第7話 取材と書いてデートと読む

 週末。


 才賀は萌乃と一緒に取材に出かける約束をしていた。


 そのための準備を終え、


「よし」


 いざ出掛けようとした時、呼び止められた。


「ちょっと待ってください。そんな格好で行くつもりですか?」


 妹の澄江が声をかけてきた。


 休日だというのに、だらけた感じはなく、きちんとオシャレしている。


 胸元まで伸ばしている髪は癖毛である特長を活かして、ウェーブが掛かっているように見せている。


 前髪は眉の上で切り揃えられている。


 妹ながらかわいい。聞けば学校でも人気らしい。


「何か問題があるか? 普通だと思うが」


 才賀は自分の格好を見下ろす。


 ポロシャツにジーパン。それにボディーバッグ。


 先日、萌乃と一緒に出版社に出かけた時は、この上に、父親から借りてジャケットを着用した。


「普通だから駄目なんです! 今日、何をしに行くのかわかっていますか?」


「取材だ。話しただろ」


 今日出掛けることを、澄江にはすでに話した。


 萌乃がラノベ作家になることも、そのイラストを才賀が手がけることも。


 澄江はよかったと喜んでくれた。


 愛奈のラノベのイラストを描いていたことも知っている。


 だが、反対していた。


 才賀が騙されていると。いいように利用されているだけだと。


 当時は、いつか愛奈が自分にも普通に接してくれるようになると信じていたから、取り合わなかった。


 だが、今から思えば、頭のどこかでは、おかしいという気持ちもあった。


 萌乃のイラストを担当することが決まってから、才賀は楽しそうだとも言っていた。


 確かに楽しい。それは愛奈のイラストを担当していた時には感じなかったことだ。


 澄江が腰に手を当てる。


「取材? いいえ、違います。デートです」


「は? お前は何を言ってるんだ?」


「男の子と女の子がふたりきりで出かけるんですよね?」


「ああ、そうだ」


「世の中ではそれをデートと呼ぶのです……!」


 違うと思ったが、澄江の思いのほか力強い言葉に、そうなのかと思ってしまう才賀だった。


「デートにそんな普通の格好で行くのはダメです。相手に、自分は気合いを入れる必要もない存在なんだと思わせてしまいます。ですからちゃんとオシャレしていかないと!」


「けど、俺は服なんかそんなに持ってないぞ」


 愛奈に振り回され続けていたので、オシャレをするという概念がそもそも存在していなかったのだ。


「大丈夫です。お兄ちゃんはお父さんの服が着られるのは、この前のジャケットで証明されていますから。お父さんのを借りればいいんです」


「……選ぶ自信がないんだが」


「そこは私に任せてください!」


 デートに行くわけじゃない。


 だが、澄江の言葉に考えさせられた。


 自分は気合いを入れる必要もない存在なのだと萌乃に思わせてしまう。


 それは駄目だ。絶対に避けたい。


 才賀にとって、萌乃はそういう存在になっていた。


「わかった。頼む」


「任せてください! とびきり格好良くコーディネートして上げますから!」


 そういえば澄江とこんなふうに話をするのは何年ぶりだろうか。


 すぐに思い出すことができない。


 澄江が遊んで欲しいと言ってきたことがある。小さかった頃のことだ。


 だが、その頃には、もう愛奈中心の生活が始まっていたから、澄江と遊ぶことができなかった。


 澄江にかまうと、愛奈に怒られたのだ。


 その時、澄江はどんな表情をしていたか。


「……なあ、澄江。俺に何かして欲しいことはないか?」


「いきなりどうしましたか?」


「今までかまってやれなかったから」


「明日、槍が降るかも……ううん、槍ならまだいい方かもです。もっとすごいものが降る予感が……!」


「おい、ずいぶんな言われようだな?」


「嘘です。その気持ちだけでうれしいです。ありがとうございます、お兄ちゃん」


「……そうか」


「それに、今はそれどころじゃないはずですよ?」


「というと?」


「これからデートなんですから」


「デートじゃないと言ったはずだが?」


「そういうことにしておきますね」


 笑う澄江の頭をコツンとするれば、えへへと笑う澄江である。


 愛奈との関係を断っていなかったら、今頃、家族とのこういう時間を作ることもできなかった。


 愛奈と絶縁してよかったと才賀は改めて思った。




 約束の場所に急いで向かった才賀は、萌乃がまだ来ていなかったことを知ってほっとした。


 それから自分の格好を見下ろした。


 これで大丈夫なのか。


 澄江は完璧だと言っていた。


 モノトーンのシャツにスラックス。


 デニムのジャケット。


 シルバーのチェーンネックレス。


 落ち着かない気持ちで待っていると、背中を叩かれた。


 振り返れば、萌乃がいた。


「遅くなってごめんなさい!」


 頭をバッ勢いよく下げれば、陽射しの下、真っ白なうなじが剥き出しになった。


 だが、才賀は何も言えなかった。


 萌乃に見とれてしまったからだ。


 つい先日、出版社に出向いた時とは違う私服姿。


 デニムのジャケットに、ロングのプリーツスカート。


「あの、須囲くん……?」


 不安そうな萌乃の声に、才賀は我に返る。


 慌てて気にしていないことを告げれば、なぜ何も言ってくれなかったのかという顔をされた。


 才賀はここ最近、萌乃を前にすると発生する、胸の奥のむずがゆさを感じながら、


「……語部さんがすごくかわいかったから、見とれちゃって」


 そう打ち明けることしかできなかった。


 萌乃はそんなこと言われるなどとまるで思っていなかったみたいな表情で驚き、それからものすごい勢いで顔を真っ赤にした。


 眼鏡が曇ってしまう。


「あ、あの、その、えっと!?」


 わちゃわちゃと手を動かしてから、


「あ、ありがとう」


 どうにかこうにか紡がれたお礼の言葉に、才賀の方まで何だか顔が熱くなってきた。


「そういう須囲くんも、かっこいい、よ?」


 今日、帰る時、澄江の好きなものを買っていこうと才賀は決めた。


「ありがとう。妹が選んでくれたんだ」


「そうなんだ。……なら、妹さんに感謝しないと」


 ぽつりとこぼした呟きが聞こえた。


「何で語部さんが俺の妹に感謝するんだ……?」


「ぅぇっ!? もしかしてわたし、口に出してた……!?」


「思いきり」


 萌乃が両手で頭を抱えた。


「……その、今のは聞かなかった方向で……?」


「うん。無理」


「須囲くんのいじわる!」


「……何でだろう、語部さんにそう言われるの、悪い気がしないな?」


「目覚めさせちゃいけない何かを目覚めさせちゃったのわたし!?」


「あはは、嘘だよ。別に無理して言わなくても――」


「その、お揃いだなって。今日、わたしと須囲くんの服。それが……うれしくて」


 これ以上はもう許して欲しいという感じで、萌乃は真っ赤な顔を俯かせてしまった。


「……俺も同じだ」


「よ、よく聞こえなかったので、もう一回言ってもらってもいいですか!?」


「その顔、絶対聞こえてた顔だと思うんだけど」


「そ、そんなことない、よ……?」


 ぷひゅー、とへたくそな口笛を吹いて、萌乃が誤魔化した。


 才賀は鼻の頭を掻いてこっ恥ずかしさを誤魔化しながら言った。


「俺もうれしいって言ったんだ。……これでいいか?」


「……うんっ、ありがとう、須囲くん!」


 萌乃がこんなに喜んでくれるなら、こっ恥ずかしくても言った甲斐があるというものだった。




 それから才賀たちは、いつまでも待ち合わせ場所にいても取材ができないことに気づいて、慌てて動き出した。


 今日の取材の目的は、萌乃の小説の描写にリアリティを持たせることだった。


 萌乃が言うには、萌乃の小説はまったくのゼロから想像して書いた小説だから、リアリティに欠ける描写が散見されるらしい。


「そうかな。俺は読んでてそんなことは思わなかったけど」


 才賀の言葉に、萌乃がはにかむ。


「ふふ、ありがとう。でも、野平さんにも言われたの。もうちょっと描写に気をつけて欲しいって。たとえばわたしの作品はちょっとエッチなラブコメだけど」


ちょっと・・・・?」


 あれはかなりエロかったような気がするのだが。


 深窓のお嬢様っぽい萌乃が書いていると思ったら、余計にドキドキしたものだ。


「ちょ、ちょっとだよ! ……ちょっとのつもりで本人は書いてるんだからっ」


 萌乃に肩を叩かれ(もちろん痛くない)、才賀は「わかったよ」とうなずいた。


「それでね。たとえば主人公がヒロインと初めてデートするシーン。好きな人と一緒に初めて歩く町の景色は、いつも見ているものと絶対違うはずだからって」


「野平さんが?」


「ううん。野平さんはもっとぼんやりしたことしか言ってくれなかった。もっと違う描写はできないかって。で、わたしが思ったの。光の加減とか。聞こえてくる音とか。空気に味を感じるかもしれないって。だって、大好きな人と一緒なんだよ? それはすごく特別なことなんだから、絶対にいつもと違う感じになるはずなんだよ」


