第3項 世界と人
人、それは哺乳類に属する。言語を話して意思疎通を図るという独自のコミュニケーションを持つ。
他の生物と大きく異なる点、それは思考することができるという点だ。
それは人類としての大きな特徴でもある。
考えることができるとは、進歩することができるということだ。
進歩が発展を生み新たなものを創造する。
新たな創造は人の力を過信させ人類こそが頂点だという錯覚を引き起こさせる。
その錯覚故に人はこの世界を手中に収め管理しようとする。
果たしてそれは正しいことなのか。
この世界は本当に人のものなのか。
だがその問いに対する答えを我々人類は持ち合わせていない。
だがそんな我々にも一つだけ言えることがある。
それはこの世界には人類以外も存在するということだ
虫、動物、植物など。この世界は命で溢れている。
いったい人の傲慢さだけでどれだけの生きものをないがしろにしてきたのだろうか。
排除する側とされる側、強きものと弱きもの、立場が違うから理解しあえない。
わからない、理解できない、だから互いの存在が怖い。
怖いから、自分の生存が脅かされるかもしれないから排除する。
果たしてそれは間違った選択なのだろうか。
わからない。
誰だって排除されるのは怖い。
怖くない人なんていないだろう。
だから恐怖の対象を先に排除するという選択は正しいのかもしれないし間違っているのかもしれない。
弱肉強食がまかり通るこの世界では相容れないものを排除する行為を間違っていると断言するにはあまりにも難しい。
ならば、弱いものを排除する、そんな選択しかできないこの世界が間違っているのだろうか。
世界が間違っているとすればいつから間違えた?
いつからこの世界はこんなにも歪んでしまったのだろうか。
歪めているのは何?
この世界に存在するものすべて?
それとも自分勝手に排除を繰り返す人類?
違う。
歪めているのはこの世界そのものだ。
この世界があるから、生物が存在するから歪む。
何もなければ何も起こらない。
だから排除する。
人が他を排除するように、してきたように、この世界に存在するものすべてを。
そしてこの世界を地球に返す。
この世界の王は人類などではない、地球だ。
世界をあるべき場所に、返す、それでこの世界の秩序は保たれる。
その時地球に人類が存在していたいのであれば地球にとって人は恐怖を抱く対象ではないことを証明しなければならない。
我が物顔で地球を消費するのではなく大切に拝借し、地球にもっと歩み寄る。
そうすれば自然と地球との距離は近くなりいい関係での共存が築ける。
そしてそれは人と地球だけでなくその他多くの生命との共存にもつながっていく。
いい形での共存は世界を歪みから解放し世界の、そして地球のありのままの、美しい姿を見せてくれることだろう。
彩色にあふれて 銀髪ウルフ @loupdargent
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。彩色にあふれての最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます