第12話 デイドリーム・ビリーバー
【前回のあらすじ】
にわかに不穏な空気に包まれるユニオン党内。その間にもクィントとミレニアの遭難生活は続いている。
遭難生活も一昼夜がすぎた。
とはいえ時計の類を持っていないので、目の覚めた都合と腹具合によるのだが。
あのあと泣き疲れてしまったふたりは、そのままお互いの身体を暖め合うようにして眠った。極度の緊張からの解放と、潮に呑まれた疲労感からとでどっぷりと寝てしまう。
上半身裸のクィントに抱かれながら目を覚ましたミレニアの、照れ隠しを前面に押し出しつつ放たれたビンタを、彼は生涯忘れないだろう。
不可抗力だ――そうつぶやいて。
「『目覚めの宝』?」
クィントが素潜りで獲ってきた、得体の知れない深海魚の丸焼きにかぶりついてミレニアが問う。大気圧の三十倍を越えるほどの水圧のなか、なんの装備も着けずに潜水が出来るのが不思議で仕方がないとミレニアは言ったが、それに対し彼は「海人だからね」と答えるにとどまった。
彼女もまた、それに納得してしまったような風である。
ふたりはお互いの夢について語り合っていた。
一通りの身のうえを話し尽くしてしまうと、今度はもっと違うアプローチから自分を知ってほしいという欲求に駆られる。それはごく自然な流れだった。
「そ。そいつを引き上げんのがおれの夢だ」
「具体的にどういうものなのだ?」
「さぁ?」
「さぁっておまえ……」
「昔からおれ達、海人の間で語り継がれてきた伝説さ。それが一体なんなのか、本当に在るのかも誰も知らない。ただこんな風に言われてる。その宝を手にすれば、この世のすべてを統べることが出来るだろう――ってね」
「なんだおとぎ話か」
「そうとも限らないさ」
「ん?」
「海は宇宙よりもなぞに満ちているんだ。人類史上、まだ誰も到達していない場所だってあるんだよ? 誰も見つけてないけれど、『ない』ってこともまだ誰も証明してない。それを確かめることが出来るのは、この世で唯一、おれ達サルベージャーだけなんだ」
パチっと火の粉が爆ぜた。だが、クィントの頬が火照っているのは、そのせいだけではないだろう。男が夢を語る時、必ずそこには話したい相手がいる。このひとだから聞いてほしい、そんな相手のいる時だからこそ。
「……かっこいいじゃないか」
クィントは破顔した。背中に走るむず痒さをごまかすのに首筋をなでる。彼女の顔がまともに見られなかった。
「まあ全部、親方の受け売りなんだけどね」
「親方?」
「うん。おれのその……育ててくれたひと」
「あ……」
クィントの脳裏に、昨日の涙が思い返された。出来ればもうこの手の話題は振りたくなかったが、自分の夢を語るには、絶対不可欠な人物だった。
「親方は陸に上がった海人でね。ここからちょっと西に行ったところにあるコミュニティで、サルベージ社をやってるんだ。おれと違って、引き上げた旧文明の『技術』を売って生活してんだけども、いまもっとも『目覚めの宝』に近いんじゃないかって言われてる」
「尊敬しているのだな」
「うん」
「うらやましい……」
彼女は書類束を火にくべながらそうつぶやいた。その言葉の真意を、クィントはまだ測りかねている。よほど不思議そうな顔をしていたのだろう、ミレニアは自ら語りはじめてくれた。
「わたしには昔から憧れている人物がいる。いや……崇拝していると言っても過言ではないだろうな。クィント達にとって『ワダツミ』が神だというのならば、わたしにとってはユニオニズムがそうなのだ。そして、それを二百年前に掲げたひとりの革命家の言葉に、わたしはいまも心を奪われている……」
「それって――」
「そうだ。我が家が始祖、グレゴリオ・ノヴァクだ。彼は崩壊後の世界で、いち早く国家の再建と、文化的な生活様式の復興を提唱した。また彼は言葉だけではなく、広く弱者のために献身的に働いた。略奪や、海賊行為から彼らを守り、海洋に
身体の芯から炎を噴出すような。
そんな激しい憤りを彼女は持っていた。
クィントには計り知れないが、これまで正義と信じて疑わなかったものに裏切られ、それでもまだなにひとつ見捨てられぬ思いとは如何ばかりのものか。
彼女は言う、自分はただ弱者の盾となりたいのだと。
そのために強くなろうと努力を重ねてきたのだと。
クィントはやり切れなかった。あまりにも遠いミレニアの理想に、自分にはなにひとつ手を貸してやれることがない。無力だった。彼女達ユニオンの前では、海人など「持たざる者」でしかないのだから。
沈黙が廃ビルの一室を支配する。聴こえるのは焚き火の爆ぜる音だけ。
おれ達は、一体あと、どれだけこんな思いをしなければならないのだろう。怒りと悲しみに震えるミレニアを見てクィントはそう思った。せっかく出会えたというのに、心から喜ぶことが出来ない。こんなにも一緒にいたいと思うのに。
「なあ」
