第24話 重版出来
萌乃が小説を書き、才賀がイラストを描いた本が発売された、その翌日のことだ。
本が発売され、書店に並んでいる。
才賀と萌乃にできることは、もう何もなかった。
……いや、本当にそうだろうか?
まだ何か――何かできることがあるのでは?
だって見たじゃないか――見せつけられたじゃないか。
町の小さな書店の情熱を。
決して大きいとはいえない売り場。
それでも手作りポップで飾り付け、この本を売りたい、だって最高に面白いから!
それなのに才賀たちは何もしない?
あり得ない!
何より――。
このまま終わるのなんて絶対に嫌だ!
一人でも多くの読者に手に取ってもらいたい。
自分たちは全身全霊をかけて、最高に面白い、世界一の本を作り上げたのだ。
幸いなことに今日は日曜日で、学校などに時間を取られることがない。
一日をフルに使うことができる。
才賀の家に萌乃がやってきて、二人で何ができるかを考えた結果。
「わたしたちにできることは、最初から決まってるよ」
萌乃が言う。
「わたしは小説を書いて。才賀くんは――」
萌乃の真っ直ぐな眼差しを、才賀は受け止める。
「俺はイラストを描く。……そうだな。俺たちにできるのは、ただそれだけだ」
だから、それをやる。
萌乃は持参したノートパソコンを使って、連載の続きを書いたそばからインターネット上で公開していく。
秋帆から繰り返し行われた修正作業によって鍛えられたからか、萌乃の執筆速度は脅威的に上がり、最低でも一時間に一話、勢いがつけば二話、更新するに至った。
それがどれだけ並外れた能力であるか、萌乃にはその自覚がない。
才賀をすごいすごいと持ち上げる萌乃も、充分にすごい逸材なのである。
そして才賀は。
萌乃にどんな話を書くのか聞いて、それを飾るのに相応しいイラストを描いていく。
才賀も萌乃と同じで、秋帆に延々リテイクを出されたおかげで、イラストを描き上げる時間を大幅に短縮することができるようになっていた。
一話につき、最低1枚。2枚、3枚になる時もある。
思い浮かんだイラストをすべて描き、小説に載せる。
本ではできなかったことが、インターネット上ならできる。
なら、やらない理由は、どこにもなかった。
二人は恋人同士だというのに、休日に恋人の部屋で過ごしているというのに、イチャイチャすることなく、黙々と目の前の作業に取りかかった。
それで楽しいのかと思う人もいるだろう。
抱きしめ合ったり、手を繋いだり、キスをしたり。
他愛ないことや会話で盛り上がったり。
恋人同士ならば、そんなふうに過ごすのが普通なのではないかと。
才賀も萌乃も、そうやって過ごすことは嫌いではない。
むしろ好きだ。
だが、こうやってお互いに好きなものに打ち込んで、ふと顔を上げた瞬間、相手も同じように顔を上げていて、視線が重なり――。
――楽しいね。
――最高にな。
口に出さなくても、お互いに何を思い、何を感じているのかがわかる。
そんなふうに過ごすことも、最高にしあわせだと感じるのだ。
さらに言えば、そうやって過ごした結晶が、小説という形になって残り続ける。
こんなに素晴らしいことはない。
途中、才賀の妹である澄江が昼食を持ってきてくれた時に作業を中断したが、それ以外はずっと集中して作業を続けた。
再び中断することになったのは、才賀のスマホに秋帆から連絡が入ったからだった。
『須囲さん、いったい何しでかしてくれてるんですか!?』
「は? 何のことだ?」
『藻ノ先生の連載小説ですよ! 何ですかあの怒濤の連続更新! しかもイラスト付き!』
「少しでも宣伝になればと思って」
『だと思いました! ……まったく、この子たちは。自分たちがどれだけすごいことしてるか、全然自覚してないんだから』
後半、秋帆の声は小さすぎてよく聞こえなかった。
『まあ、ほどほどにしてくださいね?』
「わかってる。これでも全然描き足りないし」
『……ああ、はい。そうですか』
電話の向こうから、乾いた笑い声が聞こえた。
『って、そんなことより、ちょっと見て欲しいものがあるんですよ! 今、URLを送りますんで』
才賀と萌乃は作業の手を止め、秋帆が送ってきたURLを開く。
それは、昨日、才賀たちが訪れた書店員のブログだった。
萌乃の小説を大きく取り扱っている様が紹介されていて、何度でも心が震える。
「昨日の売り場か。……ありがとう、辺見さん。めちゃくちゃやる気が出た」
『見て欲しいのはそこじゃないです! その下、最後までスクロールしてください! きっと驚きますから!』
言われて、最後までスクロールすれば……。
「才賀くん、これって……!」
萌乃が両手で口を押さえて、目を潤ませる。
「ああ……」
才賀はそう応えるのがせいいっぱいだった。
何と、萌乃の小説が完売したという記事だったのだ。
一人、二人と、買い求める客が増え、最終的には、才賀たちが帰ってから一時間もしないうちに、すべて売り切れ。
大急ぎで発注をかけたと締めくくられていた。
『ここだけじゃないですから。昨日訪れた書店のすべてでほぼ完売。売ってても残り一冊とか、それぐらいで。SNSでも絶賛の嵐です!』
調べてみれば、確かに秋帆の言うとおり、絶賛する呟きばかりだった。
――どこの専門店も売ってなかったから焦ったけど、ちっちゃな本屋でようやくゲットした!
