第23話 発売日

 一週間前。


 才賀と萌乃は、あるものを受け取った。


 それは、ここ数ヶ月の間、必死に、がんばってきた結晶。


 萌乃の小説だ。


 見本誌と呼ばれるもので、才賀たちは秋帆に編集部に呼ばれ、そこで受け取った。


「普通は直接お宅にお送りすることが多いんですけどね。お二人は少しでも早く欲しいかなと思いまして」


 秋帆の言葉を、才賀も萌乃も聞いていなかった。


 自分たちの小説やイラストが本という形で、目の前に存在していることに夢中になっていたからだ。


 萌乃は一冊手に取り、思いきり抱きしめる。


 目尻には涙が滲んでいた。


「ありがとう、才賀くん。本当にありがとう」


「礼を言うのは俺の方だ。ありがとう、萌乃。萌乃がいたから、俺は自分のイラストを好きになることができた。こんなにがんばることができた。全部萌乃のおかげだ」


「才賀くん……」


「萌乃……」


 見つめ合う才賀と萌乃。


「じー」


 そんな声が聞こえてきて、ここに秋帆がいたことを二人は思い出す。


「あ、私のことは気にしないで。さあ、どうぞ続けてください!」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる秋帆。


「つ、続きって何ですか!? わたしたち、別に何も……!」


「そうだな。キスはふたりきりの時にしよう」


「さ、才賀くん、にゃ、にゃに言ってるにょ!?」


 顔を真っ赤にして噛み噛みになる萌乃がかわいくて仕方なかった。


「ま、冗談はさておきまして。お二人の本はこうして完成しました! SNSでも話題になってますし! いけますよ!」


 秋帆の言葉に才賀たちはうなずいた。


 だが、才賀たちは思ってもいなかったのだ。


 この直後、愛奈の小説がダブルでアニメ化を発表。


 話題をすべて持っていかれ、そのまま発売日を迎えるなんて。


 実際、発売日当日になっても、SNSでは愛奈の小説やそのアニメ化の話題で持ちきりだった。


 累計発行部数400万部突破は、決して伊達ではないということだろう。


 さらにいえば、今回のアニメ化でさらに重版し、累計発行部数は1000万部を超えた。


 名実ともに人気作家と呼んでもいいだろう。


 一方、萌乃の小説はどうかといえば、まったく話題に上がっていなかった。


 検索すればヒットはするが、その話題は、


『天空出版って何?』


 とか、


『今さら弱小出版社がラノベに乗り込んできても遅すぎじゃないか?』


 というようなことばかりで、萌乃の小説について触れているものは見つけられなかった。




 そうして迎えた発売日は土曜日で、学校は休み。


 才賀と萌乃は、小説が本になったら一緒に書店巡りをしようという約束を果たすつもりだった。


 そこに、


「私も二人を誘って、一緒に書店巡りをしようと思っていたんですよ!」


 と加わった。


 地元の書店にはなかった。


 売り切れたのかと思って、店員に話を聞けば、入荷すらしていないらしい。


 一方、愛奈の小説は既刊すべてが目立つところに山のように平積みされていた。


「これがアニメ化効果ですよ」


 秋帆が言う。


 それだけじゃなかった。


 それほど大きくはないモニターが二つ設置され、アニメ化が発表されると同時に公開されたアニメーションPVと、起用された声優たちによる座談会の模様が映し出されていた。


 才賀はアニメや声優に詳しくないのでよくわからなかったが、萌乃と秋帆に言わせれば、ベテランから若手まで、今もっとも人気のある声優を勢揃いさせた、手堅くも勢いのある布陣らしい。


 それは制作スタッフにも同じことが言えるようで、


「この作品に賭けていることがめちゃくちゃ伝わってきますね」


 秋帆が唸っていた。


 書店でこれだけ展開されているのを見せつけられたら、どれだけ賭けているのかは言われなくてもよくわかる。


 だが、才賀が何より驚いたのは、声優座談会に原作者として愛奈が参加していたことだった。


 イケメン声優に『キリナ先生ってめちゃくちゃかわいいですね!』と褒められ、『そんなことないですよー』と謙遜していた。


『それでキリナ先生、今回、イラストをキリナ先生が描かなくなって、SNSでは結構大きな話題になっていましたけど』


 女性声優に聞かれ、愛奈が照れくさそうに体をよじる。


『確かに、今までのあたしは文章とイラストの二刀流でがんばってきました。でも、今回、あたしの大事な大事な作品がアニメ化するにあたって、文章に集中した方がいいんじゃないかって思ったんです。実はイラストを描くのってすっごく大変で。文章もイラストもってがんばってると、どうしても睡眠時間を削るしかなくなっちゃうんですよね。あたし、普段は女子高生をやってるものですから。なのでいっそのこと、学習時間を減らしちゃう!? なんてことも考えたんですけど。それはさすがにダメだろうって。だから、削れるところはどうしても睡眠時間しかなくて。でも、そんなことをしていたら、両方ともできなくなっちゃいますから』


