第3話 ユニオン
【前回のあらすじ】
宿敵『赤鬼』を倒すべくシミュレーション訓練に励むミレニア。彼女と親しげに話す上官・アルフォートから隊の結成式への参加を促される――。
「なによ、さっきの態度?」
熱いシャワーと同時に、仕切り一枚を隔てたとなりから非難の声を浴びた。パティである。
ミレニアは返答に困り、鏡に映る自身の裸体へ目をやった。
小顔にくわえ、適度に丸みを帯びたボディライン。細いほぞと小さな肩。そして、すらりと伸びた脚線美が、彼女が気にする乳のなさを補って余りあるほどの女性的魅力をたたえていた。
「せっかく婚約者が、御自ら式典の招集にまで来てんだからさ。もっと愛想良くしなさいよね。アルフありがとう。またあとで会いましょう、愛してるわ、ムチュッとか」
「ばっ。よしてくれ! 大佐とはそういうんじゃない。あくまでもお互いの家督を考えたうえでの婚儀だ。親同士の決めた……ただそれだけだ。我々に恋愛感情など……」
「ほんとお?」
「もちろんだっ」
「あんたはそうかもしれないけどさ、あっちはそう思ってないかもよ?」
「どういう意味だ」
「ほんっとニブいわね~。そんなんだからおっぱいじゃなくて、ちからこぶが発達すんのよ。家柄だいじにするのもいいけど、すこしは女の子らしくなさい」
「女らしく……か」
再び鏡に目をやった。そこには母親ゆずりの大きな瞳。そして、父からもらった耳飾りが映っていた。両親の願いは分かっている。早くアルフォートと結婚して、ノヴァク家の跡継ぎを生むことだ。しかし、自分には大志がある。始祖グレゴリオが目指した人類救済の道を、自らも切り拓いていきたいという夢だ。
ながらく慎重な政策を執ってきたユニオン党だが、いまは違う。
現総統シリウス・マクファーレンのもとでは、それがかなうと信じている。
たとえそれが、敬愛する父親との離別を招いたとしても。
シャワーを終えたふたりは、軍服に身を包むと結成式の行われる会場へと足を運んだ。
すでに三百名近い下士官達が整列し、場内には緊張感が漂っている。
入り口から見て部屋の最奥「海洋調査部隊・第七洋区調査団結成式」の横断幕が掲げられた壇上からほど近い場所にアルフォートをはじめとする士官達が、兵科ごと、階級順に並んでいた。談笑など交えながら、式典開始時刻を待っている。
その端にそっと並び、ミレニアとパティも隊列の中にくわわった。
「総員気をつけ! 総統閣下に敬礼!」
しばらくして式典の進行役を任された士官が号令を掛けた。一斉に従う兵達。官位の別なく行われる一糸乱れぬ行動に、軍紀の厳しさと、日頃の鍛錬を垣間見ることが出来る。
ミレニアをはじめ、全兵士の視線は、壇上に立つひとりの男へと注がれていた。
白を貴重としたローブを身にまとう神秘的なたたずまい。ゆるくウェーブのかかった長髪を腰まで伸ばし、端正な顔立ちはまるで彫像のようだった。しかしその瞳に息づく強大な生命力が、彼を見た目だけの無機質な置物ではないと主張している。
第五十七代ユニオン党最高指導長、兼・ユニオン親衛隊総司令官。
それが彼、シリウス・マクファーレンの肩書きだった。
シリウスが軽く手を挙げると、進行役が「敬礼なおれ」の号を発する。一同の身じろぎが再びそろい、ザッという布ずれの音を会場内に轟かせた。
シリウスは一度、会場内を大きく見渡しうなずく。そしておもむろに口を開いた。
「皆、いい顔をしている」
妖艶な唇から紡ぎ出される言葉は、やはりカリスマをもって発せられる。一部隊の結成式に、総統自ら足を運ぶことさえ異例であるというのに、訓辞までいただけるとは聴衆一同、万感の思いである。
ミレニアもまたその例にもれず、彼の尊顔から目をそむけることなど出来なかった。また部屋の後方には、この稀事を記録に収めようと映像班までがはせ参じている。
後日この映像は電波に乗り、世界中に届けられることだろう。
「諸君らも知っている通り、我々人類社会は一度滅亡している。あの『終末ノヒカリ』以降、地上は海に呑まれ我ら人類のほとんどは死に絶えた。生き残ったわずかな命さえ、小さな共同体で寄り添い、外敵からの恐怖にさらされている。なぜか? それは我々人類が、他の野生動物よりも脆弱であるからにほかならない。ならば弱さを認めよう! だから団結し合うのだ! かつての思想家グレゴリオ・ノヴァクはこういった『人類よ、再び結集せよ』と。散り散りとなった人類を我らユニオンの手で結集し、この世に再び国家を建設する! それは海洋をも制す、人類の理想郷である! そのためにユニオンはあるのだ!」
割れんばかりの歓声。
自らを鼓舞するように兵士達が狂乱した。壇上のシリウスは一度、大きくうなずき、彼らの興奮を手で制する。
「ユニオン啓蒙部隊が人類の結集を目的とするならば、諸君ら海洋調査部隊は人類の未来を安寧とさせる礎であるとわたしは考えている。かつて宇宙にまで開拓の手を伸ばしていた高度な文明でさえ、海洋の神秘にはわずかに触れた程度だったという。ならば、我々の手でそれを解き明かしてやろうではないか! そして、来るべき海洋生物との生存競争に打ち勝ってやろうではないか! その命運は諸君らの働きいかんにかかっている! 大いに期待させてもらおう。我々がつかむのは勝利と栄光だけだ!」
鳴り止まぬ万雷の拍手。
熱を帯びた聴衆は、彼に演説を終わらせることを許さなかった。その後、二十分に及ぶシリウスのスピーチは聴衆を酔わせ、これから危険な任地へ赴くのだということを兵士達に忘れさせた。彼らの胸に残るのは栄誉だけ。栄えある総統の騎士であるという誉れだけだった。
式典も順調に運び、第七洋区調査団団長の宣誓も終わり、残すは任命賞の授与と、戴章式だけだった。
これは士官三十名のみに与えられる栄誉であり、総統自らの手で、隊章を軍服の胸に拝領するという誠に誇らしげな儀式である。ひとによっては末代までの自慢話となり得るのだ。
着々と読み上げられる上官の名前。
アルフォートまでくれば、ミレニアの順番もすぐである。いつも以上にしゃちほこばった身体の節々が痛い。視線は自然と斜め上方を向いていた。
ついにミレニアの番である。緊張が最高潮へと高まるなか眼前のシリウスが、となりに付き従う女性秘書官の携えるトレーから真新しい隊章をひとつ摘み上げた。それを長く綺麗な指先で、ミレニアの胸元へと飾る。無骨な隊章もまるで、花束のコサージュのように感じられた。
「ノヴァク少尉」
「は、はっ!」
個人的に声を掛けられることなど、予想外だった。あまりのことに声がうわずる。
「実を言うと、きみの入隊には少々、悩ましいところがあった。有能な人材が志願してくれたことには純粋にうれしかったんだが、お父上のこともあるからね」
「それは……! はい、申し訳……ありませんでした。お心を煩わせました」
「いや、きみが謝ることはない。これはわたしの勇気の問題だよ。きみの正しい決断が、評議会でのお父上の立場を危うくさせるようなことは絶対にさせないよ。いつかお父上にも分かってもらえる日がくるさ。きみには我々の架け橋となってほしいと思っているんだ。期待しているよ、ミレニア・ノヴァク少尉」
そっと肩を乗せられたシリウスの手は暖かかった。
党軍への入隊が決まってからというもの、すべてが針のむしろのように感じられたミレニアにとって、ただひとつの救いのようですらあった。
地上に点在する非党員や海賊行為に及ぶ蛮族達、また海洋の脅威である水棲生物との間に協定を設け、地上のすべてを平らげるのではなく、彼らとユニオンが理想とする国家との間に一線を引こうとする思想がユニオン内部にはある。
しかし、それら穏健派の意見は、革新的な政策で実績を上げてきた現体制のなかにあって異端であり、総統府の行き過ぎた政策に対するささやかなブレーキ役でしかない。
それらは反目し合っている訳ではないのだが、ユニオンが決して一枚岩ではないということの証明でもある。
渦中の穏健派の実力者とみなされているのが、評議会書記長ロベルト・ノヴァクであり、彼はミレニアの父親でもあった。
軍紀に忠実なミレニアは、たとえ親子であっても馴れ合いをよしとはしなかった。
その愚直なまでの忠誠心が、慣れ親しんだ生家を離れさせ、軍寄宿舎に身を寄せるまでにいたったのである。
――いつかお父上も分かってくれる。
ミレニアにとっては胸に突き刺さる言葉であった。
なぜならば、彼女がほかの誰よりも父の正しさを知っているからである。
〈つづく〉
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