――めちゃくちゃ面白いから、マジおすすめ!
――読み始めたら止まらない! 圧倒的エロさ!
――小説自体すっごい面白いけど、イラストも最高!
――ジャケ買いした俺勝利!
才賀はうれしすぎて涙を流す萌乃のを肩を抱き寄せた。
才賀の胸に顔を埋め、ひとしきり泣いた後、萌乃は顔を上げて恥ずかしそうにはにかんだ。
「才賀くん、これ」
萌乃が示す感想を、才賀も見た。
――この『彩』ってイラストレーター、新人だよな?
――新人でこれってヤバくね?
「才賀くん、新人扱いされてるよ? 本当は神イラストレーター様なのに」
「新人だよ、俺は。俺自身として描いたのは、これが初めてなんだから」
今の才賀のイラストに、愛奈の小説のイラストを描いていた時の雰囲気は微塵も残っていない。
才賀も萌乃も、それに秋帆もそれはわかっていたが、こうして改めて読者もそう感じていることに、才賀はうれしさしかなかった。
他にも、連続更新についての呟きがちらほら見かけられた。
驚く人、楽しんでくれてる人、喜んでくれている人。
好意的な意見ばかりだった。
中には、今回の連続更新で萌乃の小説の存在を知り、さっそくネットで注文しようとしたところ、既にお取り寄せ状態になっていることに驚いたという声もあった。
「書店だけじゃなくて、ネットでも売り切れなのか?」
『そうなんです! なので重版が決まりました! おめでとうございます、藻ノ先生、須囲さん! ――いえ、彩先生と呼ぶべきですかね』
「やめてくれ。辺見さんにそんなふうに呼ばれると、背筋がゾクゾクする」
『そうですか。では、これからは彩先生と呼ぶことにしましょう!』
「……いい性格してるよ、辺見さん」
『彩先生には負けますよ』
電話の向こうで、ニヤリと笑っている秋帆が見えるようだった。
電話を切った才賀は、せっかく泣き止んだのに再び号泣する萌乃を抱きしめながら、喜びを噛みしめた。
発売して、次の日に重版が決まる。
愛奈の受賞作は今でこそすごいシリーズだったが、ここまで早く重版はしなかった。
「やったな、萌乃」
「うん……! 才賀くんのおかげだよ、ありがとう! 大好き!」
※※※※※
秋帆は才賀への電話を切ると、椅子に深く腰掛けた。
最高に面白いものを作ったという手応えはあった。
だが、だからといって、売れるとは限らない。
これまで秋帆が担当してきた作品は、すべて、いつだって、最高に面白いと思って、世に出してきたのだ。
それでも売れずに、1巻で終わってしまった作品がいくつもあった。
今回は発売してすぐ、重版することが決まった。
おそらく、一回では終わらないだろう。
才賀と萌乃が今日だけで更新した小説を読めばわかる。
この流れは大きなうねりになって、すごいことになる。
そんな予感がするのは、生まれて初めてのことだった。
喜びを噛みしめる。
だが、それも長くは続かない。
重版の作業に取りかからなければ。
帯の変更や、あれやこれや。
才賀たちだけ、がんばらせるわけにはいかない。
秋帆は「よし」と気合いを入れる。
しかし、その前に――開いていたパソコンの画面に視線を向ける。
秋帆が見たのは、萌乃の小説が売り切れたことを伝える書店員のブログでも、ましてや萌乃の小説を絶賛するSNSの書き込みでもなかった。
あるサイトの記事である。
「因果応報――悪いことをした奴は、当然、それに相応しい報いを受けるべきだと思うけど。こんなやり方しかなかったの? 野平」
それは野平による、愛奈のこれまでの悪行を告発するものだった。
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