第17話 本物の天才

 初めて結ばれた・・・・・・・あの日以来、才賀と萌乃は寸暇を惜しまず、イチャイチャするようになった。


 朝、才賀は萌乃を家まで迎えに行くようになった。


 最初は才賀が大変だからと遠慮していた萌乃だったが、


『俺が萌乃と一緒にいたいんだ。駄目か?』


 と才賀が言えば、


『……ずるいよ、そんな言い方。わたしだって才賀くんと一緒にいたいもん』


 拗ねたように言う萌乃は最強にかわいかったことをここに記しておく。


 授業中は教師の隙を突いてアイコンタクトを交わし、昼食は絶対一緒にとって、帰宅ももちろん一緒だ。


 萌乃の家まで送り届け、衛に睨まれる。


 当然、別れ際のキスはできない。


 また明日と別れる。


 だが、すぐに萌乃からスマホに着信が入る。


『才賀くんともう少しだけお話ししていたかったから。駄目、かな?』


『そんなわけない』


 会っている間、ずっと話しているのに、全然足りない。


 そうして電話を切る時には、


『じゃあ、また明日ね』


『ああ、また明日』


『……んっ。……えへへ、大好き、だよ?』


 電話越しにキスをして一日が終わる。


 そんなふうに、最近の一日は過ぎていくと才賀が話せば、


「何ですかそれ。バカップルですか? バカップルですね。というかそんなイチャイチャ話なんか聞きたくないんですけど!? 辞めてくれませんかね!!」


 秋帆が怒りを爆発させた。


 今日は休日。


 打ち合わせがしたいと秋帆に呼び出され、才賀と萌乃は天空出版社のしょぼい事務所に来ていた。


 そこで秋帆に聞かれたのだ。


『最近どうですか? 私のアドバイスどおり、ちゃんとイチャイチャしてますか?』


 と。


 だからこんな感じに過ごしていると話したというのに、この反応。


「それで、イラストの方はどうです? まさかイチャイチャするのに忙しくて、全然描けてないとか言いませんよね?」


「当然です。そうなったら、本末転倒じゃないですか。きちんとやってます」


 まず最初に才賀が行ったのは、愛奈のイラストを描いていた時のことをすべて忘れることだった。


 萌乃はあのイラストを気に入ってくれていて、それは素直にうれしく思う。


 だが、萌乃の世界観を表現するのに、愛奈の時に培ったものを使いたくないという思いが強かったのだ。


 萌乃の世界が愛奈によって穢される気がして。


 なのですべてを忘れ、白紙の状態にして、それから萌乃のことを考えた。


 萌乃と過ごしたことで感じたすべてのこと。


 さらに萌乃の小説を読んで、読んで、読み込んで、萌乃の小説に相応しいイラストはどんなものかを考えた。


 そうして出来上がったもの――否、まだまだ全然未完成で、到底、萌乃の世界観を表現し切れているとはいえないものを、才賀は萌乃と秋帆に見せた。


 自分が思っていることを素直に添えながら。


 愛奈の時は、愛奈に言われ、無理矢理描かされてきた。


 もう描きたくないと思いながらも、あれを描け、これを描けと言われて。


 カバーイラスト、口絵イラスト、本編モノクロイラスト。


 他にも販売促進用の特典イラストも。


 愛奈の言うまま、命じられるまま。


 そこに才賀の意思はなかった。


 だが、今は違う。


 萌乃の小説のイラストが描きたい。


 描きたくてたまらない。


 どれだけ描いても描き足りない。


 思いは湯水のごとく溢れてくるのに、萌乃の世界観を表現しきれる技術が今の才賀には圧倒的に足りなかった。


 悔しい。


 どうして自分はこんなにも下手なのか。


 どうすれば上手くなれるのか。


 萌乃の世界観を完璧に表現したいのに、それができない自分がもどかしくて、歯がゆくて、たまらなかった。


 才賀は萌乃と秋帆を見る。


