第6話 成功への階/悪意の萌芽

 さすがは出版社だという感じのビルを前にして、さすがに才賀の体は硬くなった。


 このまま入っても大丈夫なのだろうか。


 出入口のところに立っている制服を着たガードマンみたいな人たちに、不審者として掴まるんじゃないか。


 冷静になって観察してみれば、才賀よりよほどラフな格好をした人が平気で出入りしているので、そんなことにはならないとわかるのだが、今の才賀にはそんな余裕はなかった。


「語部さん、行こう――――……語部さん?」


「……え、な、何、須囲くん!?」


 うわずった萌乃の声。


 見れば才賀以上にガチガチに固まった萌乃がいた。


 ……当たり前だよな、と才賀は胸の中で呟く。


 萌乃に聞いた話によれば、これが生まれて初めての打ち合わせらしい。


 自分の小説を書籍にするための打ち合わせといいうだけでも緊張するだろう。


 なのに今回は、そこに才賀にイラストを担当して欲しいと萌乃が嘆願することになっている。


 才賀自身は、もう二度とイラストを描くつもりはなかった。


 愛奈に命令されて無理矢理始めたということもあるが、愛奈と関係を断ったので続ける必要がなくなったということもある。


 だが、萌乃が才賀にイラストを担当して欲しいと言った。


 言ってくれた。


 自分のやってきたことに自信を持たせてくれたのは萌乃だ。


 その萌乃の願いなら叶えたいと才賀は思った。


 今、萌乃は緊張でガチガチに固まっている。


 そんな萌乃の緊張を解したい。


 繋いだままでいる手に、才賀は力を込めた。


「大丈夫だ。俺も一緒にいるから。だから緊張することなんて、何もない」


 そんなことぐらいしか言えない自分が情けなくなった。


 だが、萌乃にとって、才賀の励ましは効果抜群だった。


「うんっ! ありがとう、須囲くん……!」


 萌乃の顔つきがやわらかくなる。


「それじゃあ須囲くん、そろそろ行くから……その、手、離さないとだよね」


「ああ、そうだな」


「それで、ね? わたしからは、あの、何だか離せなくて」


「わかった」


「…………………………須囲くん?」


「悪い。離さないとって駄目だってわかってるんだけど」


「……そ、そっか」


「本当に悪い」


「そ、そんな! 謝らなくていいよ! ……じゃあ、えっと、わたしの方から離すようにがんばってみるね?」


「いや、俺がちゃんと離すから」


「ううん、わたしが……!」


「いや、俺が……!」


 二人は顔を見合わせて、どちらからともなく噴き出した。


「じゃあ、一緒に離そう」


「うん!」


「いっせーの」


「せ!」


 才賀たちは手を離した。


 遠ざかるぬくもりに胸の奥が何だか締め付けられるような気がしたが、萌乃が繋いでいた手を愛おしそうに胸に抱きしめている姿を見たら、それ以上に胸の奥があたたかくなった。




 出入口に立っていたガードマンに呼び止められることもなく、無事にビルに入った才賀たちは同時にほっと息を漏らして、お互いに同じことを考えていたことを知り、笑った。


 萌乃が受付を済ませ、ロビーで待っていれば、細目で小太りの男がやってきた。


「自分が語部さんの担当編集になる野平のひらです。よろしくお願いします」


 その野平の案内で編集部へ。


 打ち合わせのためのスペースに通され、何か飲むかと聞かれたので才賀は水を、萌乃は紅茶を頼んだ。


 席を離れ、戻ってきた野平の手にはペットボトルの水と紅茶があった。


 野平はそれぞれの前にそれらを置くと、「さてと」と言ってから打ち合わせを始めた。


 最初はそれぞれ自己紹介から。


 野平と萌乃が改めてお互いに自己紹介をした後、野平が才賀を見る。


「そちらの方は保護者……にしては若いですよね。お兄さん?」


「いえ、違います」


 俺は――と自己紹介しようとした才賀だったが、萌乃がとんでもない発言をぶちかました。


「こ、こちらは神イラストレーター様でしゅっ!」


 噛んでしまったことに気づいて赤くなる萌乃。


 そんな萌乃もいいな――などと思っている場合ではないと、すぐに才賀は我に返る。


 だが、才賀が言葉を発するより先に、萌乃が思いの丈をさらにぶちまけた。


 才賀がイラストレーターであること。


 自分の小説のイラストを才賀に担当して欲しいこと。


 それが叶わないなら、自分は小説を書籍化しなくてもかまわないこと。


「ちょっ、語部さん!? 何を言ってるんだ!」


 萌乃の発言に慌てたのは才賀だ。


「わたしは本気だよ、須囲くん! わたしは須囲くんのイラストが大好きだし、このまま須囲くんがイラストを描かないなんてことになったら、それはそのままラノベ界の損失だと思ってる!」


