51.見えない壁

 八月の夜八時は、ようやく夜になったという感じの暗さで、しかもホテルの近くだとネオンがきらびやかで、張り込みの場所に困る。


 ホテルの周りをうろうろと回って、隣の建物との間からこっそり入り口を覗くことにした。

 ホテルの周辺にはちょっとした植え込みがあって、木のうしろに隠れやすい。


 入口を見張るのは三十分ぐらいでいいか。

 これを一週間続けて、紗由奈が来なかったら彼女はシロということにする。


 最初の日は、何もなかった。

 次の日は紗由奈からデートに誘われた。

 昼間に映画見て、夕食はファミレスで食べた。

 いつも通りのデートだ。彼女に変な様子はない。


「ともくん、何か心配事?」

「えっ? 何もないよ」

「そう? なんか元気ないから」


 そりゃ浮気されてるかもしれないんだから。


「そんなことないと思うよ。あ、ねぇ、前言ってた『お仕事』片付いた?」


 咄嗟に変えた話題が核心へと跳びこむものだった。


「まだだよ。明日あたり、もう一度行かないといけないみたい」


 明日……。

 あそこへ、もう一度行くってこと?


「ともくん? なんか怖い顔だよ」

「いや、やっぱ、気を付けてほしいなって」

「大丈夫だよ。心配してくれてありがとね。やさしいなぁともくんは」


 嬉しそうな紗由奈の笑顔。

 でもなんか、見えない壁が僕らの間にあるように感じる。

 すごく苦しい。


 このままじゃ駄目だ。明日はっきりさせよう。




 次の日、午後八時前。

 僕は一昨日にも身を潜めてた植え込みの後ろで、ホテルの入口を見張った。


 どうか来ないで。

 あれは竹中の嫌がらせだったんだ。

 なにせ根も葉もないうわさを流す男だから。

 そうだ、そうに違いない。

 なんでもっと早くその可能性に気づかなかったんだ!


 じりじりと時計の針が進んで、だんだんと余裕が出てきた。

 けれど。


 ホテルにカップルが近づいてくる。

 女性が男性の腕に自分の腕を絡めて、親しそうに歩いてくる。

 その二人が、あの写真の二人だと気づくのにそう時間はかからなかった。


 紗由奈、どうして?

 その男、誰?

 飛び出して行って聞きたかった。

 けど、僕にそこまでの力は出なかった。


 ふと男の方がこっちを気にするような仕草をした。

 慌てて体ごと引っ込める。


「あれ? どうしました?」

「なんでもない、行くぞ」


 紗由奈のいつもの冷静な声と、知らない男の冷たそうな声。

 そっと顔を出すけどもう二人はいない。ホテルに入ってったんだ。


 頭がガンガンする。目の前が暗くなる。

 けれど僕はまだ悪あがきをしている。


 僕と水瀬さんの時みたいに、入り口だけで部屋の中には入ってないかもしれない。

 そうだ、捜査って言ってたし、中に入ったとしてもちょっと調べて帰ってくるだけかも。


 早く出てきて、早く。


 でも願いもむなしく、待っても待っても二人は出てこない。

 三十分ぐらい経ってたかな、正確な時間は覚えていないけれど、僕は立ち上がってどうにか家へと帰った。

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