壊れかけた淑女、ルビア

 地面に四つん這いになっている女の前で俺は腕を組み、コイツの処遇について考えていた。あれからこの国を探し回ったが、生き残りはこの女だけだった。だが何かを訪ねても、ワン、クーン、としか言わない。確かにひどい惨状だが普段なら別に気にすること無くこの女を適当に犯し、ヘイトを溜め先へ向かうところだった。だが……。


「エルフの村に行ったせいだな、これ」


 長らく触れてこなかった、触れようとしなかった人の情、温もり、そういったものを久しぶりに与えられたせいで以前のように嫌悪感を抱かせることが出来なくなってしまったようだ。見捨てようとする足が一歩も動かない。これから先が思いやられる。

 空を仰ぎ目をつむり、深く息を吐いて、決心した。


「女、残酷な事を言うが俺はお前を殺さない。生きろ」

「クーン?」

「ここから元の自分に戻るのがどれだけキツイのか、死んだほうが多分楽だと思う。でも悪いけど決めたから」

「ワン!」

 俺の正直で独善的な気持ちを伝えると女は少しだけ感情をこもった眼をした。さて……まずは服を着せるところからだな。


 服を着させるまでは良かったのだが四つん這いをやめさせようとして、いきなり躓いた。四つん這いから座らせようとしたり、別の姿勢に移行させようとするとそこで金縛りにあったかのように動きを止めてしまう。どうやらユキの調教とやらのせいでペットとして以外の行動を取ろうとするとトラウマが蘇ってしまうようだ。また、トイレにも誰かの許可が要るようで女が眼と顔で訴えてきていたが気づかないでいると漏らしてしまった。その後すぐにトイレは自由にしていい、という命令を何度も言って覚えさせた。そして風呂も俺が洗ってやらないと無理なようで一緒に入って体を洗ってあげた。


「ゆっくりでいいんだ。ゆっくりと戻ればいい。」

「ワン……」

「ワンじゃない」

「ううう!」

「唸るのも違う」

「クーン」

 先は長い。


 しばらくしてそういえば名前を一回も言っていないということに気がついた。

「お前、名前は?」

「あ、わ、ワン……」

 徐々にではあるが人語を話せそうにはなってきている。だが意味のある言葉はまだ言えないようだ。

「しょうがない。暫定的にお前の名前、というか愛称を付けてやるか」

「ワン!」

 女は嬉しそうに返事をする。大分感情も良くなっては来ている。つってもネーミングセンスねえからな俺。恨むなよ。

「そうだな……綺麗な金髪だから、ブロンド……ルビア……ルビア。よし、今日からお前をルビアと呼ぶ」

「アオーン!」

 テンションが上りすぎて少し動物に戻ってしまったようだ。


 またしばらくして、今まで口だけで食べていたのにルビアはご飯を手で食べられるようになった。

「凄いじゃないかルビア。後は食器を使えること、だな」

「あ、う、ばる」

「おう、頑張れ」

 コミュニケーションも取れるようになってきた。頭を撫でると嬉しそうに目をつむりなすがままにされる。経過は順調のようだ。


 更にしばらくして、風呂を一緒に入るのが恥ずかしい、と思うようになったようだ。

「も、もう、一人で、入れます……」

「本当に大丈夫か? 溺れないか? 何かあったら大声で叫ぶんだぞ」

「だ、だいじょうぶ、ですから」

 心配なので一応風呂の前で待つことにする。しばらく待つが特に問題ないようだ。そして扉が開き、

「お、本当に大丈夫だったか」

「あ、ああの、しんぱい、ありがとうござい、ます。でもあ、あっちいいいいって!」

 顔どころか全身が真っ赤になっていくところが見れた貴重な瞬間だった。


 それからしばらくして、この国から魔王軍が撤退していったという情報が流れたのだろうか、ポツポツと旅人が訪れるようになった。だが城下町は荒廃しており店も人も何も無い状況なので城の空き部屋を利用して宿屋とした。食料は城にあった在庫と、定期的に俺が調達することによって何とかしている。当然店主はルビアだ。俺が姿を見せるとユキを倒したのが俺、とかこの城を立て直そうとしている、とかいらん噂が立ちそうだし。


「いやーこの食事とても美味いよルビアちゃん!」

「そうそう、愛情が感じられるよ!」

「また今度来るからね!」


 と、男の冒険者達はルビアの虜だ。まあ仮にも王族だし、気品に溢れている美人な子が一生懸命働いている姿は男連中には効くだろう。でもその食事を作ったのは俺なんだが。


「は、はい! またお、お越しください!」


 と、ルビアは礼儀正しく、一生懸命にお辞儀をしてぎこちないながらも微笑んだ。一時を思えば今のルビアの姿は信じられないだろう。だが、元に戻ってくるにつれて問題も浮上した。

 一日の仕事も終え寝る時間、部屋をノックする音が響いた。


「あの、フユキさん。今日もいいですか……?」

 ドアから恥ずかしそうに顔を出しこちらを見てくるルビア。

「気にするな。俺からすれば約得だしな」

「そ、それでは、失礼します……」

 そう言ってベッドに入ってくるとルビアは俺に抱きつき涙を流す。

「ご、ごめん、なさい、こわ、いんです。急にあの日々が、蘇って。家族が、皆が、ごめ、んなさい、お母さん……」


 日中明るい時は大丈夫だが暗くなると良くフラッシュバックをするようになった。一番多いのは寝ているときで、その時は一緒に寝るようにしている。最初の頃は発狂して泣き叫び、俺の言うことも何も認識してくれなかったが徐々に良くなってきた。今ではしばらくの間涙を流し、なにかに怯えた後、頭を撫でてやると安心した顔つきで眠りに落ちる。表面上は元に戻ったが、まだまだのようだ。


 そういえば、ルビアは俺がなぜ助けているかとか、俺の過去とかを聞こうとしない。正確には聞きたそうにしているときもあるのだが言葉には出さない。まあ聞かれても絶対言わないけどさ。


 俺はルビアを助けているようで実は助けられている。ルビアに頼られて必要とされるたびに俺の心の安寧が保たれる。最初ルビアを助けると決めた理由はそれでは無かったのだが、いつの間にかそれが理由になりつつある。そんな事恥ずかしすぎて言えるはずもない。


 ある時ルビアの本当の名前って何だろうと思い、

「そういやルビア、お前の本当の名前は?」

 そう聞くとルビアは呆気にとられた顔をした。

「いや、本来の名前だよ。あるんだろ?」

 だがやはりルビアはあまりいい表情をしなかった。

「元の名前を名乗ると、その、色々思い出してしまいそうになるので……私はこれからもルビア。それではいけないでしょうか?」

「お前がそれでいいって言うなら別にいいさ」

「はい! 私はルビアです! フユキさんに頂いたこの名前、これからも私は大事にしていきます!」

 ただの金髪って言う意味しかないんだけどな……ま、気にいってるならいっか。


 しばらくして食事も作れるようになり、もはや俺なんかよりもよっぽど上手くなって、いつの間にか女性冒険者の間でもルビアの宿屋が知れ渡るようになると隣国から使者が訪れた。従者を何人か引き連れた偉いやつのようで、綺麗な赤髪、でかい胸、何処かで見たことがある女騎士だった。


「ってイーナかよ!」

「お知り合いですか?」


 ひとまず隠れて、お茶の準備があるとルビアに言わせ面会まで時間を空けさせたがどうしよう。

「ルビア、もう一人で対応できるな?」

 俺がそう言うとルビアは不安げな眼をして、

「フユキさん、正直に言うとまだ恐いです……。できればいつものように後ろで控えて欲しいです」

 そう言って申し訳無さそうにこちらをうかがってくる。いつもは、例えば宿屋の仕事の際にはカウンターの奥で俺が食事の準備やら何やらで控えていた。商人たちが商談に来た時も、パーテーションのようなものを作りその後ろに控えていた。