そんな強い気持ちが、クィントにちょっとだけ勇気をくれた。他人への干渉は最低限に抑えることが『ワダツミ』の教えなのに。
「帰るのやめない?」
「え……」
「おれと一緒に」
パシャッ――その時、廃ビルの入り江に水が跳ねた。
それはクィントのよく知る音の響きだ。
「プルル!」
彼は走り出した。
口に出そうとした決心を呑み込んで。
言わなかった後悔と、もし言ってしまっていた場合の後悔など、どちらが強いか比べようもないけれど。いまはそれでいいと思った。
プルルが帰ってきてくれたから。
クィントは入り江に飛び込んだ。わざと高い水しぶきが上がるように、大げさに。それに負けじとプルルもアクロバティックをきめる。およそ一日ぶりの再会に、お互い大いに歓喜した。
「キュィ~キュィ~っ」
「わっぷ、ちょっと待て。いま翻訳機入れっから」
クィントはプルルの熱烈なスキンシップをかいくぐって、岸に係留してあるマリナーへと泳いだ。そして機体の外から翻訳機のスイッチを入れる。
「おっせえよ! なにしてんだよ! さみしかったよバーロー! もう死んじゃったかと思ったんだからね! 思ったんだからねっ!」
「なんで二回ゆった」
「うっせえええ!」
プルルの丸い頭がクィントの頬をつつく。
時折アマガミをしたりして、最大級の愛情を示していた。
それを、すこし離れた場所からミレニアが見ていた。
突然の出来事にびっくりしているのか、はたまた「しゃべるイルカ」を見るのがはじめてなのか。彼女はあんぐりと口をあけたまま、立ち上がった姿勢を保ち微動だにしない。
ようやくしぼり出した言葉は妙に震えていて、いまだ状況を受け入れてはいないかのよう。
「そ、そ~の生き物は、なんだ」
「あ、こいつはね、プルル。おれの相棒で、幼馴染なんだ。シロイルカって種類なんだけど、ベルーガのほうが通りがいいかな? んで、プルル。こっちはミレニア。党軍の少尉さんなんだってさ」
「ええええええ~、ユニオン~」
「違うよプルル。ミレニアはいい奴なんだ。仲良くしてくれ」
「んじゃ、そうする」
イルカは頭がいい。そのうえ理屈が先走らないので状況をそのまま理解してくれる。その点においては、人間なんかよりもずっと優秀だ。そんなところもまた、ユニオンは脅威に感じているのかもしれない。
「でもおまえ、よくここが分かったね」
「救難信号聞いたも~ん。あと、昨日の夜にこっちのほうでクィントが泣いてる声がした。ママさんが死んじゃった時みたいに泣いてたから、心配しちゃっ」
「わーわーわー、聞こえないー。あと泣いてないー」
「うそゆーなよ! 絶対泣いてたよ!」
「わーわーわー、うそつきイルカでたー、うそつき注意報発令ー」
「ぐわっ! あったまきた。がぶっ!」
「イッデぇ~っ!」
プルルに頭部をかじられたクィントが、入り江内を乱れ泳ぐ。
絶妙な角度でかまれているのか、外れないのはもちろんのこと血も出ない。ベルーガはハクジラの一種で、それほど鋭くはないが歯を持っている。餌はほとんど丸呑みするので、あまり咀嚼に適しているとは言いがたいが、それにしたって器用なものだ。
「あ、そだ」
思い出したようにベルーガがクィントを解放した。しかし、クィントの方は勢いがとまらず、そのまま壁面へと激突したようだ。
「ねえねえ兵隊さん。おたくのお仲間が、いまこの上にきてるよ」
「え?」
「ほんとかプルル?」
「うん。三本槍のマークがついたマリナーだったよ」
「そか、じゃあ間違いないな。ミレニア、よかったな。これからすぐにでも救難信号でモールス打って指示を……って、なにしてんの?」
ミレニアは、岸のほうまできて腕を組み、時折ワナワナと手を伸ばしかと思うと、また心変わりしたかのように腕を組みなおした。そんなことを数回繰り返しながら、眉間には深い縦じわを寄せて「くぬぅ~」と唸りを上げていた。
「ちょっと。このひと大丈夫?」
プルルの胸ヒレが苦悩するミレニアを指した。その光景はクィントが見ても確かにおかしかった。一昼夜を共にしてなお、はじめて目にする彼女の一面である。
「ミ、ミレニア~?」
やんわり声を掛けると、ハッとした彼女は、我に返ったかのように目を見開いた。
「い、いや、すまん! 取り乱したっ。じ、実はその~プルル殿? に、お願いが少々あって、思い悩んでいた」
「は?」
「いや、その、なんだ。わたしは子供の頃から動物の世話とか大好きで、鳥とか、猫とかも飼ったことあるし、多少は扱いに慣れているから、だからその、失礼にならなければいいのであるが、ほら、そちらは動物と呼ぶには感情が豊かなようだから、その……つまり……あの……ちょっとさわっていい?」
「「とっとと連絡を入れろ」」
ビシィっと、彼らの指先(ヒレ先)が同時にマリナーのほうを指した。
〈つづく〉
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