森山帖

宝生実里

序 森閑たる童子

 静謐せいひつな森の中、青葉は陽の光に透けて柔らかに揺れていた。木漏れ日は丈の低い草の這う地面に薄く濃淡を掃く。春を仕舞い夏を迎えんとする木立には姿の見えぬ鳥の声が響き、小さな虫が蔦の巡った大樹の幹をのんびりと動いていた。


 不意に微風そよかぜが吹いて、木陰の薄闇から立ち現れたのはもやだった。長閑のどかな森に不似合いな暗灰色のそれは、音もなく渦を巻きながら木々の間を駆け抜け、やがて一つの細長い形をとって静止した。徐々に凝固し、ある一瞬に水滴が落ちたかのような波紋が全体に広がる。

 刹那の間に、靄は佇む人──少年の姿となっていた。


 緑がかった黒髪が木漏れ日に艶めく。陽に透かした青葉と同色の薄衣うすぎぬ、身につけているのはそれだけで、他に容色を飾るものは何もない。

 規則的な鳥の声に少年は上を向いて、ある枝に一瞥をくれた。丸く大きな瞳に土鳩の影姿が映る。しかしそれも一瞬のことで、少年はすぐに興味を失ってさる方角へ目をやった。


 ──誰かが死ぬ。


 予感があった。そしてその予感は外れる類のものではないことを、少年はよく知っている。

 白い裸足が一歩、また一歩と小さく動き始めた。踏み倒された草花は、吹きかける微風ですぐに元の姿となる。北に向かった少年の姿は再び靄となり、木々の狭間に溶けた。あとには何も残らない。

 はじめから誰もいなかったように、森の山は再び静まり返った。

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