第38話 ミラクル・エド
【前回のあらすじ】
師匠エドリックのもとに身を寄せたクィント。懐かしい故郷の味に舌鼓を打つなか、ミレニアとルカの険悪なムードに自身の無力さを感じる。
次の日、クィントはエドリックに誘われるままに、防波堤で釣り糸を垂れていた。
久々の帰郷に取り立ててやることも見つからないが、それ以上に心が平安を求めていた。
まるで実感もないままに友を失い。さらに見果てぬ夢だった宝の正体を期せずして垣間見た。
旧世代を滅ぼした核兵器である可能性――。
薬物で意識がうろんであったとはいえ、ミレニアがマクファーレンのもとにいる間に聞き及んでいたという。
あんまりだった。あれほど焦がれていたものの真実。もはやもう一度、潜ろうかという気力すら起こらない。
「オメエ、まさか本気でそんなこと信じてンじゃねえよな」
隣に並ぶ彼の師は、熊のようなゴツイ手で器用に竿にエサをつけている。
「え?」
聞き返すクィントの声は、素っ頓狂にうわずった。
そしてエドリックは立ち上がり、海に向かって大きく竿を振る。
「どこの誰に吹き込まれたかは死らねえが、おれ達が夢見てきた『お宝』が、そんなくだらねえモンだと本気で信じてンのかって聞いてんだ」
「で、でもベガが……それにミレニアも」
「ベガがどうした? オメエ、実際に潜って見てきたンか? それによ、もし仮にそこに物騒なブツが転がっていようがよ、それが『目覚めの宝』だって証拠はあんのか?」
「……」
「ほっれ、ねえだろうが! この馬鹿たれ、ひとの言葉さ鵜呑みにしてホイホイ引き下がりやがって! おれは誰が何と言おうと、諦めねえかんな!」
「……ごめん」
エドリックの竿がグイぃっとしなる。リールを巻く手もせわしない。
「クィントよぉ。おれが引き揚げたいのは、『モノ』じゃねえんだ。昔のひとの『思い』なんだわ。もしそれが見つかっちゃならねえモンなら、なおさら馬鹿には渡せねえ。おれが見つけて、おれが引き揚げるかどうかを決める! 誰にも! おれのやることに口出しなんかさせるか!」
気合いと共に竿が目一杯引かれた。
エドリックの豪腕に、釣り糸のテンションも最高潮に達する。海面からは針を飲み込んだ影が現れた。どうやら糸の先端が、沖にまで到達していたらしい。エドリックが釣り上げたのは、巨大なサメだった。
しかし、強引に一本釣りされ空を駆るサメもおとなしくはしていない。徐々に近づく陸に向かって巨大な口を開けていた。自らを釣り上げた憎き釣り人を食わんと欲している。
「うりゃ!」
が、しかし、エドリックはそれを素手で殴り飛ばし、難なく鎮めてしまった。世にこれ以上豪快なキャッチがあっただろうか。
「今日はコイツの刺身だな! がっはっは!」
昔とすこしも変わらない師匠を見て、クィントは落ち込んでいるのがバカバカしく感じられた。そうだ、何度だって潜ればいい――。
そんな単純なことを思い出し、クィントはちょっと元気を取り戻す。
「……親方、おれも諦めないよ。いつか絶対『目覚めの宝』を見つけてみせる」
「そうだ! それでこそおれの息子だ! あ~メデてえな! 今日は呑むぞぉ~!」
「いつもじゃん」
がっはっはと笑うエドリックにつられて、クィントも笑う。
「クィント~」
ルカだ。
師弟が仲良くサメの解体をはじめていると、緩い坂道を下ってミレニアとルカが防波堤までやって来た。
昨日の取っ組み合いが原因で、ふたりとも身体中に青痣やら引っ掻き傷やら作っているが、不思議なことに両者の距離は近い。というよりも、ミレニアが完璧にルカの後ろへと隠れてしまっている。
「何してンのよ。さっさと見せなさいよ、っと」
「はうぅっ。ちょ、ルカ、待て!」
ルカに押し出されクィントの前へと立ったミレニアの姿は、いつもの水密服ではなく、純白のワンピースだった。頬を染めそっぽを向き、手も足も所在なげにモジモジとしている。膝丈のスカートが潮風に吹かれ、ふわふわと揺れていた。
クィントは、まるで異世界の姫君でも見ているかのように唖然とした。
「い、いつまでも水密服では無粋だからと、おかみさんからコレを着るように言われたのだっ…………変か……?」
クィントの首が、高速回転するスクリューの勢いで横に振られる。
するとミレニアの頬はさらなる赤みを帯び。「そ、そうか」と、まんざらでもなく口の端を緩ませたのだった。
「おお。ウチの母ちゃんが若い頃に着とったヤツだの。いやいや、まんずめんこいでないか。こ~の幸せモンがぁ!」
「うぶっ!」
エドリックに頭を小突かれ、解体中のサメに顔を埋めるクィントだったが、その顔は半分にやけている。
もう一度、ちらと見たミレニアのはにかんだ笑顔に、彼の胸はキュンと締め付けられた。
「で、でもなんかふたりとも昨日と違うねっ。どうしたのっ!」
照れ隠しに吐いたセリフも思わずうわずってしまい、なんだか二重に恥をかいた気分だ。
「いいじゃない別にー。それは女同士の秘密だもン、ねえ~」
「そうだな。色々あったが、ルカとは和解した。お互い諸手をあげて友情を祝福しあえる立場ではないがもう大丈夫。クィント、おまえにはまた随分と迷惑をかけてしまった。すまないな」
「そんなことないよ! おれはふたりが仲良くなったんなら、それで充分うれしいさ。こっちこそ、いつも何も出来なくてごめんな……」
「おまえに謝られたら、それこそわたしの立つ瀬がないじゃないか」
