第8話 インターミッション・サブミッション

【前回のあらすじ】

 ミレニアと「赤鬼」の戦闘に巻き込まれたクィント。さらに見も知らぬパイロット(ミレニア)を救うべく激しい潮流のなかに自らを投じた。




 パチパチという火の爆ぜる音が耳障りで、ミレニアの意識は覚醒した。とはいっても、まだまどろみのなかにいる彼女の精神が、まぶたを開くことをかたく拒んでいる。


 ふと考えた。ここは天国なのだろうかと。


 互角以上の戦いをしてみせると息巻いていた己の不甲斐なさを思い返してみる。結果は完敗だった。もしあの時、もみ合いのさなか、見知らぬ有線式マリナーに衝突しなくとも、顛末はさほど変わらなかったと思う。


 圧倒的な実力差をまざまざと見せ付けられた思いである。


 悔しい。ただただ悔しい。運よく初手をしのいで舞い上がっていたのだ。組み付きさえすれば、左手の超音波兵器で『赤鬼』の機関を停止されられると思っていた。


 だが、実際はギリギリまで隠していた虎の子の一撃を容易く看破され、コアか、センサー類の集中する頭部に触れることもかなわず腕ごと封じられた。実戦での経験の差が、この機微を生み出したのか、はたまた自分の策略が平凡だったのか。


 とにかくミレニアは敗退した。奪われた銛撃銃で自機のコアを撃ち抜かれたところまでは記憶にある。シミュレーションでは決して引くことのなかった緊急脱出レバーに手を伸ばしたような気もするが、どうも曖昧な感じだ。


 みんな無事だろうか。

 パティは? アルフォートは?


 なによりあの有線式マリナーのパイロットには悪いことをした。自分が意地を張ったせいで巻き込んでしまったのだ。

 あれでは犬死ではないか――。


 負の循環しかしないミレニアの思考は、やがて内的宇宙に限界を感じたのか、外へと向かいはじめた。混濁した意識にスピンを掛けて、身体中の細胞へと一気に呼びかける。重いまぶたがうっすら開いて、にじんだ世界がミレニアを迎えた。


 その世界の真ん中に、見知らぬ少年の姿があった。


「あ」


 目の合ったその少年は、気まずそうな声を上げて、やんわりとミレニアの身体から遠のいていった。そして、


「待て、きみは誤解をしている」


 そう言った彼の言葉の意味を理解するまでには若干の時間を要した。それは自分の着ている水密服のまえがはだけ、父親以外の男性には一度たりとも披露したことのない珠の肌(それも幼少期の話である)が、むき出しとなっていることに気付くまでの時間である。


 ミレニアはゆっくりと身体を起こすと、素早くジッパーを上げた。我がうちに沸々とした怒りがこみ上げてくるのを感じる。『赤鬼』に敗れたことさえ一瞬、忘れさせてくれるような新鮮な怒りだ。


 目の前にいる褐色の肌の少年は、なぜか海パン一丁だ。状況から考えて、これから彼がなにをしようとしていたのかを想像するのは容易だった。

 考えるだに、おぞましい。


「きさま……」


 ゆらりと立ち上がったミレニアの目は完全に据わっている。自分の置かれている状況など、もうどうでもよくなっていた。いまはただ、己の貞操を脅かさんとするこのゲスを、完膚なきまでにぶちのめすことに全力を注ごうと思った。


「まずおれの話を聞いてくれ」


 悪びれずにまだ言い逃れを続けようとするこのゲスは、腕に覚えがあるのか、ミレニアとの間合いを取りながら、彼女の動きに合わせて逆方向へと逃げていく。

 だが、逃がしてなるものか。


「問答無用!」と飛び出したミレニア渾身の右ストレートが少年の顔面を強襲する。


「つおぉっ!」


 ミレニアの拳が鼻先を捉える瞬間、彼の顔面は不気味にスライドしてそれを回避した。さらに続けて繰り出した連続攻撃も、すべてタコ踊りにも似た奇妙な動きでかわされてしまう。


「動くなっ! 気色悪いっ!」


「無茶いうなよ! よけなきゃ当たるだろうがっ」


「ええい! ひとを辱めたうえに、裁きを逃れようとするか! その性根叩きなおしてやるから、そこになおれ!」


「だからひとの話を聞きなさいって」


「悪党の戯言など、聞く耳もたん!」


 言ってミレニアは飛び出した。大きく振った回し蹴り。

 当たればダメージは大きいが、モーションもデカすぎる。

 少年は当然のようにそれをかわした。

 しかしそれはフェイントだった。

 着地したミレニアは、その場にしゃがみ込んでもう一回転。


 水面蹴りである。

 完全に油断していた少年の足を勢いよく刈った。


 さらに倒れた少年の腕を取り、素早く逆関節を極める。


「いっだああああっ!」


 悶絶する少年。

 残った手足を振り乱して、必死にミレニアから逃れようとする。だが、ミレニアの格闘教練の成績は特Aクラス。一度きめた関節は、相手が降参するか、折るまでやめない。


「参ったか!」


「いーやーだーっ!」


「ふんっ」


「ぎゃああああああああああああああっ!」


 こんな繰り返しをおよそ十分間続けて、さすがの少年も弱ってきた。さらに五分が経過しようとしたところ、とうとう掻き消えてしまいそうな小さな声で「まいりました」とつぶやいた。


「はじめからそう言えばいいんだ」


 技を解いたミレニアの顔は、満面の笑みをたたえていた。一方、都合十五分間も腕ひしぎ逆十字を食らい続けた少年の口からは、きめ細かい白い泡が吹き出していた。


「で、きさまは一体何者なんだ?」


 ミレニアは白目をむきかけた少年に向かって訊ねた。


「あ、あんたの命の……恩……じん……」


 そこで少年の意識は一旦途絶えた。




〈つづく〉

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