最終話 ミリオンセラー
萌乃の小説が発売されてから一ヶ月半が経った。
あっという間だった気もするし、何だか妙に長い気もする。
その日の朝、才賀が食卓でいつものように朝食をとっていると、同じように朝食をとっていた妹の澄江が、今日の天気を告げるような気安さで言った。
「そういえばお兄ちゃん。幼馴染みのあの人、引っ越ししたって知ってましたか?」
「………………ああ」
愛奈がしでかした悪事が、あの日、野平によって明らかになったことで、愛奈を取り巻く状況は一変した。
現役女子高生であることと、見た目だけなら美少女であることがウリになるということで、本人了承の元で顔出し作家として活動していたことが仇となった。
学校に行けばみんなが白い目で愛奈を見て、ヒソヒソと悪事について囁き合う。
それはご近所でも同じで、愛奈は唯我独尊な態度を決して崩さなかったが、両親は別だった。
自分の娘がしでかしてしまったことが耐えきれなかったのだろう。
ある日突然、姿を消した。
愛奈を連れて、蒸発してしまったのだ。
「ごちそうさま。学校、行ってくる」
「あ、はい。いってらっしゃい、お兄ちゃん」
家を出て、通学路を歩き、もう誰もいない家の前に立つ。
愛奈はありもしない盗作騒ぎをでっち上げ、それを出版社に流すことで萌乃の作家生命を奪おうとした。
それは間違いなく愛奈が主導し、野平とともに行ったことだ。
思い返すだけで腹が立つし、絶対に許すことはできない。
だが、才賀の腕を折った事件に、愛奈は関与していない。
警察の捜査で明らかになったことを、独自ルートで情報を手に入れた秋帆が教えてくれた。
すべては野平が計画し、実行犯に依頼し、愛奈に罪をかぶせようとしたのだと。
動機は仕事上のトラブル。
愛奈が新作を書かなかったことが原因で、野平は永許出版にいられなくなったらしい。
それを逆恨みしてのことだという。
『私がもう少し早く目撃者を捜し出せていたら、違う結果になっていたかもしれません』
そう言って秋帆は才賀に謝った。
結局、今回の騒ぎで愛奈の小説のアニメ化はどちらも白紙撤回され、出版社は謝罪する事態にまで追い込まれた。
今は愛奈の小説を回収、絶版するかどうか、話し合いが行われている最中とのことだった。
才賀は改めて幼馴染みの家を見る。
もう二度と、愛奈と進むべき道が交わることはないと思っていた。
だが、その時に想像していたのは、こんな未来ではなかった。
しかしだからといって、愛奈に対して同情の余地があるかと言えば、そんなものはまったくない。
才賀は何も言わず、その場を離れた。
放課後、才賀は萌乃と一緒に病院を訪れていた。
今日、ギプスが取れる予定なのだ。
レントゲンを撮って、診察室へ。
医者から告げられた言葉は――。
医者に礼を言って診察室から出てきた才賀を、笑顔の萌乃が出迎える。
だが、その笑みはすぐに曇ってしまった。
才賀の手から、ギプスが外れていなかったからだ。
「まだくっついてないんだって。無茶をしたんだろうって怒られた」
才賀は笑って告げたのだが、萌乃は今にも泣き出しそうな顔をする。
「ごめんなさい、才賀くん。わたしのせいで……!」
「違う、萌乃は何も悪くない」
「でも」
「俺がやりたくてやったことだ。萌乃のイラスト担当を、他の誰にも譲りたくなくて。だから、萌乃が謝ることは何もない」
「……才賀くん、やさしすぎるよ。そんなにやさしすぎたら、わたし、どんどんわがままになっちゃう」
「たとえば?」
「無理しないで、とか。もっと自分のこと大事にして、とか。……時々でいいからギュッてして欲しい、とか」
「そんなの全然わがままじゃないだろ」
「そうかな?」
首を傾げる萌乃の頬を撫で、額をくっつける。
「わかった。約束する。萌乃に関すること以外、絶対に無理しないし、自分を大事にする」
「それじゃ、今と変わらないよ」
「そこに気づくとは」
才賀が笑えば、萌乃も「もうっ」と言いながら笑った。
病院から出たその足で、才賀と萌乃は天空出版の事務所に向かった。
2巻の打ち合わせをするためだ。
「藻ノ先生、彩先生、またまた重版が決まりましたよ!」
そう言って出迎えてくれた秋帆は、ご機嫌な笑顔を浮かべている。
あの日発売した萌乃の小説は、最初に重版が決まった分が出荷される前に、再び重版することが決まった。
すでに購入していた読者による絶賛のコメントがSNSやネットを賑わせ、購入できなかった人たちの飢餓感を煽ったせいだ。
増刷分を手に入れた人たちの期待は、当然、かなりのものだったはずだ。
本当にそんなに面白いのか。
すでに購入して騒いでいる読者は、出版社から金をもらってステマしていただけなのでは。
自分たちはそれにまんまと踊らされたという可能性は。
ならば、自分たちが真偽を見極めようではないか。
実際は対して面白くなかったら、それこそこき下ろしてやる。
読者がそこまで思っていたかどうかはわからないが、あまりにも話題が大きくなりすぎると、そうやって疑う人もいたと思う。
果たして萌乃の小説は、そんな人たちの思いを吹き飛ばした。
