第16話 とっておきの秘策

 放課後、制服姿の才賀は萌乃の家に来ていた。


 理由は秋帆である。


『須囲さん、藻ノ先生とイチャイチャしてください。それはもう思いっきり!』


 昨日、秋帆が告げた『とっておきの秘策』とやらの中身がそれだった。


 ――時間は、秋帆が『とっておきの秘策を教える』と言ったところまで遡る。




 天空出版、しょぼい事務所の中。


 秋帆がニヤリと笑った。


「とっておきの秘策をお教えします。須囲さん、藻ノ先生とイチャイチャしてください。それはもう思いっきり!」


 才賀は冗談だと思った。


 だが、秋帆を見れば、ニヤニヤした意地の悪い笑みを浮かべてはいるが、


「至って真面目に言ってますからね、私は」


 と言い切った。


 真面目に言っているのなら、なおのことたちが悪いと思うのは才賀だけだろうか?


「何でって思ってますよね?」


「いや、頭おかしいんじゃないかって思ってます」


「はっきり言いますね! でも、嫌いじゃないですよ、そういうの」


 秋帆は言う。


「須囲さんの話を聞いて、キリナ先生専用に絵が最適化――いえ、この方が相応しいかもしれません。特化・・された理由がよーくわかりました。それは」


「それは?」


「須囲さんがキリナ先生の幼馴染みだからです!」


「……はい?」


「つまり、キリナ先生の幼馴染みである須囲さんは、キリナ先生と長い時間、一緒に過ごしてきたわけです。その中で、キリナ先生が何を好み、何を嫌い、どんな世界観を持っているのか。頭ではなく心、あるいは肌で感じ取ることができるようになった」


 そんなもの感じたくないと、才賀は思わず反発したくなった。


 だが、冷静な部分では、確かに秋帆の言うとおりかもしれないと思った。


 愛奈が何を好きで、何が嫌いか、才賀はわかる。


 たとえばどこかに出掛けたとして、愛奈の喉が渇いたとする。


 そんな時、才賀は、今、愛奈が何を飲みたいか、愛奈が何も言わなくてもわかったりする。


 愛奈自身はそれを否定するが。


『何これ。あたし、こんなの飲みたくないんだけど?』


 とか言って。


 それでもうまそうに飲むのだ。


 なら、文句を言うなと思ったことは、一度や二度ではすまされない。


「イラストレーターが作家に対して深い理解を得ているから、作家が作り出す世界観を最大限に再現することができる。それが即ち、あれだけの完成度と売上を誇る作品を仕上げることに通じていたわけです。つまり――」


「俺には萌乃を深く理解する必要があると。そうすれば俺のイラストは萌乃専用に特化されて」


「藻ノ先生の作品世界を最大限再現できるようになるわけです! そのためにはどうすればいいか? それが私の秘策!」


「俺と萌乃が思いきりイチャイチャする」


「そうです! キリナ先生とそうしたみたいに、長い時間をかけて関係を深化させるなんて余裕はないですからね。短時間でより理解を深めるためには、思いきりイチャイチャするに限ります! わかりましたか?」


 萌乃に対する理解を深める必要があるのはわかる。


 だが、それがどうしてイチャイチャすることに繋がるのか。


 まったく理解できない。


 しかし、そう感じたのは、この場において才賀だけだった。


「わかりました!」


 何だと。


「わたし、才賀くんに理解して欲しいですっ! キリナ先生以上にっ! だから才賀くん、思いきりイチャイチャしましょう! それはもう、すっごい感じで……!!」


 才賀は萌乃の勢いに圧倒された。




 そして現在に戻り――。


「こ、ここがわたしの部屋、です」


 自室ということで制服からシフォン系の私服姿に着替えた萌乃に、才賀は自室に招き入れられた。


 自分の部屋とも、それこそ愛奈の部屋とも全然違う、甘く、爽やかな匂いがする。


「昨日の夜、ちゃんとお掃除したんだけど。散らかってるから、あんまり見ないでね」


 萌乃は恥ずかしそうにそう言ったが、才賀はそうは思わなかった。


 淡いグリーンで統一された、落ち着いた雰囲気の部屋は、まったく散らかってなどいなかった。


 壁際に設置された大きな本棚。


 出版社ごとに整理された、たくさんのラノベ。


 窓辺にはきちんと手入れされた観葉植物が置かれ、その手前にあるベッドには皺一つない。


 机の上に整然と置かれたノートパソコンで、小説を執筆しているのだろう。


「それじゃあ才賀くん」


 カーペットの上に座った萌乃が、自分の太ももを叩いた。


「こ、ここに頭を載せて、ごろんと横になってください」


「……は?」


「ひ、膝枕です!」


「……いや、それはわかるけど」


 何でそんな話に?


