第13話 サーフィス(浮上)

【前回のあらすじ】

 クィントの親友であるベルーガのプルルと合流したふたりは、党軍のマリナーが周辺を探索していることを知る。





「ちょっと狭いな」


「仕方ないよ、一人乗りだもの」


 操縦席に座ったクィントの膝上に、とても窮屈そうにしてミレニアは腰を下ろした。

 球体をしたコクピットのなか。いくら器用に身体を折りたたんでも、おのずと収まる形は限られてくる。いまクィントの眼前にはミレニアの顔があった。


 あらためて見る彼女の容姿に、クィントは密かにドキリとする。透き通るような白い肌と、肩まで真っ直ぐ伸びる髪。水密服越しに伝わるたおやかな肢体は、クィントの男性的な部分を大いに刺激した。


「いかんいかん……集中、集中……」


「え? なに?」


「いや、なにも」


 クィントは慎重なレバーさばきで、海中にある岩場の隙間を越えていた。一度、廃ビルのエア溜りからさらに下へと潜り、海上を目指す。

 すでに夕刻をまわり海中は闇に包まれているが、うまくこの先を抜けていければ、そこにユニオンのマリナーが待ち受けているはずだった。


 プルルにデレデレだったミレニアが、後ろ髪引かれる思いでマリナーの操作パネルに向かったのが、いまから三十分くらいまえだ。

 時計がないので正確には分からないが、大体そんなものだろう。


 救難信号の断続を利用して、モールス信号のように海上へとメッセージを送ったミレニアは、晴れてプルルとたわむれる権利を有したのである。しかし、それもうたかたのような時間だった。彼らは早々にその場を後にせねばならなかったからである。


 送ったメッセージには、クィントが覚えていた海溝の形状と、廃ビルの位置。そして、これから数分後、その周辺に一体の小型マリナーが浮上してくるといった内容が、党軍のみで使用される暗号で打たれていた。

 これを数度繰り返し。

 海中でミレニアを探しにきただろうマリナーと、合流しようというのである。


 無論、メッセージが伝わっていない可能性も、海中で見失われる可能性も十分あった。

 しかし、いつまでもここにいる訳にもいかないので、ふたりはこの山師のようなランデブーに賭けたのである。


 プルルが先行し、道中の安全を確かめながら潜水しているものの、灯りはコクピット内からもれ出るわずかな照明装置の光だけ。危険な脱出行を支える水先案内役としては、いささか頼りなかった。だが間もなくこのトンネルも終わりを告げる。


「ん?」


「どうした?」


「海流が変わった。速い。流されているな。岩場を抜けたんだ」


「そ、そうか。ではあとは……」


「ああ。きみのお仲間がうまいこと見つけてくれるのを期待するのみだ」


「なんだその言いようは?」


「ん? ミレニアの真似」


「なっ! わ、わたしはそんな話し方はしないっ」


「してるじゃん」


「はうっ」


 暗闇のなかで電光に浮かび上がるふたつのヒトガタは、くつくつと笑った。まるで世界中が彼らのためだけに在るかのように。


「怖いかい?」


「……すこしだけ。まだ深海の闇には慣れない。なにか得体の知れない存在が、自分を海の底へと引きずり込んでしまうような。そんな恐怖を覚える」


「いるかもよ、得体の知れない奴」


「や、やめてよっ!」


「あはは。いまのよかった! 女の子みたいだった」


「わたしだって女だ! 苦手なものくらいはあるっ」


「たとえば?」


「そうだな……お化けとか、怒った時の父上とか……ってなにを言わせる!」


「……」


「クィント?」


「なにか……くる……!」


 ミレニアは視線を機体の正面へと向けた。

 しかし、そこには依然暗闇の支配する孤独な世界が広がっているだけだった。自然と身体中に緊張が走る。クィントの首に回していた腕にも力が入った。


「ゆ、友軍だろうか?」


「まだ分からない……なにかが動いているようには感じるけど」


「見えるのか?」


「うん。すこしだけなら……でもさすがに深海を見通すのは無理みたい」


「それも海人だからか?」


「や、これは生まれつき……まずい!」


 突然、クィントは叫んだ。慌てて、スクリューの回転を全開にする。


「どうしたっ?」


「サメだ! かなりデカイ! この水圧であんなのに衝突されたらただじゃすまない!」


「ど、どうにかならないのかっ」


「いまスクリュー全開にしたけど、逃げ切れるかな……」


「ええい! ここまできてっ! クィント、なんとかしろっ!」


「なんとかって言われてもねぇ」


「なにを暢気な! このままでは死んでしまうのだぞ!」


 金切り声でミレニアが叫ぶ。だが、クィントはそれとは逆に、気持ちの悪いほど澄み切った表情をしていた。ミレニアもおもわず息を呑んだほどだ。


「おまえとなら、それもいい」


 一瞬、時が止まったかに思えた。

 あまりに唐突な発言に、さすがのミレニアも言葉をつまらせる。


「そ、そういうことをいま言っているのではない!」


「いや、だってもう来ちゃうから」


「なにが!」


「サメ」


「え……」


 振り向いたミレニアの目に飛び込んできたもの。それはいまにも彼女らを飲み込まんとしている巨大な口だった。上下のあごには無数の鋭いキバが並び、それがコクピットの照明を受けて妖しく光っている。


「きゃああああああああ!」


 耳をつんざく少女の悲鳴が深海に響き渡るなか、ただ時間だけが過ぎてゆく。


「あれ?」


 身を起こしたミレニアが、ヒビひとつ負っていない耐圧クリア樹脂越しに見たもの。

 それは下あごから銛で撃ち抜かれ、すでに絶命している巨大なホオジロザメの死体だった。

 安堵というよりは、まだ状況が理解出来ていないといったミレニアの頭をポンとたたいて、「よかった。生きてた」とクィントが笑う。


 それから数秒が経ち。

 ドンと彼の胸板をたたいて、


「命を粗末にするなっ!」


 それがなにを意味する涙だったのかクィントには分からなかった。

 ただ、強烈な後悔だけが押し寄せて。


「そうだね」


 そう小さく答えるだけで精一杯だった。



〈つづく〉

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