60.必ず守れ

 黒崎さんに会いたいとメールを出してから一週間後に会えることになった。

 返事は次の日にもらっていた。



『申し訳ないが、大阪に行くのは早くて来週になる。大阪支社に寄った時に話を聞こう』



 このメールで思い出したけど、トラストスタッフの本社って東京だった。

 紗由奈の浮気疑惑の時もこの前も、黒崎さんが大阪にいたからすっぽりと頭から抜けていた。紗由奈と一緒に行った潜入捜査の時も社長からの指示だって言われてたから気にしてなかった。


 じゃあ、紗由奈は就職したら東京本社で勤務なんてことも、もしかしたらあるかもしれないんだ。


 いや、それだけじゃないぞ。


 僕はトラストスタッフの企業サイトを見てさらに知ってしまう。

 日本だけじゃなくてアメリカにも支社があるんだ!

 更に離れてしまう可能性が広がってしまった。


 そんなこんなでひそかに悩んだ一週間が過ぎて、黒崎さんに会いに行く日にはなんだかもう疲れがたまっていた。


「なんだ? 疲労困憊って顔だな。何か大変なことに巻き込まれたか?」


 社長室で僕の顔を見るなり尋ねてきた黒崎さんの方が疲れた顔をしていると思う。前に会った時は精悍そうな鋭い目つきだったのが、目つきはそのままに消耗したって感じになってる。


「黒崎さんこそ、お疲れのようですが」


 指摘に黒崎さんは頭をくしゃりとやった。


「最近十分に寝てなくてな。さすがにこの歳になってきたら寝不足がきつくなってきた」


 そういえば黒崎さんっていくつなんだ? 見た感じは三十代後半ぐらいだけど。


「歳か? 三十半ばだ」


 ほぼ見た目通りだった。


「しかし、君は本当に考えが顔に出るな。ある意味うらやましい」


 黒崎さんは笑ってるけど、楽しそうな笑い方じゃないな、と感じた。


「どういう意味ですか?」

「俺がなんで諜報部のある会社の社長になったか、知ってるか?」


 首を横に振る。


「まぁそうだろうな。けどこの世界じゃ有名な話でな」


 彼は軽く自身の過去に触れた。

 元は孤児だったこと。当時現役だった先代の社長の養子になって育てられて、後を継ぐよう期待されていたこと。

 そして、周りの目を気にして、ほぼ誰にも心を開けなかったこと。


「他人に対してキツくなっちまったのは自業自得ともいえるけどな。若い頃は全部周りのせいにしてたな」


 懐かしそうに微笑む黒崎さんは、もうその手の問題は克服したんだろうな。


「別に強要されてたわけじゃないけど、俺は養父の期待を裏切るという選択肢はないと自分で自分に枷をはめていた。君は自由意志でこの世界に関わろうとしてる。他に選択もあるんだ。気が変わったら就職する前にそう言うといい」


 ……あれ? 僕まだトラストスタッフに入りたいって言ってないけど。


「考えが顔に書いてあるようなもんだ」


 そんなに判りやすいんだ……。

 がっくりうなだれた僕に、黒崎さんが種明かしをした。


「赤城君が怪我をして、君が話があるとメールを出してきた。顔を見なくても予想はついていた。前も言ったように君は諜報員には向いていないが、サポートする役割には向いていると思う」


 ちょっとだけほっとした。


 黒崎さんは、僕が目指すべき部署のことや採用試験までに勉強しておいた方がいいこと、取得を目指す資格を教えてくれた。


「ありがとうございます。でも、どうしてそこまで……」

「青田買いってヤツだな。まぁ試験は受けてもらうからちょっと違うが。それだけ君には期待してるってことだ」

「僕に、期待」


 信じられない。

 今まで誰かに期待されることなんて、それも社長さんに、そんなこと一度もなかった。


「人事部IT課は、まさに会社の中枢と言える。頑張ってくれ。あと、赤城君のことも頼む。彼女は少し無茶をする嫌いがあるからな。君がいいストッパーになってやってくれ。……守りたいと思ってこっちを目指すなら、必ず守れ」


 あ、なるほど。

 期待されてるのはそこなんだ。

 極めし者の諜報員は貴重だから、紗由奈に近い僕がサポートをしっかりやって戦力確保してくれってことなんだ。


 望むところだ。


 黒崎さんの厳しいけれど優しさのこもった目に、僕は力一杯うなずいた。

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