第5話 パルス
【前回のあらすじ】
フルーレ海は北半球に位置する巨大な峰々に囲まれた内海である。
度重なる地殻変動の影響で、海底深度は場所によってまちまちであるが、深いところで二〇〇〇メートル以上の海溝が存在するだろうということで知られている。「だろう」というのは、単純にこの時代の技術ではそれ以上の探査が困難であることからそう言われているだけであって、実際にはまだまだその先に深淵が広がっていると予想されている。
結成式からおよそ三十時間が経過し、ユニオン親衛隊海洋調査部隊の第七洋区調査団は、無事フルーレ海へと到着した。
調査船『しらなみ』は文字通り順風満帆で海路を進み、メインマストにも揚々と三槍旗がはためいている。
その海面下一〇〇メートルに、二時と十時、そして六時の方角をそれぞれ守護する潜水艦があった。涙滴型をした戦闘艦で、巨大な七枚刃のスクリューを持っている。可潜限界にはまだまだ余裕はあるが、これ以上『しらなみ』と離れては護衛にならない。
三隻の護衛艦のひとつ、後方を任されている『はるかぜ』のブリッジにアルフォート・ラザルは艦長として乗り込んでいた。
お世辞にも広いとは言いがたい潜水艦のブリッジに、七名からの専従技師がひしめき合い、各々の職務に励んでいる。アルフォートも時計を片手に、海図とにらめっこをしていた。
艦内には、いくつかテレビモニターが設置されており、そのいずれもが先日の結成式に行われたシリウスの大演説を再放送している。
士気高揚のためとはいえ一日中流されるのもつらいものだ、とアルフォートは内心ため息をついた。どうせ聞くなら、どこかの非党員が発信しているラジオ放送がいい。あれが流している旧時代の音楽を聴くのがアルフォートは好きだった。
無論、党内の誰かに知られれば逆賊のそしりは免れないが。
「失礼します!」
アルフォートの雑念を振り払うかのように、新たな部下がブリッジに入室する。
ミレニアだった。例の水密服を装着し、ヘルメットを小脇に抱えて敬礼をしている。腰には、自動式の拳銃を携帯していた。彼女にはなににも増して似つかわしくないものだと、アルフォートはそう思った。
「申告します。ミレニア・ノヴァク以下マリナー小隊四名は、これより警戒水域シフトへと移行します」
各艦に四名在籍しているマリナーパイロットのうち、二名を二交代制で機体コクピットに常駐させることで、有事の際に迅速な対応を可能にさせる配置である。マリナーの保守点検、並びに作戦行動の確認などを平行してやる任務ではあるが、いつ何時、出撃となるかも分からないままパイロットシートに居続けるというのも、なかなかにしてつらいものがある。
「ご苦労」
軽く返礼すると、ミレニアは何事もなくブリッジをあとにした。
アルフォートは「ちょっといいか?」と副長に声を掛けると、手にした時計を彼に渡して、ブリッジのドアを出る。
「ミレニア!」
狭い艦内通路で彼女の後姿を見つけると、颯爽とそのあとを追った。
「ミレニア、このところ張り詰めているようだが、大丈夫かい?」
「はっ。ご心配には及びません、大佐。ご期待に沿えるよう、身を粉にしてでも」
「ちがうよ、ミレニア。そうじゃない……」
「……アルフ」
上官と部下という関係だった顔つきは、いつしか親同士が決めた婚約者以前のそれに戻っていた。まだお互いの家名など知らぬ、奔放だったあの頃に。
「すこしはぼくのことも頼ってほしいな。きみは万能すぎるよ」
「そ、そんなことはっ」
「あはは。冗談だよ」
「はうっ」
まるで仲のいい兄妹のように。普段は男勝りのミレニアも、彼のまえでは思うようにはいかない。そのあしらい方には年季すら感じられる。
「あ、アルフ……。その、こ、婚約のことだが――」
顔を真っ赤にして視線をそらす彼女。その耳には、片時も離さないといつも言っていた耳飾りが、やはり今日も輝いている。アルフォートは、すこし自嘲気味の笑みを浮かべるだけで、それ以上話題を突き詰めようとはしなかった。
「分かっているよ。きみのやりたいようにするといい。ぼくも見てみたいんだ。ミレニア・ノヴァクが理想とする社会が実現するのを」
「アルフ……」
「まあぼくの出来ることといったら、お互いの両親をなだめるくらいのモンだけどね」
「ありがとう」
「ん――」
見詰め合うふたり。
互いを同志と認め合う、ただの幼馴染ではない関係。そこに男女の機微が生まれる隙などいくらでもあった。しかしてその距離は、ついぞ近づくことはなかったのである。
「緊急警報発令、緊急警報発令」
艦内の非常灯と、ブザーが一斉に鳴り出した。急いでブリッジへと戻ったふたりを待ち受けていたものは、緊張で蒼白となった副長の顔だった。
「どうした!」
アルフォートの問いに、ソナー装置を仕切る水測士が冷静に答える。
「艦長、前方距離二〇〇〇の位置に、全長五キロ以上にもわたる巨大な帯状の影を発見。『しらなみ』はすでに回避行動のために反転しておりますが、時間が掛かる模様。影はなおも接近中、護衛艦『あきかぜ』及び『ゆきかぜ』は臨戦態勢に入りました」
またすこしの時間差を持って、今度は音波解析官が言葉を発した。
「エコーを聴いた感じでは、ただの魚群のようにも思えますが……イワシの群れ?」
「ほかの艦はどう言っている?」
通信士へと視線を飛ばし、回答を待つアルフォート。しかし、いち早く影の正体を読み取ったのは『はるかぜ』のクルーだけだった。
「艦長、どうなさいますか」
副長のトルーニーは今年四十になる苦労人だった。
ながらく後方支援の任に就き、デスクワークに従事してきた彼にとって、突然の護衛艦勤務は苦痛以外の何者でもなかった。いわく、若い人材が指揮する艦にはベテランの常識論が必要である、という観点からの副長抜擢であったが、古巣の若返りを意図した配置換え、つまり左遷ではないかという憶測も流れている。
いずれにせよ、自分より一回り以上も歳若いキャプテンの下で働くのも楽ではない。
それはアルフォートも分かっていた。
「副長、深度は合っているか? 目視で確認をする。双眼鏡を」
と言って、アルフォートは手渡された双眼鏡を構えて、ブリッジ前方にある小さな覗き窓を眺めた。もちろん耐圧クリア樹脂製である。
すると、絵の具を溶かしたみたいに見事なマリンブルーのなかを、一筋の銀色をした帯がたなびいているのを確認する。
だがそれは、小魚が自らを巨大な一匹な生物であると天敵に知らしめたいがための群生行動であり、一糸乱れぬその動きはあたかも一条の光の帯にも似ていた。
一瞬、自然の雄大さに心を奪われかけたアルフォートだったが、軍人としての思考回路がそれを許さなかった。
規則的であるはずのイワシの群れに、一部分、隊列の整わない膨れた箇所がある。しかもそれは、調査団の艦隊に近づきながら幾度も場所を変えるのだ。アルフォートは脳裏にひらめいた言葉を、知らず知らずの内につぶやいていた。
「群れの
直後、彼の全身を電撃が走る。
慌てた様子で艦橋内に振り向いた。
「まずい! 急速潜航だ! 魚群のなかに『奴』がいる! 衝撃波くるぞ!」
アルフォートの号令下、『はるかぜ』は配置水域をはるかに越えて潜航する。水圧に耐えかねた外装は次々とへこみ、ゴーンゴーンと、艦内に不快音を轟かせた。可潜限界にもほど近い、深度四〇〇メートルで艦を水平に戻したアルフォートだったが、彼の視線はずっと小さな覗き窓に注がれていた。
突如、イワシ達が群れを崩して一斉に海中で散開した。
同時に『はるかぜ』のクルー達は、自艦の外装に向かってなにかが激しくぶつかっている音を聴いた。イワシ達が狂乱のままに、ある水域から逃げようとしているのだ。その水域を視野に入れようと、アルフォートはブリッジを移動して、艦側面にある覗き窓のまえに立った。
双眼鏡を構えなおして海上を仰ぎ見た時、なにもない海の只中で『あきかぜ』『ゆきかぜ』の両艦が紙のように吹き飛ばされていくのを見た。それから遅れることおよそ数秒。『はるかぜ』の船体を強烈な振動が襲った。
「ぐあああああああっ!」
副長のトルーニーが床を転げまわっている。アルフォートもミレニアも、その場のなにかにつかまって振動を耐えていた。やがて恐慌も鎮まりブリッジに平穏が訪れると、クルーの顔にも安堵の表情が浮かんだ。しかし、
「艦長! 右舷後方に艦影を確認! 本艦の可潜限界のさらに下から浮上中!」
「何者だ!」
再び騒然とするブリッジのなか、ヘッドホンから聴こえるエコーに集中していた音波分析官が重い口を開いた。
「こ、このスクリュー音は双軸の七枚刃……この速度で我々の艦よりもさらに深く潜れる船といったら……」
彼の視線がアルフォートと交差した。海上にある僚艦の安否も気になるが、まずは自艦に迫った脅威の方が目に見えて問題である。
「ブルーポラリス号……『海賊ヴィクトリア』か!」
「艦長! 深度並びます!」
「このいそがしい時に、ええいっ! 魚雷発射準備だ! 後部七番、八番を発射しつつ急速浮上するぞ!」
「艦長! 先手を打たれました! 魚雷来ます、着弾まで五十秒!」
「
艦内に軽い振動が伝播する。囮を射出した時の反動だ。音を追尾してくる対艦魚雷のセンサーを誤認させて、目標である自艦とはまったく別の場所で誤爆させるための艦載兵器のひとつである。
三……二……一!
水測士が着弾のタイミングを読み上げる。
直後、『はるかぜ』の船体を横殴りの衝撃波が襲った。
「着弾回避! 次弾ありません」
「水雷長、用意はどうかっ?」
「いつでもいけます!」
「よし、七番、八番……撃てえッ!」
再びブリッジを微震が駆け抜ける。
今度は自艦からの魚雷発射が震源だった。
「このまま浮上! まずは僚艦との合流を第一とする」
「艦長! マリナー部隊を出撃させてください!」
「ミ……ノヴァク少尉、海賊相手の実戦だぞ? いけるのか?」
「そのためのマリナー部隊です」
「……分かった。出撃を許可する。我々がこの水域を脱出するまでの時間を稼いでくれ」
「はっ!」
敬礼し、速やかにブリッジを退出しようとするミレニアに対して、アルフォートは耳元でささやいた。
「かならず助けにいくから」
その真剣なまなざしに、ミレニアは口の端をゆるませる。「はい」そう一言つぶやいて、彼女は格納庫へと飛び出していった。
〈つづく〉
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