32.どこをどうすればそうなるんだ
※ 視点、人称:黒崎章彦、一人称
※ 時間軸:本編「二人で歩む道」28.完璧な世界(智也のトラストスタッフ訪問)の後。
しん、と静まった社長室。
午前中に提出された報告書を読み込み、漏れや間違いがないかチェックする。
俺のところに来る前に葉月君が目を通しているから大丈夫だとは思うけど。
きりのいいところまで読み終えて、ふぅっと息をつく。
やはり葉月君のチェックは完璧だな。
葉月君といえば、よく忍者みたいに神出鬼没だと言われているし俺もそう思う。
「おるか? とか言ったら」
「はっ、ここに」
とか言って俺が気づいてないうちに背後に――、って!?
ありえない声がした方を見ると、葉月君がいたずらめいた笑みを浮かべて立っていた。
「なんでいるんだ」
驚きのあまりそれしか言葉が出てこない。
「ノックしましたよ? 社長は集中すると没頭しすぎることがあるので気を付けてくださいと何度か申し上げたと思いますが」
あのタイミングで「おるか?」の台詞がなければ後ろから脅かそうと思っていた、と彼女は言う。
いや、返事があったからよけいに驚いた、とは悔しいから言わないでおく。
しかしいくら書類に集中してたからって全く気配がつかめなかったとは、こうなってくると本当に忍者みたいだな。
葉月君は父の代から
諜報活動をしながら父の「裏側」の秘書めいた感じの仕事をしていたから、引き続き俺の秘書もしてくれている、と言った感じだ。
潜入捜査にも長けていて、長い間潜伏している時もあるからずっと秘書業をやってるわけではないのだけれど。
彼女と初めて会ったのはまだ俺が諜報界の勉強として前の会社にいる時だったな、と懐かしく思い出してると。
「社長。一つ訂正しなければならないことがあります」
「ん? なんだ?」
「新庄さんにおっしゃっていた、潜入捜査の最長期間ですが、あれがわたしのことを指しているのなら潜伏期間は五年ではなく八年です」
「そうだったか。そりゃ申し訳ない」
その期間内にこの人に助けられたこともあった。
今その回想をしてると日が暮れるからやめておこう。
「あともう一つ報告が」
「どうぞ」
「社長とわたしの不倫説が大阪支社でささやかれています」
へー、って、なんだって!?
「どこをどうしたらそうなるんだっ?」
「全くの謎ですね」
平然と淡々と応えてるけど君はそれでいいのか?
「ってかその報告の方が訂正より先に来るだろう普通」
「衝撃的な報告の後に潜伏期間の訂正をしても社長の意識には残りにくいでしょう」
そうかもしれないが。
「噂をすぐに鎮静化させる手段はありますが実行してよろしいでしょうか」
「どんな手段だ?」
「社長がいかにご家族を大事になさっているのかを知らしめるのです」
「どうやって?」
「女子社員のグループメッセージにちょっとしたエピソードを流してあげれば自然と広がりますよ」
ふん、まぁそうだろうなぁ。
「それじゃその辺りのことは任せた。あんまり過激なのは勘弁してくれよ。妻に迷惑はかけたくない」
「そうですね。奥様の耳に入れば社長も無事ではいられないでしょうし」
なんだよその妻のラスボス感は。
まぁあながち間違っちゃいないが。あいつを怒らせるとやっかいだ。
葉月君がどうやって噂を鎮静化させるのか少し楽しみでもあるし、ここは彼女に全て任せるとしよう。
葉月君の報告から一週間。
噂はおさまったみたいだが、女子社員の俺を見る目がなんだか、なんていうか、何かをかわいがるような目で見られてるような気がする。この感覚が正しいとするなら理由は間違いなく不倫の噂に対抗するように流した噂だろうが、葉月君は一体どんな手をうったのか。
「なぁ、女子社員に流した噂ってどんなのなんだ?」
社長室にやってきた葉月君に尋ねてみた。
「社長がいかに奥様一筋かという話ですよ」
「具体的には?」
「奥様はどうやら愛情たっぷりのキャラ弁を作られているらしいということと、社長がそれを笑顔で食された、ということですね」
……それぐらいの話ならなんであんなほほえましいものを見る目で見られるんだ。
それに。
「それ発信源が君に限られるじゃないか?」
「社長室の外から隠し撮りした写メがあるので大丈夫です」
いつの間にっ。
「仲のいい子に頼んで自分が撮ったふうにしてもらったのでわたしが情報源とは判りません。あ、口止めもしっかりしてあるので大丈夫です」
うん、抜かりないな。
けど、なんだ、この、何かに負けた感じがするのは……。
本当に、何がどうしてこうなったのやら……。
「社長は厳しい怖いイメージばかり先行するのでこれぐらいの茶目っ気のある噂が流れていてちょうどいいのかもしれませんよ」
葉月君がにっこり笑ってる。こんな顔をするのは珍しいな。
はっ、まさかっ。
最初から彼女が仕組んだなんてことは?
優秀な秘書にして超優秀な諜報員の顔をいくら見つめても真相は出てこないし、改めて尋ねる勇気は、俺には、なかった……。
(了)
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