 愛奈が困ったように笑ってみせれば、声優陣は揃って『キリナ先生すごい!』と愛奈を持ち上げた。


 そんな愛奈の言葉を聞いて、怒りを発したのは才賀ではなく萌乃だった。


「あのイラストは才賀くんが描いてきたのに! キリナ先生が描いたわけじゃないのに……!」


 才賀の手柄を自分のものであるかのように振る舞う愛奈が許せなかったのだろう。


「萌乃。俺にはもうどうでもいいことだから、あんな奴のことで萌乃が腹を立てる必要なんかない」


「でも!」


「本当にいいんだ」


 萌乃はまだむくれていたが、才賀がふくれたその頬をつつけば、「……もう」と微笑んだ。


「息を吸うようにいちゃつきますね~」


 秋帆の指摘には、「恋人だから当然だ」と返しておいた。


 肩をすくめられたが。


 愛奈の話は続く。


『そういうわけで、あたしが文章に集中できるように、担当編集さんが、とっても素晴らしいイラストレーターを紹介してくれたんです。それがRAEI先生です』


 新しい人物の登場に、女性声優が黄色い声を上げる。


 それほど現れた人物――RAEIこと、阿武羅栄はイケメンだった。


 そのせいだろう。


 クリエイターに質問があると言いながら、羅栄に尋ねることは「彼女はいますか?」とか「好きなタイプは?」とか、そんなことばかりだった。


 苦笑しながらも、羅栄はそのすべてに答えていく。


『彼女はいませんが、好きな人はいます。その人が僕の好みのタイプです。今も昔も、これから先も。ずっとずっと、ね』


 女性声優たちはそれを聞いて「ロマンチック~」と騒いでいたが、


「うげっ」


 と唸る人物が才賀のすぐ近くにいた。


 秋帆である。


 見れば、苦虫をかみつぶしたような顔をして、「実は……」と羅栄との関係を教えてくれた。




 まだ羅栄がインターネット上で自分のイラストを発表しているだけの素人だった時、声を掛けて一緒に仕事をしたのが秋帆だった。


 秋帆の繰り返される鬼のようなリテイクの嵐にめげることなく、最後まで食らいついてきた羅栄はいい仕事をした。


 だが、結果は振るわなかった。


 作家と秋帆、それに羅栄の三人で打ち上げをして、その帰り、その羅栄に告白されたのだという。


「……で、面倒――じゃなかった」


 面倒って言ったぞこの人……という目で秋帆を見る才賀と萌乃。


 それをさくっと無視して、秋帆は話を続ける。


「まだ未来のある若者だったRAEIさんには、私なんかよりもずっと素敵なお嬢さんが現れるはずだからってお断りしたんです。けど、そんな人は金輪際現れない、自分の運命の人は私だって言い張って。そんなに言うなら、一番のイラストレーターになれば考えるって言ったんです」


 それ以来、羅栄は一番にこだわるようになったらしい。


「その結果、担当した作品が何本もアニメ化するようになったのはいいんですけど……」


「けど?」


「一番にこだわるあまり、自分以外のイラストレーターを敵視するようになっちゃいまして。潰してくるんですよ。まったく困った人ですよねえ」


 他人事みたいに笑う秋帆を、才賀も萌乃もジト目で見る。


「潰すって……まさか物理的に?」


「そんなわけないじゃないですか。自分より話題を集めている人がいれば、その人が描いた絵を徹底的に研究して、自分の方が上だと見せつけるようなイラストを仕上げてくるんです。で、自分はこれだけすごいイラストを描くことができるんだぞと威嚇する。実際、彼のイラストはすごいですし、圧倒されて自信をなくした人も、読者から彼と延々比べられることに絶望して筆を折った人もいます。須囲さんはどうですか? 今回、彼が担当したのって、須囲さんを引き継いでますけど」


 挑むような口調で秋帆が尋ねてくる。


 言われて、どうでもいいと思っていた愛奈の、今日発売の新刊を見た。


 アニメ化に伴ってという理由で、キャラクターデザインから一新されていた。


 だが、才賀のイラストを意識しているというのは、強く伝わってきた。


 それは構図であったり、筆遣い、色遣いの中に見て取れる。


 同時に、自分の方が上だという、強く激しい主張も感じ取ることができた。


 自分に自信がなければ、心が挫けていたかもしれない。


 あるいは秋帆の言ったとおり、延々比べ続けられたら、たまらないだろう。


 では、才賀がどう感じるかと言えば、


「別に。ふーんと思うだけだな」


「SNSで、須囲さんより上だって呟きもちらほら見かけましたよ? それでもですか?」


「あの人が意識してるのは昔の俺だから。その時の俺より上だって言われても」


「つまり、今の須囲さんは別次元の存在だから、相手にするのも馬鹿らしいと?」


「そうです!」


 秋帆の言葉を萌乃が肯定した。


「なるほど」


 そして納得ししまう秋帆。


「いや、そうじゃなくて。俺にとって大事なのは萌乃の小説のイラストを描くことだけだから。だから比べられたところでどうでもいい。……けど、あいつが萌乃の小説のイラストを担当するって言うなら、その時は話は別だ」


