第39話 帰還
【前回のあらすじ】
サルベージャーとしての挟持を師匠にさとされ、再び闘志を燃やすクィント。そしてルカと和解したミレニアとの、甘く切ない時間が過ぎる。
ユニオンの海洋進出にとって最大の障害かに思われていた『海王ベガ』を退け、宿敵である『海賊ヴィクトリア』をもすでに討ち取った。
もはや彼らユニオン海洋調査隊第七洋区調査団に敵はなく、『赤鬼』マシュー・ミラーによってもたらされた情報から、目標物の正確な位置も割り出すことが出来た。
調査団の隊員はおろか、党内ですらごく限られた人間しか知らされていない「旧文明の遺産」。その平和利用を目的とした引き揚げ計画がいままさに実施されている。
巨大な二本のクレーンが、マリナーの誘導で慎重に海底へと降ろされていく。
壮大でありながらも緻密さを要求されるこの作業に、隊員一同、皆身を粉にして勤しんでいた。
そんななか、周辺海域の哨戒に当たっていた偵察艇から独立護衛艦『ほしかぜ』へと驚愕的な情報がもたらされた。
ある者は喜びに身を打ち震わせ、またある者は信じられないと呆然とする。
その時のカーラ・シュミットは後者に属するのだが、彼女が信じられなかったのはミレニア・ノヴァクの生還そのものであり、他の同輩達のように奇跡を賞賛するといった意味合いではなかった。
「ミレニア! よくぞ……よくぞ無事で!」
艦長にして彼女の許婚であるアルフォート・ラザルは、自身の階級や組織的立場もわきまえず部下の面前で堂々とミレニアを抱きすくめる。しかし、この感動的かつ奇跡的な両者の再会を咎める者などひとりもおらず、一部の者を除き、このミーティングルームに集まったクルー達は一斉に祝福の言葉を贈った。
「怪我はないかいミレニア? いままで一体どこで何を? いや、まずは休息が必要だな。大変だっただろう」
「……ありがとうございます、ラザル准将。敵マリナーとの応戦中に自機を失い、かつおめおめと生き恥をさらしてしまいました。海流に乗り近くの海岸に打ち揚げられて一命を取り留めましたが、必ずやまた党へのご奉公の機会もあるかと信じ、周辺のコミュニティより徴発いたしましたボートで帰還を。詳細はおって書面にまとめますので、ご容赦ください」
「あ、ああ……そうだな。いや、無事ならそれでいい。よく帰ったノヴァク少尉……」
催眠はまだ持続中らしい――カーラは内心ホッとする。
肩に小汚いリュックを背負い、無表情に応対するミレニアを見て皆、反応も三者三様だ。
アルフォートをはじめとするクルー達の笑顔が、にわかに萎んでいくのが手に取るように分かった。が、それもカーラにとっては好都合だった。
彼女はまだ「重病人」、誰かのサポートがいるのだ。
「艦長。少尉はお疲れのようですので、ひとまず個室で安静にされるのがよろしいかと」
「うむ、そう……だな。分かった本営にはわたしのほうから連絡をするとして」
「お待ちください艦長。少尉に関してはわたくしが閣下から一任されておりますので、それらもすべてお任せください。戦闘中、彼女の消息を見失った責任を、どうかわたくしに晴らさせてくださいませ」
「しかし……」
「後生です」
無為に時が流れる。
さすがに強引だっただろうか。だが、いまならばまだこの事実をシリウスは知らない。
彼の信頼を失いたくないカーラは必死だった。
その強い願いが通じたのだろうか、しばらくしてアルフォートは首を縦に振った。そしてクルー達に解散を指示し、カーラもミレニアを連れて彼女の個室へと向かった――。
その時ミレニアの胸中は、緊張とアルフォートへの罪悪感で一杯だった。
皆、予想以上に騙されてくれてはいるが、最大の懸念材料であったカーラすら騙し通せているのは僥倖である。だが油断は一切出来ない。何か感情的な反応を見せてしまっては、必ずバレてしまうだろう。
ミレニアは自身の個室へと向かって歩きながら、背後から付き従うカーラの異様な気配をひしひしと感じ取っていた。
短い船内通路を行く道すがら、ミレニアは見覚えのない顔に出くわした。
全身を革素材の服で固めた長身の男だ。腰にはユニオンでは見かけない、刃の湾曲したナイフをぶら提げている。