 二人とも才賀が差し出したイラストを見て、黙り込んでいる。


「やっぱりそうだよな。全然足りないよな」


 才賀と同じ感想を、二人もまた抱いたのだと、萌乃たちの姿を見て才賀は考えた。


 萌乃の小説に対して、才賀のイラストが力不足であることが、これで判明した。


 情けないと思うが、それで諦めるつもりは絶対にない。


 そのことを改めて告げようとした才賀に、萌乃が言う。


「ねえ、才賀くん、これで足りないって本当? 全然駄目だって本気で言ってる……?」


「当たり前だろ? 萌乃だってそう思うだろ?」


「思わないよ! 全然思わない……!」


「え?」


「わたし、すごく感動した! わたしの小説が、才賀くんの目を通すとこんなふうに映るんだって、こんなにも素敵なものになるんだって、わたし、すっごくうれしい……!」


「それはない」


「ううん、ないことない! 本当にすごい!」


 萌乃がしきりに感動したことを伝えてくれる。


 言葉だけでは足りないと、才賀の様子から察すれば、態度も含めて。


 そこまでされれば、才賀も「そうなのか……?」と思ったりしたが、元々、萌乃は才賀のイラストを好きだと言っていた。


 最初から好意的だったのだ。


 ひいきが入っているのではないかと考えるのは、自然なことだろう。


 ならばと秋帆を見れば、


「……いやあ、正直、驚きました。全然・・です」


 やはり、萌乃の贔屓目だったのだ。


「ほら、萌乃。まだ足りないだろ?」


 才賀が告げれば、萌乃は不満そうな表情をする。


「違いますよ、須囲さん」


 秋帆が口を挟んできた。


「私が全然・・と言ったのはそういう意味じゃないです。正直、ここまでイラストをガラッと変えてくるとは思っていなくて」


「そうなんですか?」


「ええ、そうなんです。……で、見せていただいたイラストですけど」


 そこで秋帆が、ちらりと才賀を見る。


まあまあ・・・・いいと思います」


 まあまあの部分に萌乃が異を唱えようとしたが、秋帆は手を上げてそれを遮った。


「でも、須囲さんの言うとおりです。これではまだまだ・・・・足りません。何せ藻ノ先生のラノベは素晴らしいですからね!」


「確かに。世界で一番面白いラノベですから」


「ふ、ふたりとも、い、いったい何を……!?」


 蒸気を噴き出すんじゃないかというくらいの勢いで、萌乃が顔を赤くする。


「なので須囲さん、もっとがんばりましょう!」


「最初に言ったはずです。これじゃあ足りないと」


 だから、と才賀は続ける。


「もっとがんばるのは当たり前じゃないですか」


「……ありがとう、才賀くん」


 才賀と萌乃が手を握り、見つめ合う。


「ほらほら、打ち合わせはまだ終わってませんよ」


 秋帆の言葉に、才賀たちは秋帆に向き直る。


「藻ノ先生、いいニュースと悪いニュース、どちらから聞きたいですか?」


「え、何ですか、それ」


「ほらほら、早く答えてください。制限時間はあと5秒!」


「え、え」


「1」


 5秒じゃない!? と思わずツッコミを入れたくなった才賀だったが、秋帆の言葉にそれどころではなくなる。


「ではいいニュースから。藻ノ先生の本の発売日を決めました! 三ヶ月後です!」


「本当ですか!?」


 そう言ったのは才賀だった。


 萌乃は気にしないと言ってくれたが、それでも萌乃の本が出せなくなってしまったのは才賀のせいだ。


 だから、萌乃の本の発売が決まって、才賀は喜びを爆発させた。


「やったな、萌乃! おめでとう! 本当によかった……!」


「ありがとう、才賀くん!」


「お喜びのところなんですが、引き続いて悪いニュースです。うちはできたてほやほやの出版社なので、つまりレーベルの知名度が圧倒的に低いです。というか、ほとんど皆無と言ってもいいでしょう!」