 とんでもないスケールの話になってきた。


 だが、言葉どおり、萌乃が本気だというのが、言葉、声、瞳の強さから伝わってきた。


「そこまで……」


 そこまで自分のことを思ってくれる人がいるなんて。


 胸の奥が熱い。


 熱くてどうしようもない。


「あー……何だか青春? してるところ悪いんだけど、素人さんにイラストを担当してもらうわけにはいかないんだよね。こちらも伊達や酔狂で小説を出版しているわけじゃないからさ。商売として成り立たないとやっていけないんだ」


 野平の言うことはもっともである。


「今日は来ちゃったから、ここにいてもらってもかまわないけど……君は黙っててくれるかな?」


 野平の才賀を見る眼差しは冷たいもので、邪魔者扱いしているのが丸わかりだった。


 才賀の正体を知らないのだから、無理はない。


 だが、萌乃はそれが許せなかった。


「担当さん、聞いてください! 須囲くんはあの超人気作・・・・のイラストを担当しているんです!」


 萌乃が、愛奈の書いたラノベのタイトルを告げれば、野平は持っていたペットボトルをテーブルの上に落とした。


 開けっ放しだったペットボトルはその中身を、テーブルの上にぶちまける。


「あっ、うわっ、何やってるんだ!?」


 と言いながら、ポケットからハンカチを取り出して片付ける野平。


「ちょ、ちょっと待って!? 語部さんが言ってるのって、あの作品のことだよね……? 累計発行部数400万部を越える、あの」


「そうです!」


「え、ということは君――じゃなくて、あなたが、あの先生なんですか!?」


 野平が、愛奈のペンネームを告げる。


「正確には違います。小説は他の奴が書いてて、俺はイラストを描いてただけです」


「はぁ、なるほど――って、ちょっと待って!? あの先生って、確か自分でイラストも描けるってことが売りだったはずなんだけど!?」


 才賀は詳しい経緯は省きながら、自分が愛奈の小説のイラストを担当していた事実を野平に説明する。


 驚いてばかりいた野平だったが、


「……ううん」


 とうなり始めた。


 聞けば、


「君の話には説得力があったけど、だからといってはいそうですかとうなずくわけにはいかないよね。だって証拠が何もない」


 なるほど。言われてみれば確かにそのとおりだ。


「証拠も何も、須囲くんは本当に……!」


 そう言ってくれる萌乃に、才賀は「落ち着いて」と告げてから、野平に向き直る。


「証拠になるかどうかわからないですけど……ここでイラストを描いても?」


「え? ああ、大丈夫だけど」


 愛奈との関係は断ったので、愛奈の小説のイラストは描きたくない。


 なら何を描くかといえば、そんなのは決まっていた。


 萌乃の小説のキャラクターだ。


 萌乃にイラストを描いて欲しいと言われたその日、萌乃に教えてもらい、萌乃がインターネット上に公開している小説を読んだ。


 ラノベは愛奈のものしか読んだことがなかったので、詳しいことはわからない。


 だが、萌乃の小説は面白かった。


 いや、めちゃくちゃ面白かった。


 しかも、かなりエロかった。


 ラブコメだったのだが、サービスシーンが満載で、はっきり言って興奮した。


 清楚で、深窓のお嬢様っぽい萌乃が書いていると思ったら、余計に。


 野平にもらったコピー用紙にペンを走らせ、イラストを描く。


 出来上がったイラストを見て、野平は呆然となった。


「あの先生のイラストだけど、あの先生の作品じゃない……! これ、語部さんの小説のキャラたちだ……! 君の言うことは本当だったのか……!」


「当然です……!」


 才賀ではなく、なぜか萌乃が自信満々に、しかもうれしそうに野平の言葉を肯定しているのを見て、才賀はうれしいやらこっ恥ずかしいやらで、鼻の頭を掻いた。


 野平は疑ったことを謝り、才賀にイラストを担当して欲しいと言った。


 もちろん才賀は快諾した。


 その後、出版に向けての改稿作業について打ち合わせがあり、才賀と萌乃が家路についたのはすっかり日が暮れてからだった。




 夜遅くなったこともあって、才賀は萌乃を家まで送ることにした。


 萌乃は大丈夫だからと言ったが、


「語部さんみたいなかわいい子を一人で帰すわけにはいかない」


 と言えば、真っ赤になってうなずいた。


 才賀も自分が何を口走ったのか気づいて赤くなったが、夜だったので萌乃には気づかれていないと思いたい。


 どちらからともなく手を伸ばして、握り合った手のぬくもりを感じながら、夜道を歩く。