「ひゅ~。こいつは美人だぜぇ。なんだユニオンってのはこんな上玉ばっかかよ? それ知ってりゃもっと早く宗旨替えしてたぜ!」
「だまれマシュー・ミラー! 勝手に船内をうろつくな!」
ミレニアの背後からカーラが猛烈に抗議する。振り返る訳にはいかないが、相当に憤慨している様子である。
「おっとカーラちゃん、口は慎んだ方がいいぜ。なんたっておれは今回の立役者だからな。おれの仕事がなけりゃブルーポラリス号だって落とせなかったし、お宝だって探せねえ。オタクの親分は、確かそう言ってたぜ」
「くっ……」
「そーそー。そうやって
男は不器用なウィンクを残して、その場をあとにした。一瞬だけそちらへ視線を送ってみたが、やはりカーラはすごい形相で彼の方を睨んでいた。
マシュー・ミラーと言ったか――。
ミレニアは胸裡で復唱する。それはルカから聞いた裏切り者の名だ。そして自身の宿敵でもある『赤鬼』のパイロット。あの日、完膚なきまでに叩きのめされた相手である。
ずっと心のどこかで引っ掛かっていた。
再戦の機会あらば、必ずやと。しかし、いまの自分の任務はそれではない。それにあの男を倒すのにはもっと相応しい人間がいる。
ミレニアは、クィントから私怨の愚かしさを学んだ。彼女はいま、大局を見据えて行動せねばならなかった。
個室に到着する。
カーラは懐から取り出したカードキーをリーダーに挿入し、五桁のパスナンバーを入力した。
「なかへ」
ロックの外れたスライド式のドアを手動で開け、ミレニアを室内へと促した。
ミレニアは横目で彼女を捉えることもなく、淡々と自室へ身を投じる。懐かしい生活臭がする。短い期間ではあったが、まぎれもなくミレニアが過ごした個室であった。
カチリと、背後でドアがロックされた音がする。
しかし部屋のなかの気配は、いまだ消されてはいなかった。
「よく生きていたわね……」
ドアのほうから声がする。振り向くまでもない。カーラである。そしてミレニアの耳には、彼女が拳銃の撃鉄を起こす小さな音も聞こえていた。
「おかげさまで……」
ぎりぎりまで洗脳されたふりを続け間合いを計るが、頃合が難しい。このまま撃たれれば元も子もない。静かに反撃のチャンスを待つ。
「こちらを向きなさい」
カーラの言われるままにその場を振り返るミレニア。予想通り、自身の一メートル先には銃を構えるカーラの姿があった。自分の眉間にピタリと狙いをつけている銃口を目にして、ミレニアは内心気が気ではない。
冷や汗すらかくことを許されないこの状況。依然、緊張は続く。
「……どうやらまだ薬は効いているようね。いいわ、今日のところは生かしておいてあげ」
カーラが拳銃をしまう。
その一瞬をミレニアは逃さなかった。
肩から提げたリュックで彼女の手を払い、しまいかけた拳銃を床に払い落とす。さらに銃を足で蹴飛ばし、カーラの手が届かないようにした。
「きさま!」
「あの時は、随分と世話になったな!」
「ぶっ!」
綺麗に顔面へと入ったミレニアの右ストレートに、カーラが苦悶の表情を見せた。美しい眉が苦痛にゆがみ、早くも眼窩が腫れ上がる。
バランスを崩して床に倒れ掛かるも、彼女の右腕を掴んで放さないミレニアがそれを許さなかった。何度でも強引に身体を起こし、起き上がりこぼし状態で殴り続ける。室内の狭さもミレニアに有利に働き、カーラが逃れようとしても、すぐ壁に阻まれた。
この鬼畜な所業をまえに、カーラはなす術もなく血まみれになってゆく。
あと一、二発も殴れば意識も飛ぶかに思われたその時、ドアの向こうから激しいノックの音が聞こえた。
「おい! さっきの音はなんだ!? 中で暴れているのか、おい!」
室内の異常を感じ取った誰かが、お節介にも中の様子を気にしている。
まずい――この有様が船内に広まれば、動きにくくなる。もちろん計画もご破算だ。それだけは避けねばならない。
そんなミレニアの焦りが、油断へとつながる。
「しまっ」
カーラ渾身の前蹴りが、油断したミレニアの腹を蹴り飛ばす。
