第8話 出会いはウィスキーと共に
その日は朝から滝のような雨が降り続けていた。
その時の私は全てに絶望し、どこへ行くあてもなくただ、夜の町を徨い歩いていた。
傘もささず、雨風に打たれ自然の猛威に身を任せこのまま消えてしまえたらいいのに、そう思ってすらいた。
そんな時ふと、ある看板が目に入り歩みを止めた。
【そこの絶望を抱えたあなた!人生、やり直しませんか?あなたの人生、買いとります。まずは一度ご相談から。親身にお話を伺いあなたにあったプランをご紹介させていただきます。】
人生をやり直せる。
その言葉に目を引かれた。
だがいくら何でもそんなことできるわけがない。
きっとくだらない詐欺や占い、水商売の勧誘広告だろう。
この日本にこんな非現実的な広告文句を本気にする奴なんているわけがない。
いるとしたらそいつは計り知れないほどの大馬鹿野郎だ。
考えるだけ、期待するだけ時間の無駄だと、頭の中の冷静な自分はそう言っている。
だけど自分の中の本能的な何かがこいつはほんものだと叫び、無視するなと、訴えかけている。
理性に従うか、本能に従うか。
心が揺れる。
決めた。
詐欺だろうとカルト教団だろうと何かが変わるのであればと、そう藁にもすがる思いで看板下の陰気臭い扉を開ける。
扉を開けるとすぐに地下へ通じる階段がありその階段の先にまた扉があるのが見えた。
階下にある茶色い扉はさらに陰気臭く独特の雰囲気を醸し出していた。
このまま進むことを思わずためらってしまうほどの負のオーラを感じる。
だがこれ以上失うものなど何もない、きっと何かを得られるハズだと一縷の希望をもち一段一段確実に下っていく。
一段ごとに足が重くなり、まるで自ら地獄へと向かっているかのような感覚に陥る。
何とか扉の目までたどり着きドアノブに手をかける。
果たして鬼が出るか蛇が出るか。
扉を開けるとそこは古臭いバーだった。
マスターと思しき老人が客が入ってきたにも関わらず顔も上げず、グラスを拭き続けている。
さびれた普通のバーじゃないか、期待していただけに肩透かしを食らったような気分に陥る。
しかしこれも何かの縁だと思いなおし一杯くらいは飲んでいくことに決める。。
それに強いアルコールでも飲めばすこしは気がまぎれるという思惑もあった。
「ウィスキー、ロックで。銘柄は何でもいいよ。一番効くやつ」
そう注文しながらカウンター席に向かう。
足元に水たまりができていたがマスターはそれを咎めることも気に留める様子もない。
席に座るとすぐにグラスが置かれ琥珀色の液体が注がれる。
「ジョニーウォーカー。ブラックラベルだ。甘味と何層もの深い味わいがある。その深みは飲む度に異なる表情を見せる。」
不愛想なマスターはそれだけ言うとまたグラスを拭き始める。
さびれているバーのわりにはお酒の種類は豊富のようだ。
カウンターの奥の棚にはどこにでも置いてあるような物から見たことの無い物まで様々なお酒達がところ狭しと置かれている。
整理されている様子はなさそうだが何がどこにあるかわかるのかな、などと考えながらウィスキーを飲む。
口に含んだ瞬間にスモーキーな香りが鼻に抜ける。
そしてそれに続く甘味と酸味。
幾重にもあわされた味が口の中で絶妙なハーモニーを醸し出している。
確かにこれはうまい。
「うまいね、これ。マスターいいセンスしてるよ。」
そうマスターに話しかける。
返事がないことに訝し、視線をグラスから上げると、さっきまでそこにいたはずのマスターの姿が見当たらない。
(あれ、いついなくなった?)
唯一の話し相手が居なくなってしまったので改めてグラスに注がれた琥珀色の液体を眺める。
琥珀色に透き通った単色の液体を見ただけではこんなにも深い味わいがあるとも、様々なフレーバーがブレンドされているものとも思えない。
だがひとくち口に含めば今までどこに隠れていたのか、様々な表情が顔を覗かせる。
これがウィスキー、なんと奥の深い。
「ずいぶんと気に入ったみたいですね。」
「ひぅ!」
不意に背後から声をかけられ、すっとんきょうな声を上げてしまう。
慌てて振り返るとそこにはら二十歳そこそこの若い男性が立っていた。
「すみません。驚かせるつもりはなかったのですが。気になってしまって、よければこれ使ってください。」
そう言い男性が差し出してきたのはフェイスタオルだった。
一瞬遅れて自分がずぶ濡れだったことを思い出し男性の好意ををありがたく受け取る。
「すみません。お言葉に甘えて使わせてもらいます。これがおいしくて自分が濡れていることをつい忘れてしまいました。」
男性はにっこりとほほ笑むと上着を壁にかけ隣に腰かける。
「ここは色々なウイスキーを取り揃えているから隠れ家的な意味でもお勧めですよ。それにマスターは気前が良くてウィスキー好きにはよくまけてくれます。すみません、べらべらと余計なことを話してしまいましたね。申し遅れましたが私はこういうものです。」
慣れた手つきで名刺入れから名刺を取り出し丁寧な所作で差し出してくる。
その名刺を受け取るとそこにはこう書かれていた。
【LIFE CONSULTANT 代表取締役 神崎 響叶】
「神崎さんですか。若いのに社長をやられているなんてすごいですね。あいにく今は名刺を持っていないのでお渡しできるものはありませんが。新田一樹と言います。」
常に名刺を持っていないなんて社会人失格かもしれないがこの場に名刺を待っていなくて良かったと心底ほっとした。
社長などというたいそれた役職に就いてる人に一平社員である自分の名刺などとても渡せない。
「一樹さんというんですね。社長をやっていると言っても小さな会社ですしみんなの使いっぱしりのようなものです。見ての通り私の方が年下ですしそんなにかしこまらないでください。」
そう言われても社会人として上の立場の人に対する接し方を嫌というほど刷り込まれてきたのでそんなにかしこまるなと言われても逆に困る。
「神崎さんはよくここに来られるんですか?」
今は自分の事をあれこれ詮索されたくないので先に質問をぶつける。
「ええ、ここのマスターとは昔からの中で仕事関係だったりプライベートだったり、よく来ますよ。ねっマスター。」
気が付かない間に消えていたマスターがカウンターの中に戻ってきている。
そしてそのまま無言で神崎の前にグラスを置く。
中身は何かわからないが無職透明だからウィスキーではないだろうと思う。
何だろうと思いついグラスを見てしまう。
「これの中身が気になりますか?こんな色ですがれっきとしたウイスキーなんですよ。珍しいものではあるんですけどね。マルス・ニューポット・ヘビリーピ―テッドっていうんですよ。」
「へぇー無色透明なウイスキーもあるんですね。初めて知りました。神崎さんウイスキー詳しいんですね。」
「いやいや、私の知識なんてマスターの受け売りですよ。ここで初めてウイスキーを知ったんです。それより一樹さんはなぜ傘もささずにずぶ濡れに?」
いきなり聞かれたくない質問をぶつけられ動揺する。
「傘を持って出たのはいいんですがお恥ずかしながら風でやられてしまって。とてもさせる状態じゃなかったので捨ててしまったんですよ。だから雨宿りがてらここに足を運んでみたというわけです。神崎さんは今日はプライベートですか?」
外の雨の様子からすればかなり苦しい言い訳だがそこまで気にされたりはしないだろう。
それに万一にも詮索されないようにこちらからの質問も忘れない。
「そうですねぇ。今日は仕事半分といったところでしょうか。」
(仕事半分?)
「若いのに大変ですね。ではお仕事の邪魔にならないように私はこれを飲んでさっさと退散させていただきますよ。」
これでここか出ていく理由もできたと思っていると不意に神崎と名乗った男が不敵な笑みを浮かべる。
「邪魔だなんてとんでもない、言ったでしょう?私は仕事半分だと。そしてその仕事はあなたにも関係しているのですから。」
「私に関係している?全く心当たりがないのですが、、、。」
どういう事かと疑問が頭に浮かぶが初対面の人物の仕事に自分が関わっていると言われても心当たりが全くない。
「ええ。先ほどの質問の答え、傘が壊れたからではありませんよね?別の、もっと”暗い”理由があるんじゃないですか?」
「あなたには関係のない事です。」
相手がどこぞの社長だという事も忘れ笑顔の仮面をはぎ取るり即答する。
もう行こう。
こんなやり取りをするためにここに入ったわけじゃない。
ここに希望がないとわかったときに早々に回れ右をするべきだった。
財布からお金を取り出し机の上にお金を置く。
「マスター、お金はここに置いておく。おつりはいらないから。」
そういい扉に向かう。
ドアノブに手をかけたとき神崎に後ろから声をかけられた。
「気を悪くされたようならすみません、謝ります。ですがあなたには変えたいなにかがある。そしてここなら何かが変わるかもしれないと、そう期待を込めてここの扉を開けたのではありませんか?」
「・・・・・・・・・・・。」
神崎の問いかけに思わずドアノブに手をかけた状態のまま停止する一樹。
そこに神崎の一言が突き刺さる。
「あなたは入り口の看板を見てここに足を運んだんですよね?」
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