第2話 縋り付く / 乙女心 2

 雨でコートが使えないときテニス部は室内での活動を強いられるのだけれど、もちろん室内コートなどあるわけもなく、今は授業で使われていない地歴公民教室で筋トレなどをしていた。今日は日向の言った通り昼からずっと雨な上に、テニスコートが元は田んぼだったせいで水はけが絶望的に悪いことから、しばらくテニスはおあずけになりそうだった。その気になれば市営のコートを借りられるのだが、微妙に遠いし自腹なのでそれは他の面子次第である。

 一通りのメニューを終え、普段よりだいぶ早い時間に部活を終えた僕は、部員たちに用事がある旨を伝え教室へと戻った。しかしそこには日向の姿はなく、あるのは彼のカバンだけだった。 

「まだ図書委員の仕事中かな」

 図書委員が普段何をしているのかは知らないけれど存外忙しいものなのかもしれない。教室で待ってる理由もなかったので、すぐに教室を出た。こんなことなら直接図書室に行けばよかった。ベランダを渡らなければならないとはいえ、図書室は地歴公民教室と同じ特別教室棟4階にあるわけだし。

 えっちらおっちら階段を上り、図書室に入ると中には二、三人の生徒がいた。普段ここに来ることはあまりないからこれが多いのか少ないかはわからないけれど、なんとなくいつもどおりなんだろうなと思った。なんたってここは特別教室棟4階。クラスの教室である一般教室棟とは渡り廊下を挟むことになるし、何より今はその一般教室棟も改装工事中であるため、特別教室棟からは更に離れた場所に建てられたプレハブで授業を行っている。本を借りたり返したりする理由以外でここに来る人はほとんどいないだろう。

 僕は真っ先にカウンターを覗きに行ったが、日向はそこにもいなかった。これは予想外。図書室を軽く見渡したけれど、それっぽい影はない。どうしたもんかなと思いながらもう少し覗き込んでみるとそこには机に突っ伏したまま動かない女子生徒の姿があった。山城さんだ。

「山城さん。山城さーん……。駄目か」

 微動だにしない。僕は山城さんと直接な関わりはそんなにないけれど、訊くところによると彼女は状況問わず寝ていることが多いそうだ。前に日向が、船を漕いでるときや呼びかけに対して少しでも反応があるときはまだ望みがあるが、そうでないときは諦めたほうがいいと言っていたけど、それは間違いないようだ。今カウンターに用がある人が来たらどうするんだろうとちょっと心配してみる。時間も時間だしここにいる生徒は勉強しているか寝ているかだったので、まあ大丈夫なんだろうという結論になった。仕方ないので、カバンの中に入れていた小説を取り出し近くの椅子に座る。山城さんがここにいるってことは待っていれば日向も戻ってくるだろう。山城さんと二人きりという状況が今までなかったから、扱いがいまいち分からないのだ。

 

「永瀬、もう部活終わったのか」

 主人公が空から降ってきた少女に出会い、なんやかんや会話を始めたとき、僕の意識は現実に引き戻された。声のしたほうを見上げると、そこには見慣れた友人の顔があった。

「日向。どこに行ってたんだい」

「昇降口の返却ボックスの本を回収し忘れてたから行ってた」

 日向はカウンターの前に積まれた何冊かの本を指さし言った。そういえばそんなものもあった気がする。図書室まで返しにくるのが面倒な人への配慮なんだろうけど、なるほどこれは人も少なくなる。

「僕はいつでも帰れるけど、君たちはどれくらいかかりそう?」

「こっちも業務時間は終わったからあとはこの本の返却だけだ」

「手伝おうか」

 念のためカウンターの奥を見てみたけど、相変わらずその背中は動かないままだった。

「あー。いや、流石に悪いからいい」

 日向はカウンターの中に入ると強めに彼女の肩をたたく。反応なし。今度は少し乱暴に肩を揺らす。これまた反応なし。日向は少し考えるそぶりを見せ、彼女の耳元に顔を近づけ何かつぶやいた。そんな小さい声で呼びかけても効果ないでしょ、と言おうとしたらまさかの反応があった。もぞもぞと頭を左右に揺らしたかと思うと、ゆっくりと顔を上げたのだ。室内の明かりがまぶしいのか、まだ開ききってない目を擦りながら、

「……どこ?」

と一言。

「さあな。俺は書架に返すから、こいつらのバーコード通しといてくれ」

「……うん」

 山城さんはまだ半分くらいしか開いてない目を再び擦り、本をカウンターの中へとやった。

「さっき何を言ったんだい?」

「ん?ああ、たこ焼き」

 なんでそれで起きるんだろう。僕にはさっぱりわからなかった。


 二人の作業も終わり、荷物を取り外に出ると、いつのまにか雨は止んでいた。傘を学校に置いていたか怪しかったので助かった。三人とも汽車を使って登校しているため、途中までは一緒だ。僕たちが乗る汽車が来るまで一時間ほどあったから話はそこですればいいのだけど、その前に一つ気になることがあった。

