第二項 自己満足
この世で起こっていることの全ては自己満足で語る事ができる。
好きなこと、嫌いなこと、得意、不得意、関係ない。
それはつまりどういう事だろう。
では、ここで勉強ができる人とできない人の違いについて考えてみよう。
それはただ単純に勉強をするかしないかの違いである。
それぞれの頭の構造は違うかもしれないがそれは大した問題ではない。
結局は自己満足からなされるのだから。
努力をする理由は色々あるだろうがどんな理由を言ったところで結局は自分が望む自分を手にいれたいだけだ。
勉強をしてテストでいい点を取りたい。
いい成績を取りたい。
そうすることで自己満足を得られる人は自己満足したいがために勉強をする。
だから当然勉強にも力が入る。
その結果として勉強ができるのはある意味当たり前の結果だ。
逆に勉強ができない、勉強が嫌いという人は勉強することに自己満足を得られないだけである。
だから勉強ができないからって悲観的になる必要はない。
きっとその他の事で自己満足を得られる。例えばテスト期間中に漫画を読む、ゲームをする。
それに自己満足を感じてるのかもしれない。
その行為は周囲の人から見れば怠惰に見えるかもしれない。
だが、それは勉学を主とする学生だからであって年齢や立場が変われば見方も変わる。
そうやって些細なことで変わるものなどいうなれば大したことのないものだ。
だから自分が何に対して自己満足を得られるのか知るべきだとおもう。
そうしてそれを追求したとき、自分の中でこの世界を見る目が変わる。
世間では、自己満足で終わる人は相手の事を考えてないとか言われたり、他人を批判するときに使ったりと自己満足に対してあまりいいイメージがない。
そして時に人は言うだろう。
自分は特にこれと言って欲がないから自己満足とは関係ない、と。
しかしそんなの自分などただの虚像でしかない。
そういう人は「欲がない自分」であることに自己満足を感じているのかもしれないし自己満足などしないことに自己満足をしているのかもしれない。
そう考えたとき、この世には自己満足と関係のない出来事など存在しない。
ボランティア精神や自己犠牲の精神もすべて偽善的行為でしかない。
他人のため、友達のため、家族のため、どう体裁を整えたところで結局は自分のためである。
そうやって他人に、愛する人に、自然に、弱きものに手を差し伸べているようでそれは自分自身を満足させるための行為でしかない。
自分の為なんかじゃないと抗議する人もいるかもしれない。
だけどそれのなにが悪い?
自分の為だろうが結果的に他人の助けになっている。
それに自分の為だと考えた方が心を保ちやすい。
結局、人は自分のためにしか生きられないのだから。
それを自覚し自分に正直に生きるべきだと、そう思う。
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