モロに重心を打撃されたミレニアの身体は、否応なしに壁へと吹き飛んでいった。さらに壁に叩きつけられたことで背中にもダメージを負う。一瞬にして食らった二重の激痛に、ミレニアの顔が大きくゆがむ。
一方、カーラは部屋の隅へ飛ばされた拳銃へと手を伸ばす。顔以外のダメージは少ないので、思い切りダイブした。
それにミレニアも即座に反応する。勢いが足りず拳銃には手が届かなかったが、それでもカーラの手を掴み、指をへし折ることには成功した。
「ぎッ――!」
また叫ばれでもしたらそれこそアウトだ。ミレニアは一瞬の間もおかずにカーラの顔面へ頭突きを食らわせた。
刹那、カーラは白目をむき、舌をだらんと口から伸ばして昏倒する。
動く様子はない。何とか気絶させることが出来たようだ。
「……やった」
全身を弛緩させ、安堵のため息をつくミレニア。しかし、それでもまだ彼女が油断するのは早過ぎた。
「おい! だいじょうぶか!」
ロックされたはずのドアが開き、室内に誰かが入ってきてしまった。この際、もはや誰かなど問題ではなく第三者の介入を許してしまったことがまずいのだ。
終わった――ミレニアは作戦の失敗を覚悟する。そしてシリウス政権における居場所のない自己の処遇についても考えがめぐり、メガフロートに残してしまった母親の落胆する顔を思い描いて悲嘆に駆られた。
さらにクィント――もはや生きて会うこともないだろうと決意した彼の顔が浮かび、いくら強がっていようとも、自分のなかで息づいている少女の部分に気付かされた。
自然と涙がこみ上げる。
「これは……一体……」
出くわしてしまった状況に、息を呑む第三の男。だが彼はミレニアの予想に反して、意外な行動に出た。
彼は一度、室外の様子を確認すると、再びドアを閉め鍵をロックする。そしてミレニアのそばへと駆け寄り、外に声がもれないようにと、ささやく感じで語りかける。
「これは何事だ、少尉? どうしてシュミット特佐が倒れ……倒されている?」
声の主は『ほしかぜ』副長のトルーニーだった。普段の冴えない中間管理職の顔が、にわかに殺気立つ。だがそれは、ミレニアに向けられたものではないようだ。
「こ、これには訳がありまして、その……」
「少尉。『ふり』をするのはもうよしたまえ。どう考えたって、きみの仕業だろう」
トルーニーに持ち上げられたミレニアの拳は鮮血で染まっていた。
それに退役軍人のなかでも折り紙付きの戦闘能力を有すカーラを、肉弾戦で倒せる人間など数が限られている。それにミレニアの「武勇伝」は、ユニオンの軍人なら誰でも少なからず知っているものだ。
ミレニアは返答に困り、しばらく沈黙を続けた。
「……少尉。もしやきみは何かやろうとしているのではないか? そのためにわざわざおかしなふりをしてまで戻ってきたんじゃないのか?」
「……」
「警戒しないでいい。わたしはきみのお父上のシンパだ」
「な――」
「今回の件は、少なからず我々の世代の油断が招いた悲劇だったとも言える。書記長のご無念には言葉も出んよ……。だからもし、きみが何かことを起こそうというのなら手を貸そう」
「ほ、ほんとに?」
「ああ。だけどまだ反逆罪で捕まる訳にはいかんから、ほどほどにな」
本音とも悪ふざけともつかないトルーニーの笑顔に、ミレニアは安堵した。やっと一息ついて床にぺたんと座りなおす。
全身は汗でびっしょりである。水密服の中に水溜りが出来ているのではないだろうか、お尻のあたりが何だか気持ち悪かった。
「それで具体的にはどうするつもりかね? たったふたりではあまり大掛かりなことも出来ないぞ?」
「はい。だからわたしも単独行動することを想定して、こんなものを用意してきました」
ミレニアは持参したリュックを広げて、その中身をトルーニーにさらした。
「こ、これは……」
すべては彼の表情が物語っていた。
驚愕するトルーニーと目を合わせて、ミレニアは自策への決意を新たにする。
もはやこれ以上の手はないのだ。負の連鎖を断ち切るために。
そのためならば命すら惜しくはない。
〈つづく〉
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