「……なるほど」


「でね? そうやって普通の描写をいい感じに織り交ぜることで、エッチな部分がより際立つんじゃないかって」


「野平さんが?」


「ぼんやりとだけどね」


「……あの人、役に立たないな」


「そ、そんなことないよ! 野平さんがヒントをくれなかったら、わたし、そういうことに気づけなかったもん!」


「まあ、語部さんがそういうなら、そうなのかもしれないけど」


「……まあ、わたしも小説の編集さんって、もっといろんなアドバイスをくれるものかなって思ってたから。ぼんやりしてるなぁ、とは思ったけどね」


「人によるのもかもしれないな」


「うん。野平さんと電話してて、後ろから聞こえてきた他の編集さんは、もっとがっつり口を出してる感じだったよ」


 なるほどとうなずきながら、才賀たちは町を歩く。


 萌乃の小説をよりよくするために。


 大通りを歩きながら、気になる店を覗いたり。


 猫を見かけて、裏路地まで追いかけてみたり。


 迷子になっている子どもを発見して、一緒に親を捜し回ったり。


 萌乃は時々立ち止まって、電柱やポスト、マンホールなどをスマホで写真を撮ったり、目を閉じて深呼吸をしたり、耳を澄ましてみたりしていた。


「どう? 何かつかめた?」


 才賀の問いかけに、萌乃がうなずく。


「うん。須囲くんのおかげで、すごくよくなりそう! ありがとう、須囲くん!」


 そうして夜になり、先日と同じように、才賀は萌乃を自宅まで送り届けた。


「ごめんね、こんな遅くまでつき合ってもらっちゃって」


「大丈夫。それじゃあ、また明日」


「うん、また明日」


 才賀が背中を向けて、たった今、二人で歩いてきた道を一人で歩いて帰ろうとした時だった。


「また明日ね、才賀くん……!」


 名前を呼ばれて、驚いて振り返る。


 大して明るくもない街灯の下でも、萌乃の顔が真っ赤になっているのがわかった。


「今、俺の名前……」


「小説で主人公たちが名前で呼び合ってたから、どういう感じか知りたくって。駄目……だった?」


「ぜ、全然駄目じゃない!」


 よかった、と胸を撫で下ろしている萌乃。


 才賀は手を握りしめると、


「萌乃」


「え……」


「小説で主人公はヒロインのこと、呼び捨てにしてたから。どういう感じか知りたいなら、その方がいいんじゃないか」


「うんっ、ありがとう才賀くん!」


「いや、俺の方こそ」


 初めて名前を呼び合って、このままもうしばらく一緒にいたくなったが、本当にしばらくで済む保証が二人にはなかった。


 お互いに離れがたいものを感じながらも、


「……また明日ね、才賀くん」


「ああ、また明日だ、萌乃」


 ようやく離れることができたのは、名前を初めて呼び合ってから三十分以上過ぎてからだった。




 萌乃に初めて名前で呼ばれて。


 萌乃のことを初めて名前で呼んで。


 二人で歩いた道を一人で歩いても寂しさを感じられずに、才賀は家路につくことができた。


 途中、コンビニに寄って、澄江へのお土産を買っていく。


「確かテレビCMで流れてたシュークリームが食べたいって言ってたよな」


 幸せな気持ちのまま家の中に入ることができるはずだった。


 家の前に愛奈が立っていなければ。


