第2話 元担当編集


 才賀はイラストレーター『彩』名義でSNSをやっている。


 元々はやっていなかったし、微塵も興味はなかった。


 なら、なぜ始めたのかといえば、秋帆に言われたのだ。


『藻ノ先生の小説の宣伝になっていいんじゃないですか?』


 と。


 萌乃の小説に掲載されている挿絵は、才賀が描いたイラストのほんの一部に過ぎない。


 本当はもっと描いている。


 萌乃の小説は面白く、読むたびに新しい発見があり、それが才賀に凄まじいインスピレーションを与えてくれる。


 萌乃の小説の世界をできる限り表現したくて、才賀はイラストを描きまくる。


 どれくらい描いたか覚えていないくらい、とにかく描いて、描いて、描きまくった。


 それらのイラストを発表する場所として、SNSが活躍した。


 自分が描いたものが萌乃の役に立つ。


 才賀にとって、それは何よりもうれしいことだった。


 また、読者からコメントやメッセージをもらえることも、地味にうれしいことだった。


 内容のほとんどが才賀のイラストを絶賛するものだったが、中には萌乃の小説に対して、こんなに面白い小説は今までに読んだことがないという感想をくれる人もいて、それもまた最高にうれしいことだった。


 幼馴染みだった愛奈の小説のイラストを担当していた時は、手柄も名声も、さらには報酬までもが、すべて愛奈のものだった。


 才賀がどれだけがんばってもだ。


 だが、今は違う。


 才賀が描いたイラストを褒めてくれる人がいる。認めてくれる人がいる。すごいと、想像以上だと、そう言ってくれる。


 その筆頭が萌乃だった。


 萌乃のために描いている以上、萌乃の言葉は何よりも励みになったし、うれしかった。


 もっとがんばろうと、そう思うことができた。


 だが、SNSをやっている今、読者から届く声にも励まされ、力をもらうことがある。


 中には、才賀のイラストに触発され、イラストを描いてみたと送ってくれる人もいる。


 上手いか下手かでいえば、正直、下手だ。


 だが、それがどうした。


 そんなものが気にならないくらい、萌乃が小説を書き、才賀がイラストを描いた小説が好きなんだと、熱い思いがそのイラストには込められていて、魂が揺さぶられた。


 そういったイラストや感想などは、萌乃や秋帆と共有し、みんなで喜んだ。


 萌乃の小説の宣伝のために始めたSNSではあったが、宣伝効果以外でも、やってよかったと、今では思っている。


 誹謗中傷のコメントが届いた時はその限りではないが。


 それでも、届くのは時々だったし、愛奈の暴言に比べればかわいいものだったのでスルーしていた。


 今日もそんなSNS経由でメッセージが届いた。


 しかし、その内容はいつものそれと違うものだった。


 才賀にイラストを頼みたいという、仕事の依頼だったのだ。




 才賀に仕事を依頼したいという出版社からのメッセージは、これまでにも複数あった。


 大手からもあったし、名前も聞いたことのないようなところからもあった。


 その話を萌乃にすれば、


『才賀くんは神イラストレーターだもの! 少ないくらいだと思う!』


 とむしろ憤ったりしたりして。


 秋帆は、


『で、彩先生。その出版社ってどこです? え、聞いてどうするのかって? それは聞かない方がいいと思いますよ?』


 となぜか黒い笑みを浮かべてみたりしていた。


 どちらにしろ、才賀がイラストを今も描き続けているのは萌乃がいるからだ。


 萌乃に喜んで欲しいという気持ちが一番だが、他にも理由はある。


 萌乃の小説を、その世界の魅力を、一人でも多くの人にわかって欲しい。


 そのために自分にできることをしたい。


 それがイラストを描くことだった。


 だから、それ以外にイラストを描くつもりはまったくなかった。


 なので、これまではすべての依頼を断ってきた。


 萌乃は残念そうな顔をしながらも、少しうれしそうで、


『……才賀くんのイラストが認められてうれしいのに、でも、これからもわたしだけのイラストを描き続けてくれるんだって思ったら、何だかうれしくて。いけないよね、そんなふうに思ったら』


