31.最高の殺し文句
僕の顔を見て、本当に紗由奈は安心したような力のない笑顔を浮かべた。
「よかった、ともくんやっと笑ってくれた。今回のことで本当に実感したよ。わたし、ともくんに嫌われるの、すごい嫌。自覚してる以上に、すっごいともくんのこと好きだったんだ」
ちょ、ちょ、ちょっ。
うわわわわっ。
ナニコレ、嬉しさに殺される。
「僕の方こそ、好きなのは一方的に僕の方だけなのかもって思ってた。元々僕から好きって言い出したんだし、紗由奈に好きって言ってもらったこと、初めてだし」
「えっ、言ったことなかった?」
「うん、はっきりと聞いたの今が初めて。態度ではなんとなく感じることはあったけど」
「ごめんね不安にさせちゃって。これからはもっと積極的に気持ち伝えるから」
僕らは顔を近づけて手を取り合って、涙を浮かべながら笑った。
「……おまえら、他人の前でよくやるよな」
冷ややかな声に、がんと頭を殴られたかのように僕らは目を見開いた。
「あっ、すみません」
「つい感動して」
僕らはテーブルに身を乗り出して手を握り合ったまま黒崎さんに顔を向けて謝った。
「ま、ゴタゴタが片付いたならそれでいい。俺はもう帰るぞ」
黒崎さんはすっと立ち上がった。
「もしかしてまだ捜査の続き――」
「あぁ。けどここからはバイトの出番じゃない。せっかく誤解が解けたんだから仲良くやってろ」
黒崎さんは真顔ですごいこと言った。
顔に血が集まるのが判る。
紗由奈も真っ赤になってった。
モジモジと見つめあう僕らを残して、黒崎さんはさっさと部屋を出て行った。
「ほんと、ごめんねともくん。まさか写真撮られてるなんて思わなかった。それ知ってたら捜査の内容とかもある程度話して、ともくんが不安がるようなこともなかったのに」
「でもそれはあの黒崎って社長さんも気づかなかったんだろう? 仕方ないよ。僕の方こそ、信じきれなくてごめん」
「それもこれも、竹中が悪い」
ここだけはきれいにハモった。
僕らはやっと、いつもみたいに笑いあえた。
この数日間の重苦しさも、過ぎてしまえばどうってことない。
けど、もうこんなことのないように、紗由奈は潜入捜査とかの内容を軽く話すと約束してくれた。
僕も、疑問に思ったことは一人で悩まずにまず紗由奈に話すことを約束した。
付き合い始めてから今まで何のトラブルもなかった僕らが初めて直面した大きな危機を乗り越えたことで結束が強くなった、と思いたい。
一通り話し合ったらその後は、お茶を飲みながらまったりとした。
「一時間前は別れ話になるんだろうなって覚悟してたのに、よかった、浮気でもハニトラでもなくて」
「わたしがハニトラで黒崎さんとホテルに入ってたって可能性も考えたの?」
「なにせ前に山下さんに仕掛けられた記憶が強烈過ぎて」
一般人ですら使ってくる手だからバイトとはいえ諜報員も使うよなと考えた、って言うと紗由奈はなるほどね、って笑った。
「大丈夫。わたしこれからもバイト続けるけど、ハニトラは絶対、絶っっっ対、使わない。わたしにはともくんだけだから」
ともくんだけ……。
なんて甘い響きなんだ。最高の殺し文句だ。これだけで永遠に戦えるよ。
カノジョがそこまで言ってくれてるんだ。僕だって殺し文句の一つぐらい、言えるぞ。
紗由奈を抱きしめて耳元でささやく。
「もう遅いし、今夜、泊ってく?」
全身から絞り出した殺し文句に紗由奈は甲高い奇声を発して、僕を思いっきり突き飛ばした。
後ろにひっくり返った僕は後頭部をしたたかに打ち付けて、ノビてしまった。
どうやら彼女は嬉しすぎて瞬間沸騰して突き飛ばしたらしいと知ったのは次の日の朝だった。
まさか自分もリアルで殺されかける殺し文句だとは思わなかった。これからは使いどころを気を付けないと。
(浮気? ハニトラ? 了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます