第19話 悪魔の囁き
萌乃の小説が発売するまで、あと2ヶ月半。
萌乃は未だに小説の修正作業に追われ、才賀もまた、キャラクターデザインに追われていた。
萌乃の小説を読み込み、修正が入れば、一から読み直して、萌乃が小説で描こうとしている世界観はどんなものか、想像の翼を広げ、それをイラストという形で表現する。
才賀にとって、それは至福の時間だった。
夢中になりすぎて、寝食を忘れてしまうことがあり、妹の澄江や家族、それに萌乃に心配された。
だが、やめられない。
「本当に萌乃の小説は面白くて、そのイラストを俺が担当できるのがうれしくてたまらないんだ」
才賀がそう告げれば、萌乃は上目遣いで睨んでくる。
「……もう。そんなふうに言われたら怒れないよ。でも、無理だけは絶対にしないで欲しい。お願い」
「………………わかった」
「それ、絶対わかってないやつだよね」
萌乃の苦笑いに、才賀も苦笑を返した。
そんなふうに魂を込めて描いたものを秋帆に提出し、確認してもらう。
『んー、いい感じなんですけどねぇ』
決して長いとは言えないが、それでも秋帆と過ごすようになってわかったことがある。
秋帆がそういう時は、不満があるということだ。
『わかりました。もう少し粘ってみます』
『あ、そうですか?』
『実は俺自身、納得しきれない部分もあるので』
『ですよねー。実は私もそう思ってたんですよ!』
だったら最初からそういえばいいのにと思うのは、才賀だけだろうか。
ともあれ、秋帆に告げた言葉に嘘はない。
提出した時にはいいと思っていたのに、時間が経つと『何か違う』と感じてしまうのだ。
才賀はそれがなぜなのか考えた。
おそらく、才賀の中に、まだ見えない答えがあって、それを完璧に表現し切れていないから、『何か違う』となるのではないか。
その答えを形にするべく作業を進めるが、なかなかたどり着くことができなかった。
それでも、それは決して苦しい作業ではなく、楽しいもので――。
そんなふうに日々が過ぎていく中、久しぶりに愛奈が接触してきた。
学校が終わり、萌乃を自宅まで送り届ける放課後デートの余韻を感じながら帰ってきた才賀を、才賀の家の前で出迎えたのである。
「このあたしを待たせるなんて。才賀のくせに生意気ね」
愛奈とは久しぶりに口をきくというのに、この悪態。
こいつはまったく変わらない。
才賀は呆れるよりも感心してしまった。
だが、だからといって、口をききたいとは思わない。
そもそも待っていてくれと言った覚えも、待っていると言われた覚えはないのだ。
才賀はそのまま家の中に入るつもりだった。
愛奈がこんなことを言い出すまでは。
「ねえ、才賀。あんた、辺見秋帆って編集と仕事してるんだってね。大丈夫?」
どうしてこいつが秋帆のことを知っている?
もしや、またよからぬちょっかいを出すために調べたのだろうか?
だとしても無駄だ。
秋帆は野平以上に萌乃の小説に入れ込んでいる。
何があっても萌乃の小説を出版するだろう。
「あいつ、業界での噂、最悪だから。あいつに飼い殺し状態にされて、作家を続けられなくなった人、山ほどいるんだから」
「話がそれだけなら帰ってくれ」
癇癪を起こして怒鳴り散らすかと思ったが、愛奈はあっさりと帰っていった。
まるでそうすることで、自分の言葉が真実であると伝えるかのように。
だが、そんなわけがない。
あるわけないのだ。
絶対に。
それから半月が経ち、萌乃の小説が出版されるまで2ヶ月を切った。
萌乃は相変わらず小説の修正作業を続けていて、才賀もキャラクターデザインが完成していない。
これだと思うものを出しても、
『なんか違うんですよねぇ』
『もうちょっと粘ってみましょう!』
『あと少し、もうちょこっとだけ! ほら、がんばって!』
そんな感じがいつまでも続く。
萌乃の小説の世界観をイラストで再現すること自体は楽しいし、しあわせだ。
そのこと自体に不満は何もない。
だが、さすがにこのままで大丈夫なのかという思いが鎌首をもたげてくる。
愛奈が告げたことを、最初はまったく気にしていなかった。
またよからぬちょっかいを出してきても、そんなものは跳ね返してやる。
愛奈の妨害に負けるつもりはない。
そう思っていた。
思っていたのだが――発売日だけが決まって、それ以外、何も決まらないまま過ぎていく中で、才賀は調べてしまったのだ。
愛奈の言っていることが本当なのかどうか。
そうしたら見つけてしまったのである。
辺見秋帆に潰されたという
しかも一人ではなく、何人も。
SNSに書かれていた、辺見秋帆に対する怒りは呪詛に似ていた。
書いても書いても決定稿にならず。
当然、発売日に間に合わず、発売延期。
『期待していたんですけどねぇ。残念です』
それでおしまい。
新人賞を受賞した人もいれば、ネットで小説を発表していて声を掛けられた人もいた。
みんなが言う。
辺見秋帆が担当編集じゃなかったら、きっと今頃、自分の小説は本になって、書店に並んでいただろう。
中には、こんな憶測を立てている人もいた。
辺見秋帆が延々と修正作業を指示するのは作家を潰すためであり、それは有望な作家を他社に取られないようにするためなのだ、と。
まさかそんな。バカな話があるか。
そう思うのに――何も決まらないまま過ぎていく日々は、その憶測が正しいのではないかと思わせるのに充分で。
このまま秋帆の元で続けてもいいのか。
才賀の迷いは一緒に過ごす萌乃にも伝わり、
「どうしたの、才賀くん? 大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ」
萌乃には余計な心配を掛けたくなくて、才賀はその迷いを一人で抱え込む。
大丈夫だ。萌乃の小説は面白い。
修正作業もよりよいものにするために必要なだけ。
才賀はすべての迷いを振り切り、イラストに集中して、渾身のキャラクターデザインを完成させた。
萌乃に見せれば、萌乃は涙を流した。
「も、萌乃!? どうした!? そんなに変だったか!?」
「違う、違うの! わたしの頭の中にしかいなかったキャラクターたちが、こうやって完璧な形で描かれてたから。それがうれしくて。すごい、すごいよ、才賀くん! 本当にすごい! 今まで一番、このイラストが好き!」
作者である萌乃がこう言っているのだ。
秋帆も間違いなく、納得するはずだ。
それは甘い期待だったのだろうか。
『もうひと息ですね! がんばってください、須囲さん!』
秋帆の飄々とした声が、この時ばかりは悪魔の笑い声に聞こえた。
本当に秋帆に任せて大丈夫なのか。
今からでも他の出版社を探すべきではないのか。
夜、気分転換にコンビニまで出掛けた才賀は、考え事をしていたせいで人にぶつかってしまった。
「すみません」
と謝ったのに、その人は才賀を睨みつけ、そして――。
ボギン。
才賀の腕の骨を折った。
全治4ヶ月という診断が下った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます