第10話 新人配属日の隠れ家イタリアン 上

 修羅場と化した本決算作業が一段落ついたGW前。

 俺達の総務部にも新人さんが配属された。

 

八月一日ほずみさちです。本日より、総務部配属になりました。よろしくお願いします!」


 緊張した様子で八月一日さんが頭を下げる。

 みんなで拍手。……俺も二年前はこんな風だったんだよなぁ。

 懐かしく思っていると、石岡さんが指示を出した。


「それじゃ、八月一日さんの席は篠原の隣だから。篠原! 可愛いからって、手を出すんじゃねーぞ?」

「人聞きが悪い。八月一日さん、よろしく」

「よろしくお願いします! 篠原さん!」


 眩しい笑顔だ。

 元気があってよろしい。

 早速、席に座った八月一日さんに話しかける。


「えーっと……当たり前だけど、経理の仕事はしたことがないよね?」

「は、はい。一応、簿記は一級を持ってます」

「一級……」「一級……」


 俺は思わず呻き、目の前の石岡さんも呻く。

 うちの会社で簿記一級とか持っているの、総務部長だけなんじゃ……。

 どうやら、うちに配属された新人さんはとても優秀な子らしい。


「? 篠原さん?? あの……」

「ああ、ごめんごめん。それじゃ、午前中はまず簡単な経理伝票を切ってみようか。簡単かもしれないけど、まぁ、肩慣らしで」

「はい! 頑張りますっ!」


 新人の女の子はやる気十分のようだ。よろしい。

 俺は自分のPCを立ち上げながら、伝票を作るための引き落とし金額が書かれた請求書と伝票フォームを彼女へメール。


「とりあえず、それで作ってみよう。分からないことがあったらすぐに聞いていいからね。あと、電話にも出てみようか」


※※※


「お……もう、お昼か。篠原」

「分かってます。八月一日さん、飯に行こうか」

「…………はい」


 朝の様子と打って変わり、落ち込んだ様子。

 いやまぁ……配属初日だしなぁ。

 彼女を連れ、ビルの外へ。

 十二時よりも少し早いので、まだ人通りは少ない。これなら、あの店にも入れるかな?

 振り返り、声をかける。


「八月一日さん、食べれない物とかある?」

「あ……何でも、食べられます」

「なら、とっておきの店に行こうか。ちょっと入り組んでいるから、はぐれないように着いて来て」

「は、はい」


 会社前の横断歩道を渡り、路地裏へ。

 うちの会社ある地域は、東京でも一等地と言っていい場所だけれど、未だに古い建物も多く残っている。

 また、そういう店の中には、あまり知られていないながらも、美味い店も多いのだ。この前、四月一日と一緒に行った中華屋とか。

 迷路みたいな路地を進み――見えてきたのは、白い建物。入口には何故かイタリア国旗。

 八月一日さんが目を丸くする。


「こんな所にお店が……」

「あるんだよ。ここら辺って、探すと美味い店多いから、明日以降は探してみるといいよ。楽しいし。さ、入ろう」


 そう告げ、店の中へ。

 お客さんはこの時間でも多い。そろそろ、満員になりそうだ。

 顔見知りの男の店長さんから声がかかる。その後ろには今日のランチメニューが書かれた黒板。


「いらっしゃいませ。ごめんなさい、席が埋まってきているので、相席でも大丈夫ですか?」

「大丈夫です。今日も混んでますね」

「ありがとうございます。二階へどうぞ」


 狭い階段を上がり、二階へ。

 店員さんへ案内されて窓際の席へと俺達は向かい――


「お?」「むむ」「あ!」


 一人、旅行雑誌を読みつつ料理を待っている一見、綺麗なOLと目が合った。

 俺は無視し、八月一日さんを促す。


「どうぞ、座って」

「は、はい! わ、四月一日さん、失礼します」

「どうぞ~。可愛い後輩は大歓迎よ~。可愛くない篠原君は、かえれー!」

「どうして、そうなる」


 座り、置かれているメニューを開いて新人さんへ。

 ここのランチは千円きっかし。

 それでいて、合計四種類から選択出来、サラダ、パン、珈琲に、デザートも選択制と破格さ。なお、どれもとても美味い。

 八月一日さんは一生懸命選択中。


「ボンゴレ美味しそう……でもでも、カルボナーラも……あ、春野菜のパスタもあるんだ……。うぅ……選べないよぉ……」


 どうやら、この子の素はとても可愛らしい子のようだ。微笑ましい。

 そんなことを思っていたら、足に激痛。小声で抗議。


「っ! ……てめぇ」

「え? どうかしたの? ……鼻の下を伸ばして、嫌らしいっ」


 本日の大エース様は御機嫌斜めのようだ。訳が分からん。

 俺は八月一日さんに尋ねる。


「決まったかな?」

「あ、はい! ボンゴレとティラミスにします!! 飲み物は紅茶で。すいません、メニューを……」

「ほい。すいません」

「大丈夫。もう決めてるから」


 店員さんを呼び、ささっと注文する。


「彼女はランチCでティラミスと紅茶。僕はランチAでバニラアイスと珈琲で。珈琲の砂糖、ミルクはいりません」

「かしこまりました」


 注文を終え、水を一口。

 四月一日の奴は旅行雑誌を再び読み始めた。プライベートじゃない時のこいつは、案外と無口である。

 ……猫の肉球マークの付箋を打ちまくっているのは気にかかるが。

 俺は八月一日さんへ話しかける。


「さて、午前中の仕事、どうだったかな?」

「…………殆ど何も出来ませんでした。知らない勘定科目ばかりだし、電話の受け答えも出来なかったし、繋いじゃいけない電話の相手も分かりませんでした」


 しゅん、とした様子で素直に八月一日さんが反省する。

 ……うわぁ。俺も配属された当初はこうだったなぁ。

 前方から視線を感じる。そこ、五月蠅いぞ。黙って、出来る風の擬態をしてろ。まぁ、出来るのは本当だが。

 丁度、サラダとパンが運ばれてきた。

 俺はしょげている後輩を促す。


「食べながら少しだけ反省会をしようか。でも、大丈夫。誰だって、最初はそんなもんだから。みんながみんな、何処かの大エースさんみたいに、鋼鉄の心臓を持っているわけじゃないしね」

「……篠原君? それ、誰のことかしら?」

「あ、御自覚はおありで?」

「可愛くない後輩!」


 四月一日は俺をギロリと睨みつけ、サラダにフォークを、上品に突き立てた。 

  

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