第20話 本気と覚悟

 診察してくれた医者に礼を言い、才賀は診察室を出る。


 時間は夜。


 緊急外来のため、待合室にいるのは、怪我をした際に連絡を取った妹の澄江だけのはずだった。


 だが、


「才賀くん……!」


 萌乃と、


「どうも」


 という秋帆がいた。


 萌乃と澄江には面識がある。


 澄江が「最近のお兄ちゃん、何か楽しそうですね」というので、そういえば彼女ができたことをまだ言っていなかったなと思い、話せば、萌乃に会いたいと言い出したので会わせたことがあったのだ。


 その時、二人は才賀がいかにかっこよくて、素敵かということで意気投合。連絡先を交換していた。


 そうして今回、萌乃経由で秋帆にまで連絡がいったのだ。


 確認すればそのとおりだと秋帆がうなずいた。


 澄江が才賀から書類を受け取り、会計などの手続きに向かう。


 澄江に「ありがとう」を告げてから、改めて萌乃を見る。


 よほど慌てて駆けつけたに違いない。


 普段のお嬢様然とした姿はどこにもなく、髪、眼鏡、服の裾と、どこもかしこも、乱れに乱れていた。


 一方、秋帆はいつもどおりだった。


 パリッとしたスーツ姿。


 取り乱した様子はどこにも見られず、実際、才賀を見る眼差しも普段と何も変わらなかった。


「腕の骨が折れて、全治4ヶ月だそうです」


 才賀の言葉に、萌乃が絶句する。


「大丈夫……のわけないよね。入院とかは? しなくてもいいの?」


「綺麗に折れてるから、ギプスで固定するだけでいいらしい」


「痛みは?」


「折れた時はあったけど、今は薬をもらって呑んだから」


「そっか――って、立ちっぱなしじゃつらいよね!? 才賀くん、座って」


 萌乃がソファに腰掛け、その横を示した。


 つらくはないが、萌乃の気持ちがうれしくて、才賀は腰を落ち着けた。


「大変だったよね。すごく痛かったよね」


 そう言って、萌乃は才賀に寄り添ってくれる。


「須囲さん」


 ソファに座る才賀たちとは対照的に、立ち尽くしたままの秋帆が口を開く。


「今回、骨折した右腕って」


「利き腕です」


「なるほど。なら」


「萌乃の小説、出版を延期しますか?」


 才賀は秋帆に最後まで言わせなかった。


「あ……」


 才賀が言葉にするまで、萌乃は自分のことなのに、その可能性についてまったく気づいていなかったらしい。


 ものはいつだってそうだ。


 才賀のことばかり気に掛ける。


 うれしいし、くすぐったくもあったが、もう少し自分のことを考えて欲しいと思う。


 萌乃の小説は世界一面白いのだから。


 絶対に本にして、発表するべきなのだから。


「ええ、そうですね。須囲さんがイラストを描けないとなると、当然そうなりますよね」


 秋帆の言葉に、萌乃が激しく同意する。


「……………………満足ですか?」


「はい? いったい何のことです?」


「萌乃の小説、発売が延期になったことですよ。辺見さん、満足してるんじゃないですか?」


「さ、才賀くん、いきなりどうしたの……?」


 突然変なことを言い出したと思った萌乃が、才賀を心配そうに見る。


 そんな萌乃に、才賀は少し迷ってから、自分が秋帆について知っていることをすべて語って聞かせた。


 それは、辺見秋帆に潰されたという元作家の顛末。


 萌乃も同じ途を辿っているとしか思えない。


「そ、そんな……秋帆さん、嘘ですよね……?」


 尋ねる萌乃に対して、秋帆は果たして何と答えるのか。




 才賀たち以外誰もいない病院の待合室に、自動販売機の唸る音が響き渡る。


 秋帆はやれやれと肩をすくめて、


「事実ですよ、全部。私がその作家を潰したことも」


 そう言った。


 言ってしまった。


 才賀は無事だった方の手を強く握りしめる。


 今度こそ、萌乃の小説が本になって書店に並ぶと思っていたのに。


 それがまさか、こんな結末を迎えるなんて。


 愛奈に余計なことを吹き込まれて。


 ネットで調べたらそんな情報が出てきて。


