第22話 キャンセル

 その日、学校を終えた才賀と萌乃が向かったのは、才賀の家でも、ましてや萌乃の家でもなく、天空出版近くのファミレスだった。


 打ち合わせなら、いつも天空出版の事務所で行う。


 秋帆が理由を教えてくれた。


『経費削減ですよ! その分の資金をいい本を作るために回すんです!』


 なるほど、秋帆の言うことにも一理あると思ったが、実際のところは単純にケチなだけじゃないかという気もした。


 そのことを萌乃に話せば、


『そ、そういうことは思っても口にしたらだめなやつだよ?』


 と言われたが、その目は泳いでいて、萌乃もそう思っていることがよくわかった。




 才賀たちがファミレスに入ると、秋帆が二人を見つけ声を掛けてくる。


 席に着けば、


「さあ、ここは私のおごりです! 好きなドリンクバーを注文してください!」


 と言われる。


「ドリンクバーって一つだけだよな?」


 才賀が指摘すれば、


「まさか、そこに気づくとは……!」


「いや、普通、気づくだろ」


「ですよね。まあ、冗談はさておきまして」


 本当に冗談だったのだろうか。


 秋帆の胡散臭い笑顔では、いまいち判断しづらい。


「撮りくんバー以外でも、何でも好きなものを注文してください! なんたって今日はお祝いなんですから!」


「「お祝い?」」


 才賀と萌乃の言葉が期せずして重なれば、秋帆に「さすがバカップルですね」と笑われた。


 その言葉を受けて萌乃が頬を染めて恥ずかしそうに俯く姿に、才賀は胸をくすぐられながら尋ねる。


「辺見さん、お祝いってどういう意味だ?」


 才賀が腕を折って、それでも萌乃のイラストを完成させると決めたあの日以来、才賀の秋帆に対する言葉遣いは丁寧なものではなくなった。


 意識してのことではない。


 秋帆も咎めないし、何となくそのままそれがずっと続いている。


 才賀の言葉に、秋帆が人差し指を立てた。


「須囲さんからいただいたイラストを、以前から編集部のブログでアップしていたんですけど、これがなかなか好評でして」


「知ってます! SNSとかで話題になってますよね! 才賀くんのイラストの魅力にみんなが気づいてくれて、わたしもう本当にうれしくて……!」


 興奮した萌乃がテーブルに身を乗り出して、イラストすべてについて語り出した。


「どのイラストがいいかって、もちろん全部最高にいいんだけど、特にわたしのおすすめは……!」


「ストップ、ストップ、ストォォォォップです、藻ノ先生!」


 どうどうと萌乃を落ち着かせる秋帆の姿は、猛獣使いのようであった。


「藻ノ先生が須囲さんのイラストを好き――」


「違います! 最愛なんです!」


「お、おう。そうでしたね」


 んんっ、と咳払いしてからやり直す秋帆。


「藻ノ先生が須囲さんのイラストを愛していることは充分理解していますが」


「もちろんです!」


 むふー、と鼻息荒く肯定する萌乃の姿に、才賀は照れくさく感じつつも、喜びを隠せない。


「須囲さんが描かれたのは藻ノ先生の小説のイラストですよ? ご自分の作品が注目されることに、もっと関心を向けていただかないと」


「……も、もちろん、ちゃんとわかってます、よ?」


「激しく目を泳がせながら言われましても」


「そ、そんなことないよね、才賀くん!」


 萌乃が才賀を振り返る。


「……萌乃はかわいいな」


「そ、そんなこと言われたって誤魔化されないんだからね!」


「いやいやめっちゃ誤魔化されてますよね藻ノ先生お尻から見えないしっぽ生やしてぶんぶん振ってるじゃないですか」


 秋帆が半眼で一気に言い切る。


「まあ、とにかくです! 須囲さんのイラストが好評を博して、藻ノ先生の小説にも注目がめちゃくちゃ集まっています!」


「なるほど。つまり今日は、萌乃の小説の知名度が急上昇したことを祝うために集まったということか」


 萌乃の小説が発売されるまで、あと1ヶ月。


 もう1ヶ月というべきか、まだ1ヶ月あるというべきか。


 萌乃は原稿の修正をすべて終えている。


 キャラクターデザインを完成させた才賀も、腕の痛みを忘れてイラストを描くことに集中し、表紙、口絵、本文のモノクロイラストに取りかかっている、のだが……。


 正直、アイデアが沸き上がりすぎるのと、描きたい思いが強すぎるので、なかなか作業が進まない。


 萌乃の小説は本当に面白く、すべてのシーンにイラストを描き下ろしたくて仕方がないのだ。


 表紙、口絵、モノクロイラストだけじゃ、まったく足りない。


 だが、いつまでもそんなことは言っていられない。


 そろそろ完成させた方がいいのではないか。


 発売に間に合わなくなるのでは?