「全力で潰すと」


「そうです!」


 再び秋帆の言葉を萌乃が肯定した。


 だが、今回は才賀自身、萌乃の言葉を肯定する。


「萌乃の小説のイラストは、他の誰にも譲らない。絶対にだ」


「わたしもこれから先、ずっと才賀くんに担当して欲しい! 絶対に!」


 そんな二人を秋帆は眩しそうに見つめた。




 最初の書店で予定外に時間を奪われてしまった才賀たちは、愛奈の小説を手に取る客が大勢いるのを横目に、次の店舗に移動した。


 どこの書店も愛奈の小説が大きく取り扱われていた。


 萌乃の小説は十軒近く回って、ようやく一軒見つけることができた。


「売ってるね。でも……」


「ああ……」


 萌乃の声は暗く、才賀も同じような感じになる。


 愛奈の小説を大きく取り扱うため、棚差しだったのだ。


「これだとお客さんの目にとまるのは難しいかもしれませんね」


 秋帆の言葉にうなずくしかない。


 本になれば。


 そうすれば何とかなると思っていた。


 萌乃の小説は面白いし、才賀のイラストも自信作だ。


 読者はわかってくれるだろうと。


 いつか、秋帆が言っていたことを思い出す。


 面白いものが必ずしも売れるわけではないと。


 この状況を見る限り、そのとおりだと認めるしかない。


「じゃあ、次に行きましょう!」


 それでもまだ、秋帆は諦めていないようだった。


 秋帆が新人編集だった頃から付き合いがあるという書店に、電車で移動して、向かう。


 そこは小さな書店だった。


 これまで同様、愛奈の小説が大々的に取り上げられていると思って、店舗に足を踏み入れたら、待っていたのはまったく違う光景だった。


 大々的に取り上げられていたのは、萌乃の小説だったのだ。


 秋帆が店主に親しげに挨拶する中、萌乃が店主に尋ねた。


「あ、あの! 秋帆さんと昔から付き合いがあるから、だからこんなに大きく取り扱ってくれたんですか!?」


 萌乃が作家で、才賀がイラストレーターであると、すでに自己紹介は済んでいる。


「違います。自分が読んで、面白いと思ったからです。だから一人でも多くのお客さんに手に取ってもらいたいと、がんばりました」


 店長自ら作ったというポップには、萌乃の小説がどれだけ面白いか、才賀のイラストがどれだけ萌乃の小説の世界を表現しきっているか、熱い言葉で書かれていた。


 強くオススメするという文字には、胸が熱くなった。


 溢れ出る思いを言葉に――いや、形にしたいと才賀は思った。


「辺見さん、何か描くものないか?」


 店長の熱い気持ちに触発され、その感謝や、その他諸々の気持ちを形にしたいと告げれば、


「こんなこともあろうかと、じゃーん! 色紙を用意しておきました!」


 秋帆が色紙を差し出してくる。


 才賀は机を借りて、溢れ出る思いを色紙に叩きつけた。


「できた」


 店長に渡せば、店長は感動して、


「こんなにすごい色紙、ありがとう!」


「いや、俺の方こそ。ありがとうございます」


 萌乃と一緒に頭を下げた。




 その後も秋帆と付き合いのある地元の小さな書店を巡り、萌乃の小説を大きく取り扱ってくれているところに、才賀は色紙を描いていった。


 中には、いつもなら専門店に多く配本されるのに、今回は希望したとおり配本してもらうことができてうれしいと言う書店員もいた。


「イラストを見た時から、これは面白い作品だと思った」


「絶対に売りたい作品です!」


「がんばってください! 応援しています!」


 そう言ってくれたのは、本当に小さな書店ばかりだった。


 だが、それでも、才賀たちはうれしかった。




 才賀たちが書店巡りをしている間、萌乃の小説を手に取る客が現れることはなかった。


 しかし、才賀たちが帰ってからしばらくして――。


 汗だくになりながら現れた客がいた。


 その客は専門店をいくら回っても萌乃の小説を見つけることができず、まさかこんなところにはないだろうと思いながらもやってきたという客で。


 萌乃の小説を見つけると、思わず喜びの声を漏らした後、迷わず手に取り、レジに向かうのだった。


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