「ねえ日向。山城さんすごく機嫌がよさそうだけど、なんかいいことでもあったの?」

「今日たこやに行く日だから楽しみなんだろ」

 返ってきた言葉はそれだけだった。たこやというと、駅前にある唐揚げがおいしいと評判のたこ焼き屋か。さっき図書室で日向が山城さんを起こしていたときの様子を思い出すと、いろいろ合点がいった。しかし、たこ焼きか。人を見た目で判断するのはあまりよくないことだけど、正直山城さんとたこ焼きの組み合わせはあまり彼女のイメージに合わなかった。誰かが言っていたけれど、入学してからそんなに日が経っていないにもかかわらず山城さんは学年問わず一定の人気を獲得しているらしい。その人たちのどれくらいが山城さんの実態を理解しているんだろうか。まあ実際の姿を見ることになろうとも、それはそれで彼女の評判が落ちることはなさそうだけど。僕が見るに、彼女よりもむしろ日向のほうが悪影響を被ることになりそうだ。僕が知る限り、日向以上に山城さんの扱いに慣れた男はいない。それを知った山城さんファンの皆様がどのような反応をするのか少し気になった。僕は後が怖いので誰かがその情報を流してくれることに期待しておく。

 そんなことを考えてるうちに駅に到着した。自転車置き場に自転車を停め、横断歩道の先に見える、たこや、と書かれた看板へと向かった。僕はここに行くのは初めてだったから、少し楽しみになった。

 店に入ると、山城さんは迷うことなくカウンターの奥に座る店主に

「たこ焼きを二つください」

と言った。一つは日向の分だろう。勝手に自分の分も注文された当人は特に反応する様子もなかったので、多分いつものことなのだろう。

「そこの兄ちゃんはどうする?」

 店主は僕の方を見ている。ああそうだ、僕も注文しないと。何故か急かされたような気分になった結果特に考えもせず、じゃあ唐揚げで、と言ってしまった。この店といえば唐揚げという情報しか知らなかったのだから仕方ない。初めて来たたこ焼き屋でたこ焼き以外を注文するのはなんだかマナー違反な気がしないでもなかったけど、店主は特に気にする様子もなかったので今回はセーフってことにしよう。今度ここに来た際にはたこ焼きを注文します。


 お金を払ってそれぞれの注文の品を受け取った僕らは駅へと足早に向かった。中にあるベンチに腰を下ろし、発砲スチロールの容器を開ける。唐揚げには茶色い衣に覆われた通称屋台型と、白い衣に覆われた家庭型があると思っているけれどこれは後者だった。僕はどちらといえば家庭型のほうが好きなので、より期待感が高まる。一つを爪楊枝で刺し口に運ぶ。口の中に唐揚げの油が一気に広がる。明らかに肉のものだけではない香ばしさも感じた。お店で出てくる唐揚げは大抵鶏だけじゃない味がするけれどどこに何を入れているんだろう。今まで食べてきた唐揚げとはまた違った味だけど、評判に違わず文句なくおいしかった。

「で、結局何の相談なんだ?」

「相談?」

 山城さんは首をかしげる。話してなかったんだ。まああの状態じゃ仕方ないか。山城さんのたこ焼きを食べる仕草は最初の印象どおり上品なものだったが、手元の容器をよく見るとその半分ほどが空になっていた。いくらなんでも早すぎやしないだろうか。

「永瀬が水野となんかあったらしくてな。せっかくだしお前にも聞いてもらおうかと思って」

「なるほど」

 山城さんは爪楊枝を容器に戻すと、その手をこちらに差し出し、

「じゃあ、どうぞ」

と言った。改めて言われると話しづらいなあ。

「えーっと、正確には水野というより、なんだけど」

 僕は数日前の出来事を振り返った。


 ちょっと前、もうちょっと詳しく言えば二週間くらい前からかな。なんだか水野が僕に対して冷たくなった気がするんだ。そのときは別にあからさまにってわけじゃなくてね、なんかいつもより言葉が少ないというか、テンションが低いというか、そんなすごく気になるってほどのことじゃなかった。だから僕も特に突っ込まなかったしそんな日もあるのかなあと思ってたんだ。その状態がちょっと続いて今週の月曜日かな。たまたま水野と帰りが一緒になったんだ。しばらくはいつもどおりだったんだけど、急に水野が「ちょっといい?」って聞いてきたんだ。急に改まってどうしたんだろうと思ったけど、最近元気がない様子だったし何かの相談事かなと思った。え?いや流石に断らないよ。中学からのよしみだし相談くらいいくらでも聞こうじゃないかと思って続きを促したさ。そしたら水野は「やっぱいい」なんて言うんだ。僕は何がなんだかわからなかった。その日はそのまま別れたんだけど、次の日からさらに水野と話しづらくなったんだ。


「と、いうわけなんだけど。二人は何か水野から聞いたりしてない?」

 日向と山城さんは顔を見合わせた。


 

 

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