第8話 小説が出ない!?

 このまま何事もなく、萌乃の小説は書籍化して、書店に並ぶのだと才賀は思っていた。


「そんなことないよ」


 と萌乃は言う。


「インターネットで好き勝手書いていた時とは違う苦労が、書籍化する時に待っているはずだもの」


 たとえばそれは、その表現で傷つく人がいるのではないかということだったり。


 間違ったことを書いていた時の訂正だったり。


 描写を厚くする、などという修正もそうだ。


「でも、それでも、わたしの書いた小説が、本という形で書店に並ぶことを考えれば、そんなものは苦労でも何でもないよ」


 しかも、と萌乃は続ける。


「しかも大好きなイラストレーターである才賀くんにイラストを担当してもらえるんだし、ね。こんなにうれしいことはないよ?」


 そう言ってことあるごとに萌乃は才賀に感謝を伝えては、才賀を照れさせるのだった。


 そうした日々の中で、才賀たちは本が書店に並ぶ日は、二人一緒で書店巡りをしようと約束を交わした。


「絶対、だよ?」


 担当していた教師が体調を崩し、自習となった授業中。


 クラスメイトたちが小声で騒ぐという器用さを発揮している横で、才賀と萌乃は机の下でゆびきりを交わした。


 これはそんな中、交わした会話の一つ。


「なあ、萌乃。書店巡りをしていて、サインを求められたらどうする?」


 才賀が問いかける。


「そ、その発想はなかったよ」


「何でだ。萌乃は作者なんだぞ?」


「それはそうだけど……でも、書店巡りをしているだけじゃ、わたしが作者だってバレないよ」


「……確かに。じゃあ、俺がバラせばいいのか」


「何でそうなるの!?」


「冗談だ」


 もうっ! と怒りながら二の腕を叩かれたが、まったく痛くなかった。


 そんな日々を過ごしながら、いよいよ萌乃が書いた小説の発売日が決まった――その矢先のことだった。


 放課後、オレンジ色の夕日に世界が染まる中、才賀と萌乃が一緒に歩いていると、萌乃のスマホに着信があった。


「編集の野平さんからだ。ちょっと待ってて、才賀くん。はい、もしもし………………………………え、ちょ、ちょっと待ってください! それってどういうことですか!? ちょ、野平さん、野平さん……!?」


 スマホは耳から離れ、愕然とした表情で立ち尽くす萌乃。


 そのただならぬ様子に慌てたのは才賀だ。


「どうした、萌乃!? 大丈夫か? 何があったんだ?」


「ごめ……ごめんなさい、才賀くん、ごめんなさい……!」


 大粒の涙をぽろぽろこぼしながら萌乃はただ謝り続けた。


 尋常ではないことが起きているのは間違いない。


 とりあえずどこか落ち着ける場所に移動した方がいい。


 そう考えた才賀は、未だに泣き続ける萌乃の手をしっかりと握りしめ、近くにある公園へと移動した。


 そこで何があったのか、詳しく聞いた。


 泣きじゃくりながら萌乃が語ったことは、萌乃の小説の書籍化の話がなくなったということだった。


 野平からの電話はそれを告げるものだったらしい。


「才賀くん、ごめんね。才賀くんの素敵なイラストを世に出せなくなって……本当にごめんね」


「萌乃が謝ることなんて何もない」


「でも」


「でもじゃない。本当に萌乃が謝ることは何もないんだ。むしろ、つらいのは萌乃の方じゃないか」


 だって、そうだろう?


 萌乃がインターネット上で発表していた小説を読んだからわかる。


 萌乃は小説が好きだ。


 才賀がイラストを担当することを喜んでくれていて、そのことは本当だとわかっている。


 だが、それとは別に、萌乃が自分の小説が本になることをとても楽しみにしていたのを才賀は知っている。


 はにかみながら自分の小説について語っていた萌乃の姿を、才賀は脳裏に焼き付けていた。


 それなのに――萌乃の小説の書籍化の話がなくなった?


 あり得ない!


 修正作業も順調に進み、才賀もキャラクターデザインをあげてOKをもらい、カバーや本編イラストのラフを描き始めていたし、何より、発売日まで決まっていたではないか。


 何かの間違いだ。


 絶対にそうに違いない。


「俺が連絡してみる」


 才賀もイラストレーターとして野平と連絡先を交換していたのだ。


 野平に電話をかける。


 繋がらない。


「………………」


 繋がらない。


「………………」


 繋がらなかった。


 ならばと考えたのは、編集部に直接電話することだった。


 さすがに編集部に繋がらないということはなく、しっかりと繋がったが、


『野平は席を外しています』


『いつ戻るかわかりません』


『折り返し連絡するように伝えておきます』


 そんなことを言われるだけだった。


 それでもその言葉を信じて、才賀と萌乃は人気のない公園のベンチで肩を寄せ合い、手を繋ぎながら、野平からの連絡を待った。


 夕日のオレンジ色に染まっていた世界が、いつの間にか濃い藍色に変わる。


 野平からの連絡は、なかった。




「……才賀くん、ごめん。きっと、わたしの小説が駄目だったから――」


「そんなことない!」


 才賀は萌乃の小説がどれだけ素晴らしいか、これまで思っていたことをすべて語って聞かせた。


「す、ストップ! それ以上は大丈夫! 本当にもう、大丈夫だから!」


「まだ全然伝えたりないんだけど」


「これ以上はわたしの心臓が保たないから」


 そういうことならと、才賀は渋々従った。


「とにかく、そういうわけだから、萌乃が謝る必要はない」


「でも」


「でもは禁止だ。俺なら本当に大丈夫だから」


「才賀くん……」


 萌乃を見る。


 散々泣いたせいで目は赤く、鼻の頭も赤くなっている萌乃。


 あとで振り返った時、萌乃はこの時の自分をかわいくないと言った。だからじっと見ないで欲しかった、覚えているなら今すぐ忘れて欲しいとも。


 だが、そんなのは無理な相談だった。


 自分のためではなく才賀のために悪いと涙を流してくれた萌乃は、何よりも美しいと思ったから。


「……でも、どうしよう。本当に書籍化の話、なくなっちゃったのかな。電話、繋がらないし」


「確かに電話は繋がらない。けど、それならそれで方法はいくらでもある。直接行けばいい」


「行くって……どこに?」


「決まってるだろ。編集部だ」




 とはいえ、今すぐというには時間も遅くなっていたので、次の日、学校が終わってすぐ、才賀たちは電車に乗って編集部に向かった。


 受付で編集部に用事があることを告げ、野平を出してもらうようにお願いする。


 だが、断られた。


 作家を自称する熱烈なファンだから追い返すように言われたらしい。


 そんなバカな!


「違います! 俺たちはそういうのじゃなくて、本当に……!」


「申し訳ございません。お引き取りください」


 騒いでいると取られたのだろう。


 ガードマンたちがやってきて、才賀たちを丁重に、しかし追い払おうとする。


 これ以上騒ぐのならば、警察に通報するとも言われてしまった。


 何なんだ、いったい。どうしてこんな扱いを受けなければいけない?


 おかしい。絶対こんなの間違っている!


 そう思っても才賀たちにはどうすることもできず、その場で立ち尽くしていれば、


「……へぇ、初めて来たけど。いい感じじゃない」


 聞き慣れた声がした。


 見なくてもわかる。


 それでも声のした方を見た。


 愛奈が、そこにいた。


 唯我独尊の笑みを浮かべて、立っていた。

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