 才賀が秋帆に尋ねれば、


『大丈夫ですよ。ギリギリまで粘って、須囲さんの納得のいくものを作ってください』


 〆切があるのではないかという問いかけに関しては、


『〆切には嘘の〆切と、本当の〆切と、ギリギリの〆切、ヤバい〆切……他にもいろいろな〆切がありますから』


 などとのたまう始末。


 才賀は、それを作家やイラストレーターに告げるのはよくないんじゃないかと思ったが、


『信じていますから』


 その時ばかりは茶化すことなく、真摯に言われてしまえば、その気持ち、いや、期待を裏切ることはできないと思った。


 才賀の言葉を秋帆が肯定する。


「須囲さんの言うとおり、藻ノ先生の小説の知名度が急上昇中であることを祝うため――でもありますが」


「「ありますが?」」


 再び偶然にも声を揃えて言えば、秋帆に「本当にこのバカップルは」と呆れられつつも、


「実は! 須囲さんのイラストを購入者特典として使いたいという申し出が、専門店さんからたくさんいただきまして……!」


「さすが才賀くん! すごい!」


 秋帆と萌乃が手を取り合って喜ぶ姿を横目に、才賀は首を傾げる。


「専門店? 購入者特典?」


「え、そこから!?」


 と衝撃を受けた秋帆が才賀に教えてくれる。


 専門店とはアニメや漫画、同人誌、他にも様々なキャラクターグッズを販売している店舗。


 購入者特典というのはそのままの意味で、小説を購入してくれた人に、イラストや作者書き下ろしのショートストーリーなどが印刷されたポストカードやリーフレットをプレゼントするというもの。


「……そういえば、愛奈の小説のイラストを描いてた時、それ用のイラストを描けって言われたことがあったな」


「ちなみにわたしはすべての購入者特典をゲットしています!」


 萌乃が手を上げて言えば、


「藻ノ先生、信者の鑑のような人ですね」


 秋帆が苦笑する。


「というわけで須囲さん、購入者特典ですけど」


「もちろん描く。というか、俺にとって願ったり叶ったりの状況だ」


「というと?」


 先を促す秋帆に、才賀は自分の作業がなかなか進まない理由を語って聞かせた。


「つまり、購入者特典をたくさん描けば、俺が描きたいと思ったシーンをすべて描くことができる! すべて描くことができるなら何も迷うことなく、作業を進めることができるし、これで今までの遅れを一気に取り戻せる!」


 才賀が告げれば、


「なるほどっ、逆転の発想だね、才賀くん!」


 と萌乃は言い、


「いやその発想はおかしい!」


 秋帆が何事か呟き、


「いいですね、そういう感じで一つよろしくお願いします!」


 なぜか半笑いでそう言った。


「ま、まあ何にしても、いい感じの流れになってきましたよ! ……嫌な感じの情報も耳にしていましたけど、これなら重版もあり得るかもしれませんね!」


 編集者としての経験からと語る秋帆。


「嫌な感じの情報?」


「キリナ先生の作品がアニメ化するって話ですよ。新人賞受賞作と最近発表した新作の二つが」


 萌乃の小説が発売されるタイミングで、そんな情報が流れてきたというのは、おそらく偶然ではないだろう。


 愛奈が主導して、そうしたはずだ。


「須囲さんも藻ノ先生も、キリナ先生とは因縁浅からぬ仲ですからね。向こうから仕掛けてきたこの戦いに勝って、ぎゃふんと言わせちゃいましょう!」


 秋帆の言葉に、才賀と萌乃は力強くうなずいた。


 萌乃の小説は最高に面白いし、才賀のイラストも話題になっている。


 何より、これからは迷いなく、集中してイラストを描くことができる。


 実際、その日から才賀は一心不乱にイラストに取りかかって、渾身のイラストを完成させた。


 表紙も、口絵も、モノクロイラストも、どれも最高の出来だった。


 それを活かす素晴らしいロゴを含め、デザインを、デザイナーが作ってくれた。


 完璧だった。


 負ける要素はどこにもないと才賀たちは確信していた。




 だが、現実は非情だった。


 元より愛奈の小説は知名度が高く、人気もある。


 その小説のアニメ化が、しかもダブルで発表されれば、話題が集まるのは当然だった。


 さらに言えば、請け負った作品をことごとくヒットさせてきた有名監督や、今をときめく人気声優たちを起用。


 宣伝にはその人気声優たちが出演する動画を、様々な動画配信サイトで公開。


 萌乃の小説のことなど、誰も口にしなくなってしまった。


 それでもまだ、才賀たちには、たくさんの専門店が購入者特典を欲しいと言ってくれたという確かな手応えがあり、それを支えにがんばるつもりだったのだが……。


「どういうことだよ! すべてキャンセルって!」


 秋帆に呼び出され、事務所にやってきた才賀たち。


 そこで才賀は秋帆が口にした話にくってかかった。


 各専門店向けに10個ずつ、イラストを描き下ろしたというのに。


 秋帆が苦々しい顔で言う。


「ほとんどのところが言葉を濁して理由を教えてくれませんでしたけど、付き合いの長い担当者の方がいて、その人がこっそり教えてくれました。キリナ先生の小説のアニメ関係のグッズやイベントをたくさん行う代わりに、藻ノ先生の小説を取り扱わないようお達しがあったとか」


「は……?」


「キリナ先生の小説は累計発行部数400万部を越える実績があり、出版社は潤沢に資金を使うことができる。アニメのスタッフは手堅く、キャストも人気があって、アニメ化もおそらく成功するでしょう。じゃあ藻ノ先生は? 知名度はなく、出版社もレーベルもできたばかりの無名。……厳しいことですが、商売ですから」




 そして、愛奈の小説のアニメ化に話題を席巻されたまま、発売日を迎えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る