 いけないわけがない。


 才賀は萌乃を抱きしめた。


『相変わらずラブラブですねえ。まあ、そのままでも打ち合わせはできるので続けますが』


 秋帆の言葉に、ここが打ち合わせの場だったことを思い出した萌乃が、顔を真っ赤にして才賀から離れようとしたが、才賀は萌乃を離さなかった。


『だな。打ち合わせを続けよう』


『秋帆さん!? 才賀くん……!?』


『悲鳴を上げる萌乃もかわいいな?』


『やだ、彩先生が乙女小説の鬼畜主人公みたいになってる……!』


 秋帆が何か言っていたが、才賀にはよくわからなかった。萌乃には通じたようだったが。


『そんな才賀くんもかっこいいなって思う!』


 と言っていたし。


 それはさておき、仕事の依頼が来るたびにそうやって萌乃や秋帆に報告し、断ったことまで告げてきたわけだが、今回は違った。


 才賀はメッセージを寄越してきた人物に会ってみることにした。


 理由はひとつ。


 その人物が、愛奈の元担当編集だったからだ。




 才賀は電車を乗り継いで、愛奈の元担当編集が指定した喫茶店にやってきた。


 初めて訪れる場所だったから遅れないように事前に下調べをして、約束の時間の30分前には着くようにしていた。


 愛奈の元担当編集は、いったいどんな人物だろうか。


 メッセージは事務的で、その人となりをうかがい知ることはできなかった。


 注文した一番安いブレンドコーヒーを口にしながら、相手が来るのを才賀は待った。


 だが、約束の時間になっても相手は来なかった。


 5分が過ぎ、10分が過ぎて、30分を越えるかもしれないという時になり、担がれたのかもしれないと考えて席を立とうとしたら、その人物はやってきた。


 眼鏡をかけた、細目のスーツ姿の女性だ。


 才賀の前に腰掛けると、懐から名刺を取り出した。


 受け取ろうと伸ばした才賀の手ではなく、テーブルに置く。


 才賀は無言で、その名刺を手に取った。


 目を通す。


 株式会社クリエッシング・第二事業局・CG文庫編集部・池巣いけす奏絵かなえ


「時間がないので、さっそく話をさせていただきます」


 池巣はとても冷たい声で告げた。


 時間がないのは池巣が遅れてきたからではないのか。


 それを謝りもしないのは、いったいどういうつもりだ。


 しかし、この時、才賀が感じたのは腹立たしさよりも、


『ああ、なるほど。実にあいつの担当編集らしいな』


 ということだった。


 自分以外の人間を人間と思わない。


 自分中心に世界は回っていて、他人が自分に従うのは当然だと考えている。


 実際、才賀の第一印象は、まったく間違っていなかった。


「あなたがキリナ先生のイラストを担当していたのは、あの事件のあと、キリナ先生から話を聞いて知っていました」


 キリナというのは、愛奈のペンネームだ。


「あなたがわがままを言わず、多少の問題に目を瞑って、キリナ先生の元に留まっていたら、今もキリナ先生の作品は継続して発表され、当然、アニメ化の話がなくなることもなかったでしょう。つまり、あなたにはその損失を埋める責任があるのでは?」


 才賀は瞠目した。


 池巣は何を言っているのだろう。


 才賀がわがままを言った?


 多少の問題に目を瞑る?