 だが、そんなのはまるで嘘だと、デタラメだと、秋帆に否定して欲しかったのに。


「飼い殺しにしていたことを認めるんですね」


「いいえ?」


「この期に及んで否定するなんて……!」


「しますよ! そりゃあもう全力で! だって、それに関しては事実無根ですから!」


 秋帆が胸を張る。


 とても作家を潰した編集の態度とは思えない。


「私が好きこのんで没を出したり、やり直しを要求したりすると思いますか!?」


「割と」


「どうしてですか!?」


「……俺にリテイクを出す時、楽しそうでしたし」


「……演技ですよ?」


「なら、どうして真っ直ぐ俺の目を見ないんですか?」


「今はそんなことはどうでもいいんです!」


「誤魔化した」


 と萌乃が言い、


「全力で誤魔化した」


 と才賀が続ければ、秋帆が再びぷいっと視線を逸らした。


「とにかくですね! 私は担当した作家さんの作品を、誰よりも自分が一番面白いと思っている自信があります! そして同時に、その作品に秘められたポテンシャルは、まだまだそんなものじゃないと思うわけです! もっともっとがんばれば、絶対にすごい作品になると! すべてはより面白い作品を出版するためなんです!」


 そう語る秋帆の口調はすこぶる熱く、その言葉は嘘ではないと、理屈ではなく、感じられることができた。


「だったらどうして……作家が筆を折ってしまうんですか。がんばれば本になるのに!」


「須囲さん。がんばることができるのも、一つの才能なんです」


「……がんばるのも才能?」


「残念です。とても面白い作品が仕上がると思っていましたから。本当に」


 心の底からそう思っているのだろう。


 いつもの、飄々とした口調ではなかった。




 秋帆の言葉は真実だろう。


 面白い作品になると信じているから、一切妥協することなく、リテイクを繰り返す。


 萌乃の小説も、才賀のイラストもそうなのだ。


 なら、才賀はどうする?


 そんなのは考えるまでもない。


 答えは最初から決まっていた。


「萌乃の小説、発売は延期しない」


 なぜなら、


「俺は絶対にイラストを仕上げる」


「才賀くん!?」


 驚く萌乃。


「秋帆さん、止めてください!」


 才賀が本気だとわかったのだろう。


 萌乃が秋帆に言う。


「利き腕を全治4ヶ月の骨折して。須囲さん、それ、本気で言ってますか?」


「当然だ。指先は動くんだから。やらない理由がない」


 才賀の答えに、秋帆がニヤリ笑った。


「では、さっそくリテイクに取りかかってください! まだまだ、もっとよくなるはずですからね! 腕が痛いとか言わせませんよ?」


「鬼だな、あんた」


「鬼で結構! すべては作品のためですから!」


 秋帆が胸を張る。


 本気で萌乃の小説をよりよいものにしようと考えているのが、伝わってくる。


「二人とも正気に戻って!」


「何を言っているんですか、藻ノ先生。どう考えてもめちゃくちゃ正気じゃないですか!」


「全然違います!」


「そんなことより萌乃」


「そんなこと!? 才賀くん、自分のことだよ!?」


「いいや、俺のことより、萌乃のことだ。作品に磨きをかけるんだ。今よりもっとずっとすごいものにするために」


「そうです! 須囲さんの言うとおりですよ、藻ノ先生!」


 もう、と呆れたような顔をした萌乃だったが、


「……二人がそこまでしてくれるのは、それだけわたしの作品のことを思ってくれているからだよね。うん、わかった。わたし、がんばる。がんばって、二人をあっと言わせる仕上がりにしてみせる!」


 萌乃がグッと拳を握りしめて言ったところで看護師が現れ、静かにしてくださいと怒られた。


 萌乃だけが。


「どうしてわたしだけ!? 理不尽だよ~!」


 泣きついてきた萌乃を、才賀は無事の方の手でよしよしと宥めるのだった。

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