第14話 月下にて
【前回のあらすじ】
わずかな可能性に山をかけ、脱出を試みたクィントとミレニア。大型のサメに襲われそうになりながらも彼らは九死に一生を得る。
絶体絶命の危機に駆けつけた党軍のマリナー。
その手によって海上へとふたりが引き上げられた時には、すでに空で一番星が輝いていた。
夕日の沈む反対側には、三日月が水平線から顔を出し、フルーレ海の支配権が夜へと移ったことを主張している。
ミレニアは従軍してきたゴムボートに下士官の手を借りて乗り込むと、再びクィントのほうを向いた。お互い手渡された毛布を肩に掛けて、安堵の表情を浮かべている。夕焼けを反射してキラキラと輝くブロンドの髪がクィントにはやたらとまぶしく思えた。
「本当にいいのだな?」
「うん」
彼女は心配そうにたずね、クィントがあっけらかんとそれに答える。あれほど密着していたふたりの距離は、いまでは手がギリギリ届くかというところにある。
救出後、ミレニアは彼をユニオンで保護すると申し出た。しかし、それをクィントが断ったのである。船は失ったが、海のうえなら自分はいくらでも生きていけるからと。
当然、そのやり取りを聞いていた下士官が「遭遇した非党員をそのままにしておけるか」と憤慨したが、ミレニアがそれを諌めてくれた。
「非党員の保護、及び入党勧告は軍人の責務ではあるが、絶対ではない。きさまには持たざる者と、そうでない者との区別もつかんのか。彼ら海人は、洋上にあっては我らの及ぶところではない。海には海のしきたりがあるのだ。わたしは身をもってそれを学んだ」
「ミレニア……」
「相すまぬクィント・セラ。
ミレニアがクィントに手渡したのは、つい先ほどまで身に着けていた耳飾りだった。
「小さいが純金とプラチナで出来ている。溶かせば幾ばくかにはなろう、船を買いなおす足しにでもしてくれ」
「受け取れないよ、こんな高価なもの」
「もらってほしいのだ。この耳飾りは父からもらった大事なものだが、おまえだからこそ受け取ってほしい。これしきのことでユニオンがお母上の命を奪った罪を償えるとは思えないが、もはや身体の一部とも呼べるこの耳飾りをおまえに託すことで、すこしは自分の気も晴れると思うのだ。とんだ我がままだが、よければ聞き入れてくれ」
「分かった。ありがとう。きみだと思って大切にするよ。昨日今日と本当に楽しかった」
「わたしもだ……ひとつ聞かせてくれないか」
「なに?」
「おまえが言っていたあの宝を、もし引き上げたのならどうするつもりだ? それで世界でも買うのか?」
クィントはしばし「うーん」と首をひねって、
「考えたこともなかったなぁ。おれは宝が在ることを確かめたいだけなんだ。それからのことはよく分からん」
「ふふ……おまえらしいな。でも、いい答えだ」
「でしょ?」
海上にふたつの影がたなびく。
遠ざかる海鳥の泣き声。固い握手を最後に、少女は少年に別れを告げた。
ミレニアを乗せたゴムボートが、潜航艇へと可変したマリナーに曳航されて去っていく。
夕凪の海の彼方へと。
「行っちゃったね」
プルルがとなりでそう言った。
「うん」
「いい子だったね」
「うん」
「好きになっちゃった?」
「分かんないよ、そんなの。ただ……」
なかなか次の言葉が見つからなくて、ずっと空を見上げていた。夕日が完全に沈んで、星が出て、ぽっかり三日月が真上に浮かんでも。
ただミレニアのことばかりを考えていた。胸のずっと奥の方でうずく、なんとも言えないこの感覚の名前を探していた。
そんな時である。
「クィント!」
突然、海面が盛り上がり、あたりが盛大にうねりを上げた。逆巻く波の立ち方が尋常ではない。これは何者かが下からせり上がってくることを意味している。考え事をしていたせいで、そこからの離脱に出遅れる。完全に潮につかまった。
「うわっ!」
そして、クィントは乗っていたマリナーごと、なにやら固いものに突き上げられた。一度、海から飛び跳ねて、落下してきた頃には、もうそこに海面はない。さらに人工的な曲線を持つ、なぞの物体の固い表面を転げ落ちた。
そのまま海中へと没したクィントの身体は、月光に照らされた一本の水柱を上げる。
背ビレのないプルルの背中につかまって海面へと顔を出してみると、目の前をとてつもない大きさを持ったなにかに遮られていた。
「な、なんじゃこりゃ……」
それは巨大な潜水艦だった。
水平に向かってどこまでも伸びる焼鉄色の船体と、幾重にも鋲で打たれた地金の装甲板に圧倒された。形状は葉巻型とも、船型ともつかない特異な船影を持っており――位置的にクィントには見えていないが――船首には片目に眼帯をはめたしゃれこうべが描かれていた。
静かな三日月の海を割って、尊大にたゆたう。
現れたのは、海賊船だった。
〈つづく〉
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