 何よりわけがわからないのは、才賀に責任があると言い出したことだ。


 疑問系ではあるものの、池巣がそう思っているのは表情からはっきりと伝わってきた。


「何より、キリナ先生の作品を楽しみにしている読者がたくさんいたのに」


 あの騒動を受け、結局、愛奈の小説はすべて絶版、回収することとなった。


「その責任を取る必要もあると考えますが?」


 まったく関係ない。


 才賀が責任を取る必要など、どこにもない。


 萌乃がここにいたら、間違いなくそう叫んで、席を立っていたことだろう。


 才賀自身もそう思う。


 だが、才賀は席を立たなかった。


 いや、立てなかったというのが正しいだろう。


「そういえば藻ノ先生の小説がアニメ化されるそうですね」


 まだどこにも出ていない、関係者以外知るよしもない情報を、どうして池巣が知っているのか。


「アニメを担当する制作会社はうちの関連企業でして。……無事にアニメが制作され、放映されるといいですね?」


 含みのある言い方だ。


 まるで才賀の態度次第ではどうなるかわからない――そんなふうに才賀には聞こえた。


 才賀がそのことを指摘すれば、


「さあ、どうでしょう? ただ私は事実を話しただけなので。どう受け止めるかは須囲さん次第ではないでしょうか」


 池巣が口元を歪めて笑った。




 次の日の放課後。


 才賀の姿は、萌乃とともに、天空出版の事務所にあった。


 萌乃が書き上げた3巻の原稿を元に、イラストの打ち合わせをするためだ。


 どのページに、どんなイラストを入れるのか。


 表紙は。


 口絵は。


 モノクロは。


 秋帆を交え、それぞれが思うところを存分に語り合う。


 意見が一致する時もあれば、まとまらない時もあり、さながら喧嘩をしているかのような雰囲気になる時もある。


 だが、それはすべて、よりよい小説を作り上げていくためだった。


 そして才賀は、その工程が好きだった。


 何度経験しても楽しく、終わりが近づくたびに、この時間がもっと続いて欲しいと思うようになっていた。


 そんな打ち合わせも一段落して、雑談を交わしながら、このあと、近くのファミレスで食事でもしようという雰囲気になった時だった。


 才賀は萌乃と秋帆に「聞いて欲しいことがある」と切り出した。


「イラストの仕事を受けることにした。萌乃とは違う作家の小説のイラストだ」


「……え?」


 秋帆も驚いた顔をしていたが、萌乃はそれ以上で、しばらくの間、固まったまま、動かなくなってしまった。


 才賀は、そんな萌乃の硬直状態が解けるのを静かに待った。


 どんなことを言われても、たとえそれがひどい罵詈雑言だったとしても、全面的に受け入れるつもりだった。


 当然だろう。才賀は萌乃の小説以外のイラストを描かないと、萌乃に誓ったのだ。


 だが、硬直状態が解けた萌乃の、その反応は予想していなかった。


「……おめでとう、才賀くん」


 萌乃は笑った。


 今にも泣きそうな、そんな顔で。


 いや、違う。


 実際に目尻には光るものが滲んでおり、それは間違いなく涙だった。


 この反応を予想していなかった?


 萌乃なら、むしろこの反応こそ、真っ先に予想できたことではないか。


 愛奈にイラストを描くよう強要されていたことを話した時、才賀のために怒ってくれた彼女なのだから。


 才賀は自分をぶん殴りたくなった。


「彩先生。何か事情があるんですよね?」


 秋帆が言うのとほぼ同時に、才賀は思うだけでなく、実際に自分をぶん殴った。


「才賀くん……!?」


 萌乃が悲鳴を上げる。


 才賀は口の中に血の味が広がるのを感じながら、驚いている萌乃を真っ直ぐ見る。


 頭を下げた。


「ごめん、萌乃。勝手なことをして。けど、俺は萌乃の小説、どうしてもアニメ化して欲しいんだ」


 才賀が告げると、萌乃が「え?」とかすれた声を出す。


「彩先生、すみません。その話、ちょっと詳しく教えてもらってもいいですかね?」


 秋帆が険しい顔をして聞いてきた。




 萌乃に口元の手当をされながら、才賀は昨日の出来事をすべて打ち明けた。


「……なるほど」


 秋帆が重苦しいため息とともに漏らす。


「作品のアニメ化を人質に取られたわけですね」


 要約すれば、そういうことだった。


 手当を終えた萌乃が椅子を倒す勢いで立ち上がった。


「それならアニメ化なんてしなくていいです……!」


「萌乃ならそういうと思ってた」


 才賀はそう言って笑い、口の中の傷が響いて顔をしかめる。


 心配そうに詰め寄る萌乃。


 才賀は痛みを無視すると、萌乃の手を取って言った。


「なあ、萌乃。萌乃は俺のイラストを多くの人に見て欲しくて、アニメ化の話を受けるって言ってたよな」


 うん、と萌乃がうなずき、


「でも、いい。そんなことになるなら、わたしアニメ化なんてしなくて」


 だって、と続ける。


「わたしががんばればいいだけだから。これまでよりずっとがんばって面白い小説を書いて。そうして今よりもっとみんなに手に取ってもらえるようになればいいだけだから。だから、アニメ化なんかしなくていい」


 萌乃の小説は面白い。


 恋人だからとか、そういう欲目を抜きにして、才賀はそう確信している。


 何より、現在も重版しまくっているのがその証拠だ。


 実際、宣言どおり、これまで以上にがんばれば、萌乃の小説はさらに爆発的に売れるだろう。


 それは間違いない。


 だが……。


「俺も同じなんだ」


「え?」


 きょとんとした表情をする萌乃がかわいくて、才賀は微笑む。


「萌乃が俺のイラストをみんなに見て欲しいと思ってくれているみたいに、俺も萌乃の小説をみんなに読んで欲しいと思ってる。俺は萌乃の小説が大好きなんだ。だからそれができるチャンスを逃したくない」


「才賀くん……」


 萌乃の顔には、才賀が自分の小説を好きだと言ってくれたと喜びたいという思いと、それでも才賀が自分のせいでしたくもない仕事を受けたという苦い思いとが、入り交じっていた。


「萌乃の小説に関して俺が手を抜くことはないから、だから安心して欲しい」


 それに、と才賀は言葉を続ける。


「こういうことは今回だけだと約束は取り付けてある。あと、あとがきを入れてくれって言われてるから、そこで萌乃の小説を宣伝する」


「それは最高ですね!」


 秋帆がサムズアップして笑った。


 萌乃は才賀の胸に自分の頭を押しつけると、消え入りそうなかすかな声で「ありがとう」と言った。

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