「そ、そっか」
「まったくおまえというヤツは……」
困ったような顔をして笑うミレニアに、ようやくクィントも視線を合わすことが出来た。
耳には彼女の父親の形見である、耳飾りが輝いていた。心の傷はまだ完全には癒えていないだろう。だが、ひとまず落ち着きを取り戻したことに、クィントもホッと胸をなでおろす。
「あ、そうだオジさん。おかみさんが呼んでたよ? あたしも一緒に行くから早く帰ろ」
「あン? そうか? ほんじゃあ、まあ……」
よっこらせと、肩にサメを担いだエドリックが、ルカに急かされ坂道を歩き出す。
去り際、ルカはクィントのほうへと振り向き、小さくウィンクをした。
防波堤にミレニアとふたりきり。
クィントはルカが気を利かせてくれたことを察した。しかし、ミレニアに好意があることをルカは知らないはずなのにと動揺する。
己の態度でバレバレなのは、自分では気付きようもない。
「す、座ろっか」
「ああ……そうだな」
お互いすこしぎこちなく。どうやらミレニアも、自分を意識してくれているらしいとクィントは感じた。だからといって、それがふたりの関係にどう作用するのかなど彼には見当もつかない。ただ無為に時は流れる。
するとミレニアが、水平線を見つめながら口を開いた。
「綺麗な海だ」
「え? あー、そうだね。おれにとっても懐かしい眺めだよ」
「実はおまえに会ってから、わたしなりに『ワダツミ』というものを考えてみた。確かに世のなかには、人智を越えた不思議な物事が存在する。それを安易に否定することは、単なる人間のエゴだと思う」
「うん」
「それから、自分の生き方や性格にそれを照らし合わせようとすると……おかしなことにいつもおまえのことが真っ先に頭へと浮かぶんだ」
「ミレニア……」
「わたしにとっての『ワダツミ』というのは、どうやらおまえのことらしい。クィント、二度も命を助けてくれて本当にありがとう。心から礼を言う」
「や、やめてくれよっ。そういうの照れくさいからっ」
「……べ、別にいいでしょ。わ、わたしがお礼を言うくらい……」
いつになくしおらしいミレニアの口調と態度。
何やら聞いているクィントの方が、くすぐったい。
「……なにそれ?」
「前におまえがわたしの話し方をからかったことがあったろう? ……気にしてみた」
「は――」
するとミレニアは手で顔を覆い、下を向く。よほど照れくさかったらしく耳まで赤い。
「や、やめておけばよかった! じ、自己嫌悪だっ」
それを見たクィントは心底思った。
ああ、やっぱりおれはこのひとが好きなんだと――。
「そんなことないよ。えと……かわいかった……よ」
「はう……」
一度、目が合った。しかし、どうしてもそのまま見つめることが出来ずに、お互い目を逸らしてしまう。辺りは、しばらくカモメの鳴き声だけが支配した。
そこに消波ブロックのかき消した波音が、
いつまでもずっとこんな日々が続けばいいのに。クィントはひそかにそう思う。
しかし、ミレニアの立場を考えれば、その願いはあまりにも儚すぎる。
「これからどうするの」
クィントは、わざと素っ気無く聞いてみた。淡い期待と共に。
「昨日の夜、ルカと話し合った。わたしも彼女も、いまのままでは到底納得がいかない。ルカ風に言えば何らかの『落とし前』をつけねばなるまい。彼女は裏切り者との対決を。そしてわたしは、海底に眠るという核兵器の後始末を」
「裏切り者……マシューか……」
分かり合えたと思ったのに――クィントは自分の甘さを歯噛みする。
「それらを含めてわたしは一度、本隊に合流する。内部から工作して、何とか引き揚げ作業を妨害しようと思うのだ」
「で、でもきみは仲間に暗殺されかかってるんだぞ? そんな所に舞い戻って大丈夫なのか?」
ミレニアはわずかに押し黙り首肯する。
そして意を決したかのように、言い放った。
「わたしは……洗脳されたふりを続けてカーラを油断させる。このままおめおめと親子二代で殺されてたまるか! おそらく裏で糸を引いているのは総統閣下……いやシリウス・マクファーレンだ。奴の好きなようにさせはしない!」
「……具体的にはどうするつもりなの?」
「それを聞いてどうする」
「おれも一緒に戦う」
「ダメだ!」
「ミレニア……」
「これ以上、おまえを巻き込む訳にはいかない。これはわたしとユニオンの問題なんだ!」
一際力強くミレニアは言った。
引き揚げるべき宝は、旧文明の負の遺産。必ず見つけると約束したヴィクトリアも、もはやこの世におらず、復讐だけのために戦うことをよしとしない彼にとって、真実これ以上の介入は無意味だった。
だが、それでもなおクィントにはミレニアのために何かをしたいという想いがある。
それは彼女と別れたあの時から、ずっと消えない気持ちだった。
クィントはすこし強引にミレニアの身体を引き寄せる。もう二度と離さないくらい強く抱いて、お互いの体温を確かめ合った。
生きてる。まだ生きてる。この命、散らせる訳にはいかない。
「おれが守るから」
「よせ……クィント……」
「守るから!」
震える彼女の表情は、クィントからでは伺えない。
ただその時、今日一番の大波が防波堤へと打ち寄せて、耳元近くでかすかにもれ聞こえる小さな嗚咽をかき消していった。
〈つづく〉
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