第4話 ちゃぶ台返し


 それは才賀が自宅のリビングで、家族とともに夕食をとっていた時のことだった。


 妹の澄江すみえが本当に何気ない感じで言ったのだ。


『今日、お兄ちゃんと彼女さんの小説、クラスメイトが読んでるのを見かけましたよ』


 と。


 澄江はもちろん家族も、才賀がイラストレーターとして活躍していることを知っている。


 小説もちゃんと読んで、面白かったと言ってくれた。


 澄江に至っては、購入特典目当てではあったが、5冊も購入してくれたりした。


 特典なら秋帆からもらったものがあると才賀が言ったのだが、澄江は不敵に笑うとこう言った。


『お兄ちゃんはわかっていませんね。本当に欲しいものは自分のお小遣いで手に入れてこそ、価値があるんですよ』


 澄江の小遣いは決して多くない。


 毎月、何を購入するか、頭を悩ませている姿を見てきた。


 欲しいものがいっぱいあるから厳選するのだと、腕を組み、眉間に決してかわいくない皺を寄せてそう言っていた。


 それなのに、萌乃の小説は購入した。


 してくれた。


 5冊もだ。


 それだけの価値が萌乃の小説にはあると言っているようなもので、うれしくないわけがなかった。


 才賀は知っているのだ。


 萌乃が必死な思いで小説を書いていることを。


 面白いものを書きたいと、がんばっている姿を恋人として、同じ物語を作り上げる相棒として、見てきたから。


 澄江の話はこんなふうに続いて、そして締めくくられた。


『そのクラスメイトはお兄ちゃんたちの小説をすごく楽しそうに読んでいました。何て言うか……そう、とてもしあわせそうな顔で!』




 夜遅くになり、才賀はベッドに入ることなく、PCに向かっていた。


 イラストを描いているのだ。


 目の前のイラストに意識を向けながらも、頭の片隅で考えていることがあった。


 それは澄江の話に出てきたクラスメイトのことだった。


 より厳密にいえば、クラスメイトと同じ、萌乃の小説の読者のことである。


 1巻が今も増刷され続けていることを考えれば、その数はかなりのものになるに違いない。


 けど、と才賀は思う。


 そんなものでは、全然足りない。


 萌乃の、圧倒的に面白い小説を、もっともっと多くの人に読んでもらいたい。


 そのためのチャンスなのだ。今回のアニメ化は。


 だから、と才賀は呟く。


「邪魔はさせない。絶対に」


 改めて決意を固めた時だった。


 スマホに着信があった。


 ディスプレイを見れば、秋帆である。


『こんばんは、彩先生。今、お時間いいですか?』


「どうしたんだ、こんな時間に?」


『それを言うならこっちの台詞なんですよね。彩先生、一応、学生だったりするわけですし。学生なら寝てないといけない時間じゃないですか』


「一応も何も、歴とした学生なんだけど」


『まあ、そういう説もありますけど』


 それ以外の説は存在しない。


『進捗を聞いておこうと思いまして。どうです?』


「3巻のイラストなら、カバーと口絵のラフが数十点上げたところで、今は本文イラストの方に取りかかってて――」


『相変わらず彩先生は手が早い――じゃなくて!?』


「じゃなくて?」


『私が聞いてるのはあっちの進捗です!』


 秋帆にそう言われて、才賀は「ああ」と吐息を漏らした。


「CG文庫編集部の仕事なら、とっくに提出済みだ」


 原稿と同時にキャラクター設定を渡された。


 まずはキャラクターデザインが欲しいというので、渡されたものを読み込んでから、描いて提出。


 当然あると思っていたリテイクがないままキャラクターデザインにOKが出て、カバー、口絵、本文イラストの指定がきた。


 おかしい。何かあると才賀が考えるのは当たり前だった。


 なぜなら、秋帆とこれまで仕事をしてきて、一度たりとも一発でOKが出たことないのだから。


 これはその時、秋帆が才賀に言った台詞の数々だ。


『え、彩先生ってばこれでいいと思ってるんですか!?』


『まだまだですねぇ』


『もうちょっとがんばりましょー!』


『大丈夫ですよ、彩先生ならできますから!』


『藻ノ先生の小説を飾るイラストなんですから、もっとがんばるのは当たり前ですよね~?』


 などなど。


 リテイクを何度繰り返したことだろう。


 池巣が一発OKを出したのには、何か深い理由があるに違いない。


 才賀がスマホの向こうにいる秋帆に告げれば、秋帆が言った。


『で、それはいったいどんな理由ですか?』


「ちゃぶ台返しをしたいんだろう」


『というと?』


「すべての作業を終えてこちらが油断したところで、やっぱりキャラクターデザインからやり直して欲しいと言い出し、こちらの作業を滞らせるのが目的だ。萌乃の小説の宣伝をしてもいいという条件を引き出したのが気にくわなくて、そういう姑息な手段に訴え出るに違いない」


『普通に何にも問題ないとは思わないわけですね』


「リテイクは必ずするものだろ?」


『……そんなこともないんですけどね。実際、彩先生の上げてくるものは最初からどれも素晴らしいものばかりですし。ただ、リテイクを出したら、もっといいものが上がってくるとわかっているので、こちらとしても半ば無茶ぶりみたいな感じでリテイクを出しまくってますけど』


「? 何か言ったか、辺見さん」


『いいえ? 何も言ってませ~ん』


 何か聞こえたような気がしたのは、才賀の気のせいだったらしい。


「で、そんなわけで、ちゃぶ台返しをされるならと、カバーや口絵、それに本文イラストのラフは、数百点、出しておいた。なかなか返事が来ないのは、どうやってちゃぶ台返しをするか、それを考えているからに違いない」


『いや、普通に何でこんなに送ってくるんだこいつ、馬鹿じゃねえのかって思ってるだけだと思いますよ』


 またも小さすぎてよく聞こえなくて聞き返したのだが、何でもないと言われてしまった。


『彩先生がナチュラルに先方を追い詰めているのを聞いて、ちょっと溜飲が下がりました』


「辺見さん、何を言ってるんだ? 俺は普通に仕事をしているだけなんだが」


『そうですね♪』


 何だかバカにされているような気がする才賀である。


『あ、すみません。人と会う約束をしているので、そろそろ通話、切りますね』


「人?」


『ええ』


 面倒くさい奴と会わなくちゃいけないんです、と秋帆は苦笑を滲ませながら言って、通話を切った。

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