「しょうがない。いつものようにいくか」

「はい!」


 本当に良い笑顔をするようになった。これまで見ていて辛すぎて何度か挫けそうなことがあったけど、良かったな。


 イーナが従者を連れて入ってきたようだ。俺は壁の奥に控えている。

「はじめまして、私はボルツ国の将軍のイーナと申します。まず初めに謝罪を。今回貴国が魔王軍に襲われた時、援軍要請を受けましたが我が国がそれを拒否したこと、それから今回訪れるのが遅くなったこと、これらについて深くお詫びします」

「ああ、立って下さい! それに私は気にしていません。言葉は悪いですが、援軍に来て頂いても貴国の兵士を無駄に死なせるだけだったでしょう。あれは災害のようなモノです。」

 

 壁越しだからどんな格好をしているのかはわからないが、結構な格好をしているのだろう、俺の国だと土下座レベルの何かを。しかしイーナの国は援軍拒否したのか、ちょっと以外。まあその時はイーナは副隊長だっただろうし、イーナの意志は上には届かないか。

 そしてルビア、ちょっと声が震えている。耐えるんだ、と思っているとそこに従者である男の声。

「ルビア様、イーナ様は何度も訪れようと上申したのです。しかし上の連中が鈍く……」

「トルスト、黙りなさい」

「……はっ」

「いえ、魔王軍幹部の支配していた国です。しばらく様子を見るのも当然のことです。」


 ん? トルストという男は上の連中が気に入らないみたいだな。そしてイーナをフォローしようとした、そんな良い奴俺が潰した連中にいなかったと思うが……いつのまにかイーナは副隊長どころか将軍になってるくらいだし、色々あったんだろうな。

 そして少しルビアの様子がおかしい事に気付いたのだろう。イーナは先程よりも明るい声で、

「ルビア様、そんなことよりもこちらお土産です」

 流石はイーナ、気を使ってくれたようだ。ありがたい。


「え? 宜しいのですか」

「どうぞ開けてみて下さい!」

「何でしょう……? これは……香水ですね! 素敵です!」

「ええ、今貴族の中で流行している一品です。よろしければ」

「とっても嬉しいです! ありがとうございます!」


 本当に嬉しそうにお礼を言うルビア。それは大変結構だが今は外交中だぞ、感情をストレートに出すんじゃない全く……ありがとうイーナ。


「それをつければ意中の男性も虜に出来るって噂もあるんですよ!」

「え! ほ、本当ですか……?」

「あらあら、誰か想い人でもいらっしゃるのですか?」

「いえ! そ、そんな人はいません!」

 だから、外交中。


 そうしてしばらく話が進む。どうやらこの国の復興を支援してくれるという話のようだ。代わりにイーナの国の属国扱いとなるがしょうがないだろう。だがルビアはかなり悩んでいるようだ。しばらくの間黙り、思考し、最後には承諾した。

 話は終わり一件落着かのように思えたがイーナは突然、

「しかし、魔王軍の幹部が倒されるとは一体どこのどなたが?」

「それは私にも分かりません。私が気がついたら倒されていたので……」

 事前に口裏を合わせていたことをルビアは言うと、

「そうですか……。ところでルビア様、黒い悪魔ってご存知ですか?」

「く、黒い悪魔? い、いえ聞いたこともありません!」

 そう言えば俺の正体とか何でルビアを助けているか、とか何も言っていなかったけどルビアの口ぶり……俺が黒い悪魔って知ってたのか、いつの間に。

「ルビア様、二人きりでお話したいことがあるのですが宜しいでしょうか?」

「ええ、構いませんが……?」

 イーナは従者たちを部屋の外に追いやった。分厚い壁と扉で防音はバッチリだから中の会話が漏れることはないが一体。

「さて、フユ! いるんでしょ? 出てきなさい!」

 やっぱバレてたか。結構ガチで気配消していたつもりなんだけどな。

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