第15話 イラストを描くことを諦めない

 呆気にとられるとはこういうことを言うのだろう。


 あっけらかんとした感じでさらりととんでもないことを言い放った秋帆を、才賀はただ見つめることしかできなかった。


 だが、それは少しの間だけだ。


 すぐに怒りがわいてきた。


 才賀に頼むことだけは絶対にあり得ないとはどういうことか。


 まさか……という思いが沸き起こる。


 秋帆も愛奈からろくでもないことを吹き込まれ、それで嫌がらせをするつもりなのではないだろうか。


 そう思った才賀が真相を尋ねようとした時だった。


 萌乃が勢いよく立ち上がって言った。


「何ですか!? いったいどういうことなんですか……!」


 と。


 顔を真っ赤にして、秋帆を睨みつけている。


 自分の代わりに、萌乃が怒ってくれている。


 そのことがたまらなくうれしい。


 それに、萌乃がそうやって怒ってくれたことで、冷静になることができた。


 真相を尋ねるにしても、怒りに身を任せてはいけない。


 秋帆は肩をすくめて言う。


「どういうことも何も、そのまんまの意味ですよ。私は藻ノ先生のデビュー作のイラストを、こちらの方にお願いするつもりはありません。それだけは絶対にない。100%、いや、1000%あり得ないです!」


 さらなる駄目押し。


 ショックを受けなかったとは言わない。


 だが、すでに冷静になることができていた才賀は比較的落ち着いて受け止めることができたが、萌乃はそうじゃなかった。


「才賀くん、行こう!」


 才賀の手を掴み、立ち上がらせようとする。


「行こうって、どこへ?」


 打ち合わせは始まったばかり――いや、まだ始まってすらいないのに。


「才賀くんがどれだけすごい神イラストレーターかわからない……ううん、わかろうともしない人なんかに、わたしの小説に関わって欲しくない!」


「萌乃、それって」


「そうだよ! こんな出版社、こっちからお断りだよ!」


 萌乃のその言葉は、才賀の胸を熱くする。


 未だかつて、こんなに誰かに思われたことがあっただろうか。


 自分のことを認めてくれる人が、いただろうか。


 才賀は自分が幸せ者であることを、改めて再認識した。


 同時に、萌乃への思いがさらに強くなったのも。


「萌乃……」


「才賀くん……」


 才賀と萌乃が見つめ合っていれば、


「青春ですね~」


 そんなふうに茶化す声が。


 秋帆だ。


「あー、えっと」


 めちゃくちゃ気まずい。


 しかし、言った秋帆にはどうでもいいようで、さらに言いたいことを口にした。


「藻ノ先生がそういうなら、私は止めません。というか、止める権利ありませんし。非常に残念だとは思いますが」


「……じゃあ、わたしたちはこれで。ほら、早く行こう、才賀くん」


 萌乃が促す。


「でも、本当にそれでいいんですか? うちとの話を蹴って、それで他の出版社から声を掛かるのを待つって言うなら、それは無駄だと思いますけど」


「それは脅しですか?」


「いえいえ、まさか。はそんなことしませんよ、藻ノ先生」


 含みのある言い方だ。


「勘違いしないでくださいね? 私自身にそんな力はありませんし、他の誰かに頼んでしてもらうなんてこともしません。ええ、しませんとも。どこかの誰かさんと違って」


 そこで意味深に才賀を見る秋帆である。


 それを受け、「なるほど」と才賀は呟いた。


 秋帆の言うどこかの誰かさんとは、おそらく愛奈のことだ。


 そして才賀をイラストレーターとして起用しない最大の理由もそこにあるのではないか。




 才賀は深呼吸をした。


「才賀くん?」


 と呼びかける萌乃を見る。見つめる。


「萌乃。ありがとう」


「? 何のお礼?」


「俺の代わりに怒ってくれたこと。めちゃくちゃうれしかった」


 やっぱり青春ですね~と呟いている秋帆の存在は、今は無視する。


「けど、帰るのは待ってくれ」


「どうして? だってこの人は才賀くんのことをイラストレーターとして使わないって言ったんだよ!?」


「確かにそうだ」


「だったら……!」


「俺は萌乃の小説が本になって欲しい。それで、みんなに読んで欲しい。一人でも多くの読者に。それぐらい、萌乃の小説は面白いから。だから帰ったら駄目だ。この人、辺見さんの言うとおり」


 そこで秋帆が「名前でいいですよ?」と言ってきた。名字で呼ばれるのはあまり好きではないからと。


 才賀はにっこり笑って、わかりましたとうなずいた。


辺見・・さんの言うとおり、他の出版社から声がかかることはないと思う」


「……あなた、いい性格してますね?」


 秋帆が口角をつり上げ、才賀を見る。


「ありがとうございます」


 才賀は不敵に応じた。


 しばらく笑顔でにらみ合った。


「実際、萌乃の小説を書籍化したいって声をかけてきたの、辺見さんだけだっただろ?」


 才賀が告げれば、萌乃は渋々と言った感じでうなずいた。


「売れっ子なら何をやっても許されるとか、腐ってますよね!」


 秋帆自身、それを快くは思っていないのだろう。


 顔は笑っているのに、どこか不機嫌そうだった。


「けど、その売れっ子が問題なんだ。俺が萌乃の小説のイラストを担当できないのは――それが原因ですよね?」


 才賀が萌乃のイラストを担当すると、愛奈が絶対に余計なちょっかいをかけてくる。


 才賀と愛奈に接点があるから。


 だから余計なトラブルを回避したいと、そういうことなのだ。


 つまり、萌乃の小説を本にしたいなら、才賀が関わってはいけないのだ。


 そんなことを秋帆に告げれば、秋帆は「全然違います」と言った。


「売れっ子が関係している部分はありますが、余計なトラブルを回避するため、あなたにイラストを頼まないわけじゃありません」


「じゃあ、何でですか?」


「あなたのイラストがキリナ先生専用にカスタマイズされているからですよ」


「……え?」


「言い換えます。要するにですね、キリナ先生の作品を表現するのに最適化されすぎていて、藻ノ先生の小説の世界に合わないんです。それでもあなたにイラストを頼んだら、藻ノ先生の小説なのに、キリナ先生の小説みたいな印象を読者に与えることになってしまう。それはあなたにとって望むことではないですよね?」


 秋帆の指摘は、才賀にとって衝撃的だった。


「……さ、才賀くんのイラストはすごいのに」


 萌乃にとっても少なからず衝撃的だったようで、そう呟く声に力が入っていなかった。


「そうですね。それは私も認めます。藻ノ先生の彼氏さん――」


 そこで萌乃の顔がうれしそうに赤くなる。


 そんな場合じゃないというのに、才賀はちょっとうれしくなった。


「……照れないでくださいよ、こんなことで」


「「すみません」」


 声を揃えて言えば、秋帆が苦虫をかみつぶしたような顔をする。


「とにかく。私も彼のイラストがすごいことは認めます。キリナ先生の小説は、小説自体も面白いですけど、イラストがその魅力を120%引き出しているから、あの売上があるわけで」


 愛奈の小説のイラストを担当していた時は、愛奈の小説の売上がどれほどすごいことなのか、才賀は知らなかった。


 だが、萌乃と話すようになって、いろいろ知る中で、それがかなりすごいことであることを知った。


 そして今、その売上に少なからず才賀のイラストが貢献していたと、編集者である秋帆に言われたことは、才賀にとってうれしいことではあった。


「辺見さん」


「何でしょう?」


「あなたの話をまとめると、今の俺には、萌乃の小説のイラストを担当させるわけにはいかないってことですよね」


「そうですね」


「なら、未来の俺なら?」


「……はい?」


「俺、萌乃の小説を最高のイラストで飾らせてもらうって約束したんです。だから絶対に諦めたくない!」


 才賀の宣言に、その姿をぽーっとなって見とれていた萌乃だったが、


「わ、わたしも! わたしも才賀くんのイラストに表紙を飾って欲しい!」


 才賀と一緒になって、秋帆に向き直った。


 秋帆はそんな二人を見て、ため息を吐き出した。


「そんな夢みたいなことで、私が意見を翻すとでも?」


 駄目だったか。


「いいでしょう!」


「翻すのかよ……!」


 思わずツッコミを入れる才賀である。


「私、そういう夢みたいな話、嫌いじゃないんですよ!」


「……辺見さん、性格悪いですよね」


「そんなに褒めないでくださいよ。照れるじゃないですか」


 朗らかに笑う秋帆。


「で、須囲さん――絶対に諦めないって言いましたが、それは本当ですか?」


「もちろん」


「では、須囲さんには藻ノ先生の小説に合うよう、イラストの描き方を根本から変えていただきましょう」


「根本から……」


「できますか?」


「できるかできないかじゃない、やるんだ」


「いい返事です。では、特別に、とっておきの秘策をお教えします」


 秋帆がニヤリと笑った。


 果たして、とっておきの秘策とは?

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