第3話  遠い背中


慎一がもう一度深い眠りについたころ、火災現場から少し離れた路地に一台の車が停まる。

中からはいかにも気だるそうな様子の男性が出てくる。

気だるそうにしていながらも一般人にはない独特な雰囲気を醸し出していることから想像するに事件の関係者なのだろう。

あくびを噛み殺しながら進んで行く彼を運転席の窓越しに確認し、彼の部下である高幡みのるは眠い体にむちを打って自分も車から降りた。

警察署で当直勤務というをしていた時の出来事だった。

都内の住宅街にある施設から原因不明の出火、現在も鎮火活動中、という通報が通報センターにはいった。

火災発生時刻が深夜という事もあり、人為被害の可能性が高く、現場が住宅街という事もあり周囲への類焼が及ぶことも考えられ、二次災害に繋がる危険性が高い、とのことだった。

消防の連絡から数分後、現場に到着した警官からの要請もありみのる達、特別対策班が現場に向かうことになった。

基本的に事件発生時間が夜の場合は、通報を受けた警察本部の通報センターにいる人間が、付近の交番勤務の巡査や、当直の県警刑事を現場に向わせる。

そこで事件の程度、種類等を判断し、巡査ら夜勤勤務の者だけで対応するのか、非常招集し警察全体で対応するのかを決める。

ただし日中の場合は異なり、事件の質によりそれぞれの課が動く。

事件の発生時刻に限らず捜査が難航する場合には所轄と本庁の合同捜査となり捜査本部を構えた大規模な捜査に発展する。

捜査が難航する以外にも所轄だけで対応するには人員不足だったり、相手が巨悪なものや、凶悪なもの、そして難解なものなどは合同捜査の対象となる。

もっともそこまで大きな事件が起こることはそうそうないので合同捜査と言っても本部の人間が数人派遣されるくらいなのだが、、、。

それらに関しては管理職の立場にある者達が判断をするのだが本庁とそのほかでは目に見えるヒエラルキーが存在するので所轄から積極的に依頼をするという事はめったにない。

所轄曰く、所轄には所轄のやり方があるのだとか。

今回の件に関して言えば現場の警官から応援要請の無線が入った時の当直がみのる達の班だった、という事である。


(何もこんな夜中に火事なんて起きなくてもいいのに)

内心ではぼやきつつも捜査一課に配属されてから初めての本職と言える仕事だ。

入庁してからというもの研修と書類整理しかしていないみのるからすれば初めての事件、という事になる。

こんな時間だろうと文句は言えまい。

それにたとえ夜中だろうと勤務時間内にそれもお昼以外で外に出られるだけでもありがたい。

みのるは集まっている野次馬をかき分けながら進み、現場にいる警官に警察手帳を提示し黄色いテープをくぐった。

「この時期ですし石油ストーブとかの事故ですかね。」

先に黄色いテープをくぐって現場に足を踏み入れていた上司に追いつくと隣に立ち、問いかける。

彼はみのるを一瞥し、思いっきり嫌そうな顔をしたかと思うとめんどくさそうに答える。

「まだ完全に消化活動は終わっていないのは見てわかるだろう。つまり現時点では発火場所、発火原因もわかっていない。けが人、死亡者、正確な被害範囲すらもわかっていない。今確実に分かる事と言えば火災が起きた、という事だけだ。そんな状況で君はなにをどう判断できるんだ?そういう無駄な想像が生み出す先入観は目を曇らせ物事の本質を見えなくする。(こんなこともわからないのかこのバカは)」

冷徹にもそう言い放った彼の名前は骸亮。

みのるの上司にあたる人物で階級的には警視にあたる。

警視と言えば小さい警察署であれば署長を務めることのできる階級だ。

ついこの前本庁に配属された新人警官であるみのるとの階級の差は一目瞭然だ。

そんな階級の者がなぜいち警官として現場にいるのかというと先ほどのみのるとの会話を聞けばわかるように、人としてかなりの難がある、という事だ。

そんな骸はというと、その場に呆然と立ち尽くすみのるをおいてどんどん先を歩いていってしまう。

彼の毒舌はいつもの事だが夜中に呼び出されたとあっていつも以上に機嫌が悪いように思う。

(あーあ。これで本日の地雷16発目、だっけかな。)