実際に素晴らしく面白いのだ。
そして――。
『イラストも、有り体に言って最高なんだが!?』
と絶賛の嵐だった。
そこからさらに重版が決定して、今日また、重版が決定したという。
ちなみに、あの時、購入者特典を一方的にキャンセルしてきた専門店も、今では萌乃の小説を取り扱うようになっている。
だが、購入者特典を一方的にキャンセルされた仕打ちを忘れていないため、その数はかなり絞っていた。
「ふふふのふ。これも全部私の功績ですよね!」
秋帆が胸を張る。
「藻ノ先生の小説の面白さに目を付けたのも私ですし。彩先生のポテンシャルを信じてリテイクを出しまくったのも私。つまり、私がいなかったら、この小説はこの世になかったと言っても決して過言ではないはずです!」
見事なドヤ顔を決めてみせた。
才賀と萌乃はそんな秋帆を見て、
「そうですね。確かに秋帆さんのおかげだと思います」
「俺もそう思う。辺見さんが編集じゃなかったら、ここまで売れてなかったはずだ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいお二人とも! そこは『いやいや何言ってるんですか、自分たちの手柄です!』っていうところですよ!?」
秋帆が慌てて言う。
どうやら冗談だったらしい。
いや、まあ、わかってはいたが。
それでも才賀も萌乃も、秋帆の力は決して小さくないどころか、とても大きいものだと思っているのだ。心の底から。
「わたしの小説が盗作だって言われて。それでもめげずにがんばりましたけど、どこの出版社からも声をかけられなくて。そんな時、声をかけてくれたのは、他の誰でもない秋帆さんですから。秋帆さんがいなかったら、この小説が本になることはありませんでした」
だから秋帆の校正で間違いないと言い切る萌乃の言葉に、才賀もうなずく。
「そう言っていただけるとうれしいですけど」
照れくさいらしく、秋帆が微妙な半笑いの表情を作る。
「でも、まあ、藻ノ先生の小説はめちゃくちゃ面白いですからね。そのうち、他の出版社も声をかけていたと思いますよ?」
才賀も萌乃もそれはどうだろうかと思ったが、
「実際、うちにも藻ノ先生を紹介して欲しいっていう他社の編集部から連絡が入ってますし」
秋帆の口から飛び出した編集部の名前は、打ち合わせだと思って向かった先で、愛奈の証言だけを一方的に信じて、才賀を断罪したところのものだった。
「断ってください。わたし、あの時のこと、忘れたわけじゃありませんから」
言い切る萌乃。
「ちなみに、彩先生も同じ感じでメールもらってるんですけど」
「受けるわけがない」
ですよね、と既にその時のことを知っている秋帆は笑った。
その後、才賀の腕がまだ治っていない話をしてから、2巻の打ち合わせが始まった。
「で、2巻ですけど――」
と秋帆が話を切り出せば、才賀が、
「その前にちょっといいかな」
と声をかけた。
萌乃はもちろんとうなずき、秋帆はどうぞと手を向けてくる。
才賀は自分に視線が集まるのを意識しながら、告げた。
「俺、これから先もずっと萌乃の小説のイラストを描き続けて、そして萌乃の小説が誰のどの小説よりも面白いものだってことを見せつけたいと思ってる」
「それってつまり、藻ノ先生と組んで、彩先生はラノベ界のトップを目指すって宣言ですよね?」
秋帆の言葉に、才賀は「そうなるな」とうなずく。
萌乃が「はいっ!」と大きく手を上げた。
「わたしも! 才賀くんのイラストが誰のどのイラストよりも最高にすごいってことを、わたしの小説で証明したい!」
「そういうことなら、私も及ばずながら力になりましょう! 今まで以上に気合いを入れてリテイクを出しまくります!」
まったく秋帆らしい言葉に、才賀も萌乃も苦笑しながら大きくうなずいた。
「でもその夢、案外、早く叶っちゃいそうなんですよねぇ」
秋帆が呟く。
実際、萌乃のデビュー作は増刷を繰り返し、既に10万部を突破していた。
さらにその後に発売することになる続刊はどれも好調で、順調に版を重ねて、シリーズ累計1000万部を越えるヒット作になる。
そしてそのシリーズとは別に、完全新作として発売することになる、萌乃にとって二作目となるシリーズは、1巻の時点で驚異の記録を叩き出す。
萌乃は言う。
「これはね、ある少年の物語なの」
その少年にはラノベ作家をしている幼馴染みがいて。
幼馴染みから、イラストレーターになることを強要される。
幼馴染みの理不尽は続き、ある日、少年は幼馴染みと決別。
ラノベ作家を目指す別の少女と出会って、恋をして――。
「どこかで聞いた話だな?」
苦笑する才賀に、
「そうかな?」
と笑って誤魔化す萌乃。
「いいですね、それ。面白そうじゃないですか。書いちゃいましょうよ!」
秋帆もそれに乗っかって、出版することになる。
「なあ、萌乃。その小説のタイトル、何て言うんだ?」
「知りたい?」
「ああ」
萌乃がいたずらっぽく笑いながら告げたタイトルは――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます