第4話 サルベージャー

【前回のあらすじ】

 人類の再結集を掲げるユニオン党。また新たな海洋調査が始まる。総帥マクファーレンの演説のなか、使命感に高揚とするミレニアだったが、父との微妙な関係に心を痛める――。




 海鳥が偏西風に乗って高空を舞っている。


 陸地の極端に少ない、いまのご時世じゃ、渡り鳥もつらかろうにとクィントは思う。かくいう自分も根無し草の海人うみうどじゃ、ひとの心配までしてやる余裕はないのだが。


「おっちゃん。こないだと水の値段が違うじゃん。野菜の方もハネ上がってるしさぁ。こっちが海上生活者だからって、ちょっと足許見すぎじゃない?」


 二隻並んだ船のうえ。小型の双胴船に乗る少年が、ガロン缶に張られた値札を見て憤慨していた。かたや木造の手漕ぎボートに商品を満載させた老水夫が憮然として答える。


「人聞きの悪いこと言うんじゃねえぞ、小僧。いいか、世の中には相場ってモンがあらぁな。水一缶が金五十グラムだったのは、先週の話だ。ほれ、さっさと金粒よこしな」


 しぶしぶ革袋の中から金粒を取り出したクィントは、それを老水夫が手にする小型の天秤のうえに乗せた。重さと同時に、金の純度がメーターで示される。それを見た老水夫のしわだらけの指が、クィクィと動いた。どうやらまだ足りないらしい。


「おいおい。それは暴利ってモンじゃないの? この一週間でなにがあったってのよ?」


「知らねえのか? ほれ、こいつだよ」


「ん?」


 老水夫のあごが指したのは、小さなテレビ画面に映るひとりの男だった。映像が白黒なうえに、時折走るノイズで、ほとんどその表情を読み取ることは出来なかったが、彼の演説だけは明瞭に聞き取れた。力強い声で、なにかを鼓舞するようにしゃべる男だった。


「……諸君らは知っているだろうか。我々ユニオンの呼び掛けに応じない非党員の中でも、もっとも度し難い存在を。そう、海人である。彼らは在りもしない海の意思を、畏敬の念を込めて『ワダツミ』と呼ぶのだそうだ。いわく、この世に生きとし生けるものすべてが『ワダツミ』でつながっており、それに逆らって生きるものは、等しく滅ぶのだそうだ。馬鹿げている。そうだ、諸君らのいまの嘲笑がすべてを物語っている。そんなものは在りはしないのだ。彼らは現実を直視する勇気を持たぬから、在りもしない超自然的な事柄に、現状の悲惨さを結びつけて、自分に折り合いをつけようとしているだけだ。諸君! それではいけないのだ! 我々は海に勝たねばならない。いや、この世のすべてを克服しなくてはならないのだ。再び人類が地球の主となり舵を取らねば、それこそこの惑星ほしの滅亡を招来する結果となるのではないかと、わたしは思う。そしてまた、わたしは海人をも救いたいのである。秩序ある生活を彼らに提供し、人類の叡智に触れてほしいのである。ただそれだけの思いで、わたしは彼らの境遇を……」


「暑苦しいことだね」


 金粒の入った革袋に視線を戻してクィントは言った。


「で、この熱い魂を持った政治家の講釈と、水一缶の値が倍以上につり上がったことには、どんな因果関係があるのかね」


「察しの悪い奴だねぇ、どうも。奴らの調査船が来てるんだよ、このフルーレ海に。奴らは第七洋区なんて、まるでてめえの庭みたいな呼び方しやがるがよ。じきにこの辺も奴らと海賊の修羅場になるぜ。そうとなりゃ、悠長に商売も出来なくなっちまうからよ。せいぜいいまの内に値をつり上げて、一稼ぎしようって寸法よ!」


「ふーん……て、そりゃ相場じゃなくて、おっちゃんの都合じゃんかよ!」


「そうだよ。悪いかよ。こちとらこの歳になって貧乏したくねえんだよ。そろそろおかに上がろうかって考えてんだよ」


「そうかぁ――さびしくなるね」


「けっ! いつもの元気はどうしたよ。急にしおらしくなりやがって気色の悪い。わぁ~ったよ、持ってけ水一缶。餞別だ」


「え? いいのっ」


「いつか引き上げるんだろう? 海人の秘宝って奴をよ。ちっとでも恩義に感じてくれてんなら、そん時また払いに来いや……」


 キラキラと輝く波間を縫って、手漕ぎボートが去ってゆく。

 ここは大海原のど真ん中。

 本当に強い者しか生きていけない場所だ。海人ならば、子供でも知っている。『ワダツミ』にそむいて生きることの虚しさを。


「さて、と」


 買い物をすませたクィントは備品の整理をはじめた。

 小型の双胴船といっても、人間ひとりが海上で暮らしていけるだけの設備は持っている。船首から船体中央にかけて、屋根つきの居住空間があり、海上での衣食住のすべてがこれでこと足りる。クィントいわく、陸の贅沢が必ずしも自分にとって好ましいものではない、のだそうだ。


 身に着けるものも、とりあえず海パン一丁あればいい。

 それが彼のポリシーである。浅い褐色の肌に、絞り込まれた体躯。伸ばし放題の髪は、海人の習慣で後ろで束ねている。


 これが海人、クィント・セラという少年のすべてである。


 しばらく居住空間でガサゴソとしていたクィントが、船尾の方へとやってきた。

 最後尾に各々一基のスクリューを持つ、双胴の船体に挟まるようにして「それ」はあった。


 球体の鉄の塊に、細いロボットアームと、短い脚を生やしただけのもの。そう形容するのが一番分かりやすいが、これでも一応マリナーである。


 背部に可動式のスクリューを持ち、キャノピーも耐圧クリア樹脂製だ。機体からは、酸素用と電力用の二本のケーブルが出て船体につながっており、可潜能力や、基本性能などは、軍用マリナーに及ぶべくもないが、クィントの生活にはなくてはならないものである。彼は機体の外側から、操縦席のスイッチをいじくり、ジェネレーターを起動させた。