 自分の出版社の話なのに、なぜ秋帆は自慢げなのか。


「部数もそれほど多くありません!」


「それでもいいです! 才賀くんのイラストがわたしの小説の表紙を飾ってくれるなら……!」


「と、藻ノ先生は言っているわけですが、須囲さん?」


「全力でがんばるだけです」


 才賀の答えに、萌乃はうれしそうに、秋帆は満足そうに笑った。


     ※※※※※


 同日、永許出版編集部にて。


 野平は電話を前に、苛立ちを募らせていた。


 愛奈に連絡が取れないのだ。


「何やってるんだよ、キリナ先生は!」


 本当なら今頃、野平の手元には、愛奈から新刊の原稿が届いているはずだった。


 だが、野平が苛立っていることからもわかるとおり、原稿は未だに届いていない。


 どうしてなのか尋ねようにも連絡がつかないし、それならばとメールを出しても反応はない。


 さっきから編集長にもせっつかれていた。


 その度に大丈夫ですと応えてはいたが、野平はヤバいと思い始めていた。


 担当作家に連絡がつかないことはよくあるが、今回のはその中でも特にヤバいやつに近い感じがする。


 それはこのまま連絡がつかず、新刊が出ないということだ。


 それだけは絶対に避けなければ――そう思いながら、再度、祈るような気持ちで愛奈に連絡を入れ、


『……もしもし』


 繋がった!


「キリナ先生! 原稿は!? 原稿はまだですか! 〆切は今日でしたよね!?」


『そうでしたっけ』


 気怠げな声。


「そうでしたっけ……って、そんなんじゃ困りますよ。原稿、できてるんですよね?」


 できている、その一言が早く欲しかった。


 だが、返ってきた言葉は無情なものだった。


『すみません。あたし、そちらの出版社では書きません』


「は? え、えっと……何を言ってるんですか、キリナ先生」


 野平の声が震える。


『聞こえませんでしたか? そちらの出版社では書きませんって言ったんですけど』


 聞き間違いだと思いたかった。


「そ、それはいったいどういうことですか……!? 約束したじゃないですか!」


 突然大声を出す野平に、編集部にいた人たちの視線が集まる。


 それに気づいた野平は慌てて何でもない様子を取り繕った。


「キリナ先生!」


『約束を破ったのはそちらですよ?』


「は?」


『あたしがそちらの出版社で小説を書く条件、覚えていますか?』


「え、ええ、もちろんです。語部さんの小説を出版させないこと」


 そのために、野平はあらゆる出版社に根回しをした。


 萌乃は才賀と組んで、愛奈の小説を盗作し、それを出版しようと編集部に接触してきたという、ありもしない事実をでっち上げて。


 そう、でっち上げだ。


 そんな事実がないことは、萌乃の小説をネットで見つけた野平が一番よくわかっている。


 萌乃の小説は本当に面白かった。


 キャラクターが生き生きしているのはもちろん、ストーリーもテンポよく進んで、何よりエロい。


 最初に萌乃に連絡を取った時、どこの出版社からも声が掛かってないと聞いて喜んだ。


 これから先、打ち合わせをして、作品を磨いていけば、さらにずっと面白くなるという確信があった。


 それに、萌乃が連れてきたイラストレーター。


 愛奈の小説のイラストを担当していただけあって、画力は100点――いや、120点。


 萌乃の小説の面白さに決して負けることなく、むしろ最大限に引き出すイラストを完成させてくれるに違いないと思えた。


 この新作は絶対に売れる――そう思っていた時だった。愛奈から連絡があったのは。


 永許出版でラノベを書いてもいい。


 愛奈は新人賞受賞作が400万部を越える売れっ子作家。


 先日発表された新シリーズの売り上げも絶好調で、コミカライズはもちろん、アニメ化の噂も、野平のところまで聞こえてくるほどだ。


 そんな彼女が永許出版で新作を発表してくれる。


 これは話題になる!


 萌乃の小説と、愛奈の小説。


 二つの話題作を担当することができるなんて。


 捕らぬ狸の何とやらと思いながらも、野平は興奮を隠すことができなかった。


 愛奈から条件を付けられるまでは――。


『でも、出るらしいじゃないですか、彼女の小説』


「は?」


『天空出版……? とかいう、聞いたことのない出版社のブログで告知されていました。なので、今回の話はなかったということで。それでは』


「ちょ、ちょっと待っ――」


 切られる電話。


 野平は固まった。


 どれくらいそうしていただろう。


 我に返ると、野平は慌てて愛奈に電話した。


 編集部にいた人たちが思わず息を呑むほど、鬼気迫る姿で。


 だが、どれだけかけても、愛奈に繋がることは二度となかった。


     ※※※※※


 秋帆は自分が更新したブログ記事を眺め、にんまりとした笑みを浮かべた。


 その時、編集部の電話が鳴った。


「もしもし、天空出版編集部です」


『……自分は永許出版の野平と言うものですが』


「そろそろ掛かってくる頃だと思ってたよ」


『その声……秋帆先輩!?』


「久しぶり、野平」


 秋帆と野平は同じ大学を卒業して、会社こそ違うが、同じラノベの編集部に就職したのだ。


「どう? 藻ノ先生を潰そうとしてまで出版枠を確保したキリナ先生の新作は? 順調に仕上がってる?」


『そ、それは……!』


「その声、その感じ、さては駄目になったんだ?」


 野平の答えは無言。


 だが、それは何より雄弁な答えだった。


「あんた、昔からそうだったよね。目先のことばかりにとらわれて。大事なものを取り逃がす」


『大事なもの?』


「わからない? ……まあ、わからないわよね。あんなろくでもない嘘をでっち上げて、新人を潰すような真似をする編集者なんだから」


『くっ、わかりますよ! 藻ノ先生でしょ!? 自分が藻ノ先生を見つけたんだ。藻ノ先生の小説は面白い! 磨けば光る原石っていうのは彼女みたいなことを――』


「違うから」


『え? 違う?』


「藻ノ先生の小説は最初から全力で面白いから。まあ、磨けば光るっていう点も否定はしないけど、それでも彼には遠く及ばない」


『彼……? もしかして――あのイラストレーターの彼ですか? 確か名前は……』


「須囲才賀。彼は天才で、その才能は本物よ。藻ノ先生の小説は売れる。元々の面白さに加えて、彼のイラストがその魅力を1000%引き出すから。ご愁傷様。でも、自業自得よね? だってキリナ先生も、あんたも、本物のイラストレーターとの繋がりを自分から手放したんだもの」


 それじゃと、言いたいことを言って秋帆は電話を切った。


 萌乃にしたひどい仕打ちを考えれば、この程度では足りない。


 もっとたくさん、言いたいことはあった。


 だが、これ以上、野平に関わってどうなる?


 そんなのは時間の無駄じゃないか。


 それよりも萌乃の小説をより多くの人に届けるには、どうすればいいか考えなければ。


 大丈夫。萌乃の小説は面白いし、才賀のイラストはすごい。


 読者は絶対に食いつく。


 その結果をもって、あいつらを見返すことができる。


 間違いない。


     ※※※※※


 野平は何も言わなくなった受話器を電話機に戻した。


 秋帆の嗅覚は昔からただならぬものがあった。


 大学時代にはそりが合わず、ラノベ編集部に就職してからもそれは変わらなかったが、その部分だけは一目置いていた。


 ならば才賀の才能は本当にすごいのだろう。


 愛奈には裏切られてしまい、今さら萌乃に連絡をすることなんてできない。


 編集長が愛奈の小説はどうなったのか、野平を怒鳴る。


 だが、野平は呆然としたまま。


「俺は……どこで間違ったんだ?」


 そう呟いて、頭を抱え込んだ。

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