 会話はない。


 それでも気まずくなったりしなかった。


 あっという間に萌乃の家の前についた気がしたが、実際は三十分近く歩いていた。


「語部さん、今日はありがとう。……いや、今日だけじゃなくて、これまでもずっとありがとう。語部さんの言葉にどれだけ喜ばされたか」


「わたしは本当のことを言っただけだよ」


「それでも俺はうれしかったんだ。だからさ、俺にできることがあるなら、何でも言って欲しい。何だってやるから」


「そんなこと言われたら、すっごいことを言っちゃうかもしれないよ?」


「かまわない」


「……本当に?」


「ああ」


「なら、わたしとつき合ってください!」


「もちろん、いいぞ――って、ええ!? そ、それって!?」


「あ、ち、違うの! そうじゃなくて! 取材! 取材につき合って欲しくて……!」


「な、何だ、そういうことか……。ビックリした」


 才賀は、まだ動悸が激しい胸に手を当てる。


「そ、それじゃあ、また明日、学校で」


「おう。また明日、学校で」


 萌乃が家に入るのを見守ってから、才賀は家路についた。


 さっきは楽しく歩いたはずの道が何だか寂しいのは、隣に萌乃がいないからだと気がついた。


 別れたばかりなのに、無性に会いたいと思ってしまうのはどうしてだろう。


 空に浮かぶ月はただそこにあるだけで、何も教えてくれなかった。


     ※※※※※


 一方その頃――。


 愛奈はベッドに腰掛け、親指の爪を激しく噛んでいた。


 部屋の中はまるで嵐に遭ったみたいなひどい状態だった。


 誰がやったのか?


 愛奈である。


 学校で才賀から再度絶縁宣言をされて帰ってきた直後、暴れ回り、めちゃくちゃにしたのだ。


 そうすることで少しでも気が晴れるかと思ったが、駄目だった。まったく晴れなかった。


 なぜ? そんなの決まっている。


「許せない……絶対に許せない……才賀はあたしのものなのに……あたしに逆らうなんて、そんなの許されるわけがない……」


 なら、どうすればいい?


「……そうだ。自分が何をしたのか、わからせないと」


 ふふ、と笑う。


「駄目な犬には躾が必要よね。悪いことをしたら、きちんとお仕置きしてあげないと」


 だが、どうやって?


 どうすれば才賀は泣いて、ひざまずいて、自分に許しを請うてくる?


 考えていたら、電話が掛かってきた。


「才賀……!?」


 スマホを探すが見つからない。


 自分が暴れ回って、部屋をぐちゃぐちゃにしたせいなのに、そんなことを忘れて苛立ってしまう。


 音を頼りに何とか探し当てることに成功。


 だが、ディスプレイに表示されていたのは――。


「……才賀じゃない」


 スマホを放り投げる。


 愛奈が出るまで、スマホは鳴り続けた。


「もうっ、うるさいなっ! ……何よっ!」


 着信は愛奈の担当編集からだった。


 そんな横柄な態度が許されるのも、愛奈が売れっ子だからだ。


 これが普通の作家なら、絶対に許されない。


「は? 永許出版で新作を出すつもりか……? 何バカなこと言ってるのよ、そんなわけないでしょ! 今忙しいの! そんなバカなことで連絡してこないで!」


 担当編集がまだ何か言っていたが、愛奈は電話を切った。


「あたしがそんなよく知らない出版社で本を出すわけないじゃない……」


 そんなことよりも、今は才賀にどうお仕置きするかを考えなければ。


 そう思ってスマホを放り投げようとしたが、担当編集の言葉が妙に気になった。


 だから愛奈は、電話で聞いた永許出版のラノベ編集部のブログとやらを見てみることにした。


「あたしのラノベのイラストに似た感じの絵がアップされてるって言ってたよね。たぶん、あたしのファンがタッチを似せて描いたんだろうけど」


 スマホで検索して、ブログを表示する。


「なぁっ!?」


 絶句した。


 全体像はアップされていなかったが、そこに掲載されていたのは間違いなく才賀のイラスト、そのラフだった。


 イラストに添えられた文章には、どうやらWEB小説の書籍化が決定して、才賀はそのイラストを担当するらしいことが書いてあった。


 自分の小説のイラストは二度と描かないと言ったくせに。


 よくわからない、ぽっと出の新人のラノベのイラストを描く?


「そんなこと、許されるわけないでしょ……?」


 ねえ才賀? と呟いた愛奈は嫣然と微笑んでいた。

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