第2話 決算期の牡蠣雑炊。卵とじ 下
「んじゃまぁ、乾杯――……と、言いたいところだが。営業一課の大エース、四月一日幸さんや。その手に持っているのは何かな?」
「え? キンキンに冷やしたグラスだけど?」
ぐつぐつと煮えている牡蠣鍋を挟んで向かい合い、いざ、ビール乾杯! となる直前に、こんな爆弾を投下してきやがるとは……。
俺は額を押さえ、微笑む。
「……OK。分かった。俺のは?」
「え? ないけど?」
「良し、出て行け!」
「えー。やーだー」
容赦なく判決を言い渡す。
けれども、四月一日は一切動じず、ビールを手酌で注いでいく。
ビール党ではない俺であっても、旨そうと思う光景だ。
溜め息を吐き、缶ビールを開ける。
目の前から笑い声。
「拗ねないで、総務の篠原雪継君♪ ちゃんとあるから☆」
そう言うと、四月一日は立ち上がりキッチンへ。
戻って来ると、後ろからグラスを置き、次いで俺の手からビールを奪う。
「おい」
「いーから、いーから。お疲れの総務さんを慰労してあげよう」
「…………」
背中越しにビールが注がれる。横顔は楽し気だ。
……不覚にも少しだけ、ほんの少しだけ、ドキリ、とする。
こいつ、外見は整ってるんだよな。
華奢だし、肌は綺麗だし、性格だって悪くない。……胸はとても残念だが。
四月一日が注ぎ終えたビール缶を叩き置き、自分の身体を抱きしめる。
「! 邪な考えの気配!! 雪継! 幾ら私が魅力的だからって、手を出したら通報するからねっ!!」
「……大丈夫だ。そこまで女に飢えてねーよ」
「…………それはそれで、むーかーつーくー」
バタつきながら、元の位置へ。
冷えたグラスを掲げ、
「まぁ」「一週間」
「「お疲れ! 乾杯!」」
グラスをぶつけ合い、ビールを飲む。
――うめぇ。
五臓六腑に染み渡る感じだ。
さてと。それじゃ牡蠣を――
「お? 取るものがなかったか」
「直箸で良いよー。雪継相手に今更、気になんかしないし。火はもう通ってるから、大丈夫――いっただきまーす」
あっさり、とそう言い放ち、四月一日が一番大きな牡蠣を次々と攫う。
まずい! 俺達の鍋は食べたもん勝ち。急がねば全部、喰われてしまう!!
意識を切り替え、俺も牡蠣に狙いを定め箸を繰り出した。
※※※
牡蠣鍋を突き、ビールを飲み続けること数十分。
具も少なくなってきた。
もう、既に――牡蠣の姿は鍋の中にはない。
残ったのは、俺が別皿で温存した数個のみ。
物悲しくなり、呟く。
「……牡蠣鍋は牡蠣を食べたら、牡蠣がいなくなる。世界の摂理だな」
「雪継、もう酔ったのー?? 高校時代もそういうこと言ってたよね」
「…………止めろ。古傷で死ぬ。死んでしまう。少なくとも、決算が終わってからにしろっ!」
「うんうん。雪継も立派な社畜だね★ 入社当初の、初々しくて可愛かった頃が懐かしいなぁ……『四月一日さん!』ってキラキラした目で私を見てたよね。…………それが、今じゃこうだもん。時間って、残酷だよね」
四月一日が頬杖をつき、俺を見つめる。瞳には嗜虐。……くっ。
――俺と四月一日幸は、高校の同級生だった。
が、大学へ進んだ俺と違い、この女は高校卒業と同時に働き始め――結果、同い年でも、社歴は此奴の方が長い、という事態となっているのだ。
なお、社員の給料が分かってしまう経理の悲しさ。
手取り額からしても、俺と営業のインセンティブが入る四月一日とでは天地の差がある。
……それでも。
「あー……今晩の鍋代は如何程で? つーか、この牡蠣高いだろ??」
「えー忘れちゃったー。ま、そういう細かい話はいいじゃん、別にー」
「…………」
四月一日はひらひら、と手を振る。
こうなってしまうと説得は困難極まる。高校時代とこういうところは全く変わってない。
仕方なく、俺は立ち上がりキッチンへ。
四月一日は炬燵の中でぬくぬくしている。
「雑炊ー」「食べる!」
間髪入れずの反応。
……この女、俺が動くのを待っていやがったな。
炊き立ての白米を皿に取り、冷蔵庫から赤玉を確保。
すくうためのお玉と、れんげも取り出す。
……そう言えば、何故、うちの家にあいつのれんげがあるのだろうか?
一瞬悩んだものの「雪継ーはーやーくー」と炬燵から声。今は、雑炊だわな
炬燵へ戻り、土鍋へ白米と卵を投入。菜箸で卵を広げる。この時点で美味そう。
さて、俺は牡蠣を――……四月一日が皿から牡蠣を投入。
目の前の女を睨む。
「……四月一日幸さんや。俺の牡蠣を何故、お前側の鍋に入れていやがるんだ?」
「篠原雪継君は優しい人ですよね。私の為に牡蠣を残しておいてくれるなんて!」
「お前はさっき、ばくばく食べただろうがっ!?」
「それはそれ! これはこれ! 返してほしかったら、私の言うことを聞きなさいっ!」
「くっ! か、牡蠣を人質にするとは……鍋好きとは思えない所業! 恥をしれっ!!」
「ほっほっほっー。痛くもかゆくもないわー。あ、そろそろ良いかもー。お茶碗とお玉、貸してー」
「おう」
四月一日は自然な動作で俺の茶碗を手に取ると、雑炊をよそってくれた。中央には大きな牡蠣。やっぱり、鍋の〆はこれだわなー。
熱々の雑炊を食べながら、尋ねる。
「で? 何をしてほしいんだ?」
「あ、聞いてくれるんだ?」
「無理無茶じゃなければな」
「部屋を真っ暗闇にして、丑三つ時にホーラーゲームは?」
「…………そうしたら俺は鍵を変える」
「そうしたら私はそれを解いてもらう! 業者さんに!」
「誇るなっ! まー言ってみな」
四月一日が両手を合わせてはにかむ。
……やっぱり、こいつ可愛いんだよなぁ。
「えーっと、ね」
――結局、食べ終わった後、俺は自分のPCにFPSゲームをダウンロードすることとあいなった。
四月一日曰く
『だって、一緒にやった方が面白いでしょ? 声で連携が取れれば――次は勝てるっ!!』
……俺の家でゲームをやるのが前提になっているんだが、それはいいのだろうか。
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