という存在を高るための
失敗はクリエイターの責任であり、成功は自分の功績。
それが池巣の基本的な考え方だった。
アニメ化作家になるはずだった愛奈にだって、「まあできる方か」とは思ったが、こんな感情は抱かなかった。
踏み台ごときが自分を圧倒することなどあってはならない。
池巣にとって、そんなことは断じて許されないことだった。
――ならばどうする?
池巣の中に、ほの暗い欲求が生まれる。
「……潰せばいい」
自分の手元に置いてこき使うことを考えていたが、方針転換だ。
これだけの量を描けるというのなら、まだまだ描けるということだろう。
実際、自分はこれだけ描けるのだと自慢しているのかもしれないし。
このすべてを没にして、まったく同じ量――いや、倍以上のラフを送らせることにしよう。
当然、倍以上送られてきたラフも没にして、さらに倍、倍、倍と増やしていく。
無茶? 理不尽?
それがどうした。
自分が――編集がいなければ、ラノベ作家もイラストレーターも仕事ができないではないか。
そうやって才賀を潰すのだ。
最後にこう告げるのを忘れてはならない。
お前は所詮、自分の踏み台だったのだと。
その時、才賀はどんな顔をするのだろうか。
池巣は、笑みというにはあまりにも醜悪な形に口元を歪める。
才賀が真実を知った時、どんな顔をするか想像するだけで、池巣の胸の中に生まれたほの暗い欲求が満たされ、気持ちよくなる。
しかし、そう考えると、キャラクターデザインを一発OKしたのは軽率だったかもしれない。
ストレスを感じた時、他のラノベ作家やイラストレーターたちにやったみたいな、意味のないリテイクを散々繰り返しておけばよかった。
思えば、あの時も才賀の才能の片鱗に圧倒されていたのかもしれない。
まったく忌々しい。
池巣が小さく舌打ちをしていると、編集長から別室に来るように言われた。
「わかりました」
と返事をして、移動するために席を立った編集長のあとについていく。
先日、才賀をイラストに起用することができたと報告した時には、ずいぶんと驚かれたものだった。
しかし同時に、よくやったと褒められもした。
池巣が才賀をイラストに起用できたという情報は編集部で共有され、同僚たちの自分を見る目が変わった。
同情や憐憫だったものが嫉妬へ。
それがとても心地よかった。
さて、今日の呼び出しは、いったい何だろう。
才賀のこと?
それとも別の作家の作品のコミカライズが決まったことだろうか。
コミカライズ程度ならこれまでも経験しているので、それほど気持ちよさは感じない。
作家は喜んでいたが、池巣にしてみれば「まあ、いいんじゃないか」ぐらいなものだ。
別室に入ると、席に着いた編集長が、いつになく深刻そうな表情をしているのに気がついた。
「大変なことをしでかしてくれたな」
編集長が言うには、複数の作家が作品を引き上げると言い出したらしい。
それだけだったなら、それほど問題はない。
そういうことも時々ではあるが、あるからだ。
では、いったい何が問題だというのか。
それは、引き上げるといわれた作品の中に、今現在、アニメ化企画が水面下で進んでいるものがあったのだ。
「続きも、うちでは絶対に出さないと言っている」
愛奈の件でダメージを受けたばかりだというのになんでこんなことにと、編集長が苦い声を絞り出す。
編集長の立場なら、確かにそう思うのは当たり前だと思うが、
「あ、あの、編集長……? それと私に、いったいどういう関係が……?」
池巣には、それがさっぱりわからなかった。
「そんなのはこっちの方が知りたい! 池巣くんを名指しして、君がいるからうちでは書かないと作家たちが言っているんだ! 君はいったい何をしてくれたんだ……!?」
何だそれは。
あまりにも寝耳に水の話に、池巣は驚くことしかできなかった。
「わ、私は何もしていません……!」
「それなら、どうして作家たちはこんなことを言い出したんだね!?」
「それは……よくわかりませんが……」
「……何にしても、君には
編集長が何を言っているのか、池巣には理解できなかった。
目の前から編集長がいなくなって、どれくらい経っただろうか。
呆然としていた池巣は我に返って、目の前の机に、思いきり手を叩きついた。
「私が異動!? あり得ない……!」
だが、編集長は確かにそう言った。
池巣には
どの部署に異動することになるかは、現時点では不明。
ただ、決まるまでは休みを取るようにとも言われた。
「何で何で何で何で何で何で……!?」
わけがわからなかった。
こんな理不尽が許されていいのか?
「……そうだ」
作家に連絡を取り、取り下げをやめさせればいい。
そうすれば問題はなくなる。
池巣はスマホを取り出し、作家に連絡を取る。
「え……?」
連絡がつかなかった。
いや、違う。そうではない。
着信拒否されているのだ。
「どうして……!?」
片っ端から連絡して、ようやく繋がったのはイラストレーターのRAEIだった。
『池巣さん、お疲れさまです。ちょうど僕も連絡しようと思っていまして――」
RAEIが何か言っていたが、池巣はそれを遮った。
「どうして私がいたら編集部にいたら仕事をしないって言うんですか!? たかが作家やイラストレーターごときに、そんな権限があるとでも本気で思っているんですか!?」
『……あなたの、その僕たちを下に見る態度は、正直、嫌悪感すら抱いていました。僕たちを都合のいい駒――いや、踏み台かな? そんなふうに思っていることも、薄々感じていましたし。それでもあなたと仕事をしていたのは、最低限の仕事はできていたからです』
「さ、さい、最低限……?」
この自分の仕事が?
『ええ、そうです。あなたのレベルはその程度だ。僕は最高の仕事をする人を知っている』
そう語るRAEIの口調は、まるで熱に浮かされるような感じだった。
『どうしてあなたが編集部にいたら仕事をしないか、でしたっけ。それはですね。あなたがあの人を、僕の女神を困らせるようなことをしたからです』
もう二度と連絡をしてこないでください。
そんな言葉を最後に、通話は一方的に打ち切られた。
「ひ、ひひ……」
池巣以外に誰もいない会議室に、池巣の引きつった笑い声がいつまでも響き渡った。
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