「と……そろそろかな?」


 クィントはそう言うや、周囲を見渡した。といっても大海原の只中である。波と風以外、なにもあるはずもない。

 すると、


「キュキュ~っ!」


 背後で奇怪な音を発しながら、なにかが跳ねた。おかげでクィントは頭から海水を浴びて、びしょぬれである。マリナーの操縦席も、もれなく水浸しであるが、完全防水になっているので故障は免れた。


 クィントはマリナーの操作パネルをすこしいじると、振り向きざま、海面に顔を突き出しているベルーガに向かって吼えた。


「プルル。きみはなんだって毎回、飛び跳ねて出てくるかね? 油断している時に、鼻の穴を襲う海水がどれだけ痛いか、きみは知っているのかっ」


「キュィ~ン」


「普通のベルーガの真似なんかするな! 翻訳機のスイッチは入ってんだぞ」


 クィントは後ろ手に、球のお化けを指差した。またベルーガが一鳴きした。今度はそれと同時にマリナーのスピーカーから、少女の声にも似た電子音声が流れ出す。


「けっ! 知~るかよっ! イルカが跳ねてなにが悪いんだっ。動物的本能の解放を抑圧しようってのか? このファシストめ、おまえなんかユニオンに食われっちまえ」


「……そういう難しいのってどこで覚えてくるの?」


「ナイショ」


 彼らの会話は終始こんな感じだ。

 種族を超えた友情がそこにはある。プルルはクィントの物心が付く頃にはもう、兄弟のようにそばにいた。彼にとって欠くことの出来ない存在なのである。それは彼の仕事上でも同様のことが言えた。つい先ほども、そのためにプルルは海に潜っていたのである。


「で、あった?」


 クィントが聞く。すると「あったよ」とプルルは答えた。


 やおらマリナーに飛び乗るクィント。プルルは一足先に、海中に潜って彼を待った。半球状のキャノピーをつかみ、クィントがコクピットを完全に閉じてしまおうとした時だ。


 はるか大海原の彼方、常人の目ではまず捉えられないほどの距離に、彼は一隻の船を見つけた。甲板に大型のクレーンを搭載したサルベージ船のようだ。メインマストに高らかに掲げられた旗には、いばらで束ねられた三本の槍が描かれている。


「ユニオン……」


 ぼそりとこぼした自身の独白を聞いて、クィントは我に返った。いつまでもプルルを待たせては悪いと、やっとのことでキャノピーを下ろす。


 数本のレバー操作を組み合わせてクィントのマリナーは動く、まずはバラストタンクへの注水と、船体との係留解除が必要だった。船体から切り離されたマリナーが、徐々に海中へと沈んでゆく。まぶしいほどの青のなか、まず見えたのはプルルの白い背中だった。


 プルルを追ってどんどん深度を下げてゆく。すると船からはどんどんケーブルが伸びてきた。小魚の群れと共に、海面から八〇メートルほども潜った頃だろうか。マリナーの短い脚は、海底へと到着した。


 中天の太陽が真っ直ぐに降りてきて、海底に咲く珊瑚の花園をパァッと輝かせた。それらはいずれも割れたアスファルトの隙間や、倒壊したビルを苗床にして成長し、巨大な珊瑚礁を形成している。


 ビルはビルで恰好の漁礁と化し、数多の生命を育む土壌となっていた。『終末ノヒカリ』によって、そのほとんどが海中に没してしまった旧文明の遺産。皮肉にも人類の用を成さなくなったいまだからこそ、より生命力に満ちあふれている。


「こっちだよ~」


 狭いコクピットのなかに、プルルの声が響く。

 海底の澱を巻き上げないようにして慎重に都市遺跡を進む。


 プルルがクィントを案内したのは、とある廃ビルの二階であった。道路側の壁面は完全に崩落して内部を海中にさらしている。


 クィントはスクリューを操作しマリナーをわずかに浮上させた。ケーブルをうまくさばき、さらに廃ビルの二階へと躍り出た。

 そこで、


「あとはよろしく。ちょっと遊んでくるくる~」


 プルルはクィントをその場に残して、どこかへと消えてしまった。


「自由な奴だ」


 親しみを込めた悪態が口をつく。


「さ、仕事しよ……」


 まだ光の通る浅い水深といえども、四方の壁と天井に囲われては暗くて仕方がない。

 クィントはマリナーの前面に装備された照明装置を点灯させた。


 白い光の線が、あたりを漂うちりを照らし、ほのかに室内を浮かび上がらせる。すると、いたるところにフジツボや、イソギンチャクなどの固着動物が張り付いていた。しかしながら、かつて地上にあった頃の面影を失っている訳ではない。


 苗床となっている人工物は、レジカウンターであったり陳列棚であったりするのである。その人工物の中に、クィントのお目当てのものがあるのだ。それはパソコンであったり、携帯電話であったり。主に貴金属やレアメタルを内部に含む電子機器の引き上げが彼の仕事である。


 これらを回収して精錬所を持つ陸のコミュニティへと持っていくと、回収した量から手数料を引かれた分を、金粒として交換してもらえる。物々交換が当たり前のこの時代だが、やはり金での取引は重宝がられる。こうして貯めた金で、彼にはやりたいことがあった。

 それは海に生まれた者ならば、誰もが一度は憧れるものである。



〈つづく〉

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