第十一話 エピソードタイトル未定[0.1版]

「腫れは随分引いてきたね。あざとしてしばらく痛々しい色が残るかと思うけど、綺麗に消えるよ」

 泥湿布を外して患部を見ながら、千歳チトセさんが明るくそう告げる。

 俺は、息のかかる程の距離に寄せられた千歳チトセさんの顔に緊張しまくっていた。さっきちょっと息を吸ったら、花のような良い香りがした。良い香りだった。良い香り──いかん! そんな事したら変態──じゃない! 千歳チトセさんに失礼じゃないか!

 思わず俺は息を止める。

 結果、自分の肺活量の限界に挑戦させられた。


 俺と清輝キヨテルがいた茶屋の腰掛の所で、千歳チトセさんが俺の傷の具合を見てくれていた。

 まぁ、俺が聞いたからなんだけど……

 千歳チトセさんは茶屋の主人に断って腰掛に診療道具を広げ、その中から既に作られていた泥湿布を取り出して、丁寧に俺の傷に新しく貼り付けてくれた。

 その手際の良さに改めて感心してしまう。慣れてるよなぁ。

 湿布の貼り直しが終わって千歳チトセさんが身体を離してくれたので、やっと息がつけた。千歳チトセさんにバレないように、なるべくゆっくり深呼吸した──つもりだったけど

「息止めてたの? そんなに緊張しなくても痛くしないよ」

 そう千歳チトセさんが顔を柔和に崩して笑った。可愛い。

「あ、いや。つい……」

 俺は急激に顔に熱を感じて、どうしたらいいかと頭を掻いた。

 何か別の話題を、と思い慌てて脳内を探る。

「見事な手際ですね。女医さんのようです」

 俺があわあわとそんな言葉を漏らすと、ふと、千歳チトセさんの表情が動いた。

「そう? ありがとう。本当に女医さんならもっと良かったんだけどね」

 少し寂しそうに千歳チトセさんが零した瞬間、俺は失言に気が付いた。

 今の世、女性が医者になるのは酷く難しい。医者になるどころか、そもそも女性が学校等に通う事すら許されない事もある。特に地方ではそれが顕著だ。もしそれが許されたとしても莫大な金もかかる。何かの伝手つても必要だ。

 褒め言葉のつもりでそう言ったが、なりたくてもなれない人からしたらとんだ皮肉になってしまう。

「すみません……」

 俺は、自分の不用意な発言を恥じた。

「いえ、いいの。女医になれなくても、出来る事は沢山あるから」

 申し訳なさそうにする俺の気持ちを紛らわせるかのように、千歳チトセさんが朗らかに笑った。

 ……いい子だなぁ。千歳チトセさんて、本当に。


「もう大丈夫かな?」

 診療鞄の中身を片付けながら、千歳チトセさんがそう呟いた。

 帰ろうとしてる!

 しまった。清輝キヨテルから、千歳チトセさんをここで足止めしろって言われてた! もし引き止められなかったら俺が清輝キヨテルから詰められる。ありとあらゆる罵詈ばり雑言ぞうごんを浴びせかけられる!

 俺は慌てて別の話題を探した。

 連続昏睡事件の事でも構わないか。もしかしたら、診療所の所にいるハズの昏睡患者の事も、千歳チトセさんから聞けるかもしれない。

「あのッ! 他にも聞きたい事が──」

 そう千歳チトセさんに話しかけようとした時。


 少し離れた所から、何か重い物が地面を滑ったような音がした。


 驚いてそちらへと視線を向けると、通りのところでお婆さんが地面に突っ伏している姿が目に入る。

 転んだ? え? 大丈夫なのか? 結構な音がしたけど、もしかして手がつけなかったのか? 助けに行った方がいいのか?? でも、断られたら……

 俺がそう逡巡した瞬間──

「大丈夫!?」

 俺が動くより早く、千歳チトセさんがおばあさんに向かって駆け出していた。

 慌てて俺もその後に続く。


 地面からなんとか起き上がろうとするが上手く起き上がれないお婆さんに、千歳さんが手を貸して上半身を抱き起してあげる。

 その拍子に、少し血が地面にしたたった。

 よく見ると、お婆さんの土で汚れた口元から少し血が流れていた。

「大変!」

 その瞬間、躊躇なく千歳チトセさんが自分の袖でお婆さんの口元を拭う。

 それに気づいたお婆さんが、彼女の手に自分の手を添えて止めた。

千歳チトセちゃん……ダメだよ、着物が汚れちまう……」

「洗えばいいのよ、そんなの」

 お婆さんに構わず、袖で土と血を拭った千歳さんはお婆さんの手や膝をさする。

「他に痛いところは?」

「もう大丈夫……」

 少し弱々しい言葉で気丈にそう告げようとしたお婆さんだったが、立ち上がろうとしても立てないようだった。手で地面を押しても腰が上がってない。

 このまま指を咥えて見てるワケにはいかない。俺にだって出来る事はあるハズ。

「あのッ! 俺でよければ!」

 俺はお婆さんの前に背中を向けてしゃがみ込んだ。

 腕を後ろに差し出して、いつでも負ぶさられてもいいように構えた。

「そんな……少し休めば大丈夫さ」

「怪我してるんですから! 遠慮は無用です!」

 俺は気張って声を張る。もしかしたら、俺が頼りがいがなく見えてるかもしれなかったから。

 千歳チトセさんが、お婆さんの背中をそっと押す。

 すると、お婆さんはなんとか前へと這いずり、俺の背中へと倒れ掛かって来た。

 力の抜けた人間の身体ほど重い物はない。

 俺はしっかりとお婆さんの腰を支えて立ち上がった。打撲してまだ痛い膝にきたっ……

 しかし。千歳チトセさんの手前、そんな無様な姿はさらせない。

「どちらですか?」

 俺は肩越しにお婆さんにそう問いかける。

「おうちはアタシが知ってるから。こっちよ」

 足早に茶屋から診療鞄を持ってきた千歳チトセさんが俺の横に立ち、お婆さんの背中に手を添えながら先導してくれる。


 俺は導かれるまま、そのお婆さんの家へと向かっていった。

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