 萌乃を見れば、顔を真っ赤にして、めちゃくちゃ恥ずかしそうだ。


「お、思いきりイチャイチャするって言ったでしょ? だからこれです」


 そう言われれば、そうなのかもしれないが。


「いいのか?」


「……う、うん。昨日の夜から、すでに覚悟は決めてあるから。だから、大丈夫」


 ふんすと妙なやる気を見せる萌乃の姿に、才賀は思わず笑ってしまった。


 どうかしたのかと不思議そうな顔を向けてくるので、何でもないと応え、才賀はカーペットに座り、それから、


「それじゃあ……」


 萌乃の太ももに自分の頭を載せた。


「……重くないか?」


 萌乃の太ももの、信じられなくくらいのやわらかさ。


 あるいは、そのぬくもり。


 香水とも違う、甘やかな香り。


 それらに包まれ、才賀はいつになくドキドキしてしまう。


「うん。ちょっと重いかも」


「だったら」


 こんなことはやめよう。心臓にも悪い――そう続けるつもりだったのに。


「でも、なんか安心するから」


「安心?」


「才賀くんの重みとか、あたたかさとか。才賀くんをより深く感じることができるというか。……すごくうれしい」


「…………そうか」


 できる限り、平静に呟いたつもりだった。


 だが、萌乃を見れば、やわらかく微笑んでいて、


「ふふ、才賀くん。顔が真っ赤だね?」


 萌乃のすべてに、さっきからずっとドキドキしっぱなしであることも見透かされているみたいだった。


 照れくささと悔しさが入り交じった、何ともいえない感情に襲われる。


「そういう萌乃だって、顔が真っ赤だ」


 せめてもの反撃。


「うん、そうだよ」


 だが、まったく功を奏さなかった。


「だって、さっきからすごい勢いで胸がドキドキしてるもん」


 むしろ才賀が反撃を受けた気分だった。


 そうやってはにかむ萌乃に見とれてしまうのだから。


 ハァ……、と萌乃が漏らした切なげな吐息がくすぐったい。


「ね、才賀くん」


「……何だ?」


「キリナ先生とも……」


「愛奈? 愛奈がどうした?」


「その、こんなことしたのかなって」


「膝枕?」


 こくん、と萌乃がうなずいた。


「するわけがない。あいつは俺を下僕か何かだと勘違いしているような奴だからな」


 下僕に膝枕をする奴なんているわけがない。


「……そっか。ふふ、なら、よかった」


「よかったのか?」


「そうだよ。だって、才賀くんにこうして膝枕をしたのは、わたしが初めてなんだから。キリナ先生になんか、絶対に負けないんだから。だってわたし、才賀くんの彼女なんだから」


 その言い方が、まるで愛奈に嫉妬しているみたいで、


「もしかして萌乃」


 才賀がそのことを指摘すれば、


「………………だ、だって」


 と萌乃は顔を真っ赤にしてしまった。


「だから、すごく恥ずかしかったけど、すごくがんばったの」


 そんな萌乃がかわいくて。


 かわいくて、かわいくて、どうしようもなくて。


「なら、がんばった萌乃にはご褒美をプレゼントしないとな」


 才賀は萌乃の頭に手を伸ばし、撫でた。


「……才賀くんに、頭、撫でてもらちゃった」


 あまりにもうれしそうに萌乃が微笑むから、才賀は萌乃の頭を撫で続けた。


 萌乃の髪は見た目どおりふわふわで、最高の触り心地で、いつまでも触っていたくて。


「……ね、才賀くん」


「うん?」


「好き、……大好き」


「俺も萌乃が大好きだ」


「………………才賀くん。プレゼントってこれだけ?」


「え?」


「………………これだけ、なの?」


 萌乃が近づいてくる。


 何をするのかなんて、そんなことは聞かなくてもわかった。


 黒くて大きい瞳を閉じたから。


 才賀がすべきことは?


「………………萌乃」


 囁くように呟いた声は、萌乃に届いただろうか。


 才賀も同じように瞳を閉じた。


 二人はその甘やかな感触キスに意識を集中する。


 記憶に深く刻み込むように。


 一度、二度、三度と繰り返す。


「……んっ」


 と離れていくぬくもりに、才賀は切なさを感じた。


「……しちゃったね、キス。初めて、だよ?」


「俺も、そうだ」


「……えへへ。大好き」


 萌乃がしあわせいっぱいに微笑んだ。

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