 一瞬、文句を言ってやろうかと思ったが、もう二度と関わらないと告げたことを、才賀は思い出す。


 無視したまま家の中に入ろうとしたのだが、愛奈がそれを許さなかった。


「才賀、あたしにしたことすべて、謝るなら今のうちよ」


 こいつは。まだそんなことを言っているのか。


「俺がお前に謝ることは何もない」


 才賀は拒絶。


 当然、愛奈の凄まじい反発を予想したが、


「……あ、そう」


 それだけだった。


 そのまま才賀の横を通り過ぎていく。


「後悔しないといいわね?」


 そんなことを言い残して。




 それから三日後。


 萌乃が原稿を修正し、野平に送ったことを電話で才賀に連絡してきた。


『野平さん、すごくよくなってるって褒めてくれたの! ありがとう、才賀くんのおかげだよ!』


 すっかり名前で呼ぶことに慣れた萌乃である。


「萌乃ががんばったからだ。俺は何もしてない」


『ううん、そんなことない。才賀くんのおかげ。取材にもつき合ってくれたし、こうやって電話でお話もしてくれるし』


「そんなの、俺がしたくてしてることだから」


『……も、もうっ。そうやって恥ずかしいこと急に言わないでっ!』


 指摘されれば、才賀自身、恥ずかしいことを言ってしまったのかと照れくさくなる。


「本心だから」


『も、もうっ!』


 直接会って話すと、萌乃のくるくる変わる表情を見ることができてすごく楽しい。


 だが、こうやって電話で話すのも楽しかった。


 いや、うれしい――というより、幸せなのかもしれない。


 すぐそばで、自分にだけ萌乃が語りかけてくれている状況が。


『それにね、わたしの小説のイラストを才賀くんが描いてくれると思ったら、わたしどれだけでもがんばれるの!』


 愛奈から解放され、才賀は格好良くなった――らしい。


 自分のことだが、自分ではよくわからない。


 だが、澄江や他のクラスメイトの女子に言わせるなら、そういうことになる。


 イケメンだなんだとちやほやされるのは、正直、悪い気はしない。


 だが、それは自分で努力して得たものではない。


 だからそれを褒められても、最終的には微妙な気持ちになる。


 けど、萌乃は違う。


 愛奈によって無理矢理という形ではあるが、才賀が積み重ねてきた努力を認めてくれる。


 その成果を誇ってくれる。


 こんなにうれしいことはない。


「ありがとう、萌乃。俺もがんばるから。萌乃の小説に負けないイラストを仕上げるから」


『うん! 楽しみにしてる!』


 萌乃と話すのは楽しく、その日もあと5分だけと言いながら、一時間近くおしゃべりをしてしまった。




 萌乃の小説の作業は順調だった。


 このまま何事もなく、本になると才賀も萌乃も思っていた。


 だが、そうはならなかった。


 萌乃の小説の書籍化の話がなくなってしまったのだ。


 野平にそう告げられたという萌乃は、自分の方がショックのはずなのに、


「ごめんね、才賀くん。本当にごめんね……」


 才賀の素晴らしいイラストを世に出せなくなって申し訳ないと謝り倒したのだった。

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