みのるは骸に聞こえないようにため息をつき去っていく彼のうしろ後を目で追う。

彼の名前は警察官になろうとしている者なら誰でも知っている。

警察組織において検挙率ナンバーワンであり入庁してからというもの煌々たる成果を上げ続けている人物として配属前のみのるの耳にも彼の噂は届いていた。

しかし今の時代、いくら検挙率ナンバーワンで優秀な人材だろうとその地位につくまでに普通は十年以上はかかる。

それこそ部長止まりで定年退職する人も少なくない。

それがなぜ警視などというたいそれた階級が与えられたのかは多くの謎に包まれているが、彼がそれだけ非凡だったということも一つの理由だろう。

彼の非凡さは出会って数週間しかたっていないみのるが強い憧れを抱くくらいには常人の域を超えている。

思考は柔軟で先入観や感情にとらわれることもないし、知識や経験も豊富。

唯一欠点を上げるとするならば非凡さと比例するかのごとく悪い口だと思う。

とにかく、ほんっとうに口が悪い。

そのため、彼と一度でも会話をしたことのある人間は決して彼と共に働きたいと思わない。

それほどまでに協調性が皆無だし、言葉をオブラートに包むことができない。

彼の言葉の一つ一つがとてつもない破壊力を持った爆弾なのだ。

故に今まで持て余し気味だった彼に与えられた部署、それがみのるの所属する{特別対策班}だ。

組織図的には刑事課に入るが捜査一課~三課の全てに属し、またどこにも属さない。

あくまでも刑事課の独立した機関である。

その為三課すべての事件を担当できる独立機関ともあればその仕事内容は幅広い。

それこそ広報活動や書類整理、他部署の応援、単独での事件捜査、果ては警察学校の臨時講師にまで駆り出されることがある。

このように職務内容が様々なのでその分、彼らが扱う犯罪も幅広くなる。

それこそ万引きのような軽犯罪から殺人などの重犯罪など様々だ。

みのるのもとに送られてきた人事勧告書にはそれこそ覚えきれないほどの仕事例とそれらの仕事内容が何枚のにもわたって綴られていた。

言い換えればただの便利屋。

そして裏の意味は扱いづらいが優秀な人材でもある骸を安全に飼うために彼に与えられた部署。

だが、それを入庁前に読んだみのるの期待は膨らみこれ以上ないほどの使命感に駆られた。

(自分が選ばれたんだ。自分が。やるぞ、やってやる。)

四月一日、勤務初日はそう意気込んで家を出たのを覚えている。

しかしその期待も使命感もはじけ飛ぶのはほんとに一瞬だった、、。

(あーあ、何やってんだ)

思いがけず声に出てしまった愚痴をかき消すかのようにかぶりを振り先を行く骸を追いかけようとする。


その時、ふと誰かの視線を感じ後ろを振り返る。

だが、そこには静寂に包まれた夜の街並みとざわめき立つ野次馬たちが不安そうな顔で立っているだけだった。

一体何だろうと不思議に思っていると骸のイライラした声が前方から飛んできた。

「数メートルの距離を進むのに何時間かけるつもりだ。来るのか来ないのかはっきりしたらどうだ。こっちは君ののろまな思考を待てるほど暇じゃない。」

急に声をかけられ思わず飛び上がってしまった。

だが骸はみのるのそんな挙動を気にするでもなく消防の責任者らしき人のほうに歩いていってしまう。

「すいません!すぐいきます!」

慌てて骸のほうに向かって駆け出す。

そのたった数メートルのこの距離が骸との埋まらない差のようで彼がどれだけ先にいるのかを突きつけられた気がした。


(遠いな、、、。) 

みのるは走る。

その遠い背中に少しでも追いつき、いつか彼の隣に立つことを夢に見て。


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