第九話 エピソードタイトル未定[0.3版]

「……寝てるというより……なんて言うんでしょうか。人が冬眠するんなら、こんな感じなんだろうなって、そう……思いますね」

 俺は、布団の上で殆ど動く事なく静かに──呼吸をしているのかも疑問に思うほど静かに横になる人間を見て、さっきまで温めていたハズの身体が一瞬にして冷えたのを感じてそう零した。


 温泉を出た後、休憩所で身体を休めていたら、宿のご主人と再度話す機会に恵まれた。

 その時の話の流れで『この宿を新聞で宣伝くしてくれるなら』という条件のもと、昏睡状態の若旦那に会わせてくれる事になった。

 そういう流れに持って行ったのは当然俺──ではなく、清輝キヨテル

 清輝キヨテルは人に言って欲しい事を言わせる達人だ。

 時代が時代なら花魁になれそうな手練手管だよ……怖い。

 あ。今気づいた。

 だからここに来る途中、何故か俺が荷物持つ流れになったんだな。……今度清輝キヨテルが何かを持ち掛けてきた時には気をつけなきゃ……


 宿の奥──本来なら客が入っていけない場所の方まで案内されて、通されたのは若旦那の部屋だった。

 窓は開け放たれて、少し心地の良い涼やかな夜風が入ってきてカーテンを揺らしている。

 生活感のある和室で、持ち主が起きなくなってしまったというのに、誰かがちゃんと手入れをしてくれているという事が分かった。

 しかし、どことなく揺蕩たゆたう沈んだ重い空気も同時に感じた。


 若旦那は部屋の真ん中に敷かれた布団に横たわっていた。

 驚く程青白い顔には生気が全くない。一見すると死んでいるかのように見える。

 しかしよく見ると、とてもゆっくりと呼吸をしているのが分かった。

 歳の頃は三十代か。まだまだ病気で倒れるような年齢ではないハズ。

 宿のご主人に聞いてみたけれど、これといった持病も持っていなかったとの事だった。


「失礼しますね」

 清輝キヨテルが、いつも垂れ流しの可愛い子ぶった空気を封じて静かにそう告げる。

 そばにいる宿の主人がゆっくりうなずくのを確認してから、眠る若旦那の首元にそっと手を伸ばした。

「……脈が、とてもゆっくりですね。普通のこれぐらいの男性だと平常時で七十前後。眠っている状態でも六十ぐらいはありますが……今はそれの半分以下ですね」

 平常時の半分以下の脈拍!?

 そんな事って……本当にあるんだ。

 いざ目の前にそういう人がいるというのに、俺はなかなか信じる事ができなかった。

「ちょっと身体を調べさせていただきます」

 若旦那の首元から手を離した清輝キヨテルが、布団をめくってから俺に目配せしてきた。

 それに応じて俺は彼の浴衣を脱がせる。

 清輝キヨテルは至極冷静な顔をしたまま若旦那の身体をまさぐった。腕を持ち上げて隅々まで観察し、それが終わったら足をマジマジと確認する。

 横になった状態で確認できる場所は全て確認できたので、今度は俺が若旦那の身体を転がして背中を露わにさせた。


 全て観察し終わった清輝キヨテルは、静かに若旦那に浴衣を着せて布団をそっとかけてあげると、手をついてクルリと身体を宿の主人の方へと向ける。

 そして深々と頭を下げた。慌てて俺もそれにならう。

「この事件の事はしっかり調べて原因を追究します。また、この宿の事も誠心誠意宣伝させていただきますので。本当にありがとうございました」

 清輝キヨテルは、普段の態度とは全く正反対の途轍とてつもなく誠実な態度で宿の主人に挨拶した。本当は、ちゃんとしっかりした態度が取れる人間なんだよね。……普段はああだけど。


「何か、分かりそうなのかい?」

 今までの態度と全然違う清輝キヨテルの様子に面食らったかのような顔のご主人は、少し心配そうな顔をしていた。

「いえ、特には……。多分鞍馬クラマ先生が普段診ていらっしゃるので、もし病気の類であれば先生がなんとかできたのでしょうけれども」

「そうかい……」

 まるで医者のような手つきだった清輝キヨテルの様子に、何か期待するものを感じてしまったのだろう。清輝キヨテルの返答に、宿の主人はあからさまにガッカリしたような顔をした。

 なんか、こっちの方が申し訳ない気持ちになってきてしまう。


「もし原因が分かるようだったら、必ずお伝えしますからね」


 サラリと流れる真っ黒な長い髪をさっと耳にかけ、清輝キヨテル真摯しんしな瞳で真っすぐに、宿の主人にそう答えた。


 ***


「何か分かった?」

 若狭わかさの湯を出て自分たちの宿に戻る途中にて。

 道をザクザク歩いていく清輝キヨテルの背中にそう問いかけてみた。

 とても晴れていたので、月が眩しい程に輝いている。

 一応宿から提灯を借りていたけれど、それが必要ないぐらい周りは明るかった。


「取り敢えず、病気の類じゃない事は分かったよ。どこにも傷はないしあざもない。腫れたりただれたりもしてなかった。

 そもそも病気だったら、特に何もしていないのに一年近くあの状態がずっと保たれるのはオカシイしね」

 清輝キヨテルの声はいつもの可愛い子ぶったものではなく、むしろ冷たさを感じさせるほど低く落ち着いたものだった。

「……もしかして、怒ってる?」

 俺は、感じたままをついつい口から漏らしてしまう。

 その瞬間、前を歩いていた清輝キヨテルが突然ピタリと止まった。

 前触れもなかったので危うくぶつかりそうになってしまい、慌てて横に避ける。

 避けた瞬間、清輝キヨテルの顔が見えた。


 能面のような顔をしていた。


 ……悲鳴あげるかと思った。俺が。

「怒ってるよ。これ、間違いなく異能者の仕業じゃん」

 その場に立ち尽くす清輝キヨテルが、腕が震える程こぶしを握りしめている事に気が付いた。

 あ……そうか。

清輝キヨテル……」

 俺は彼の手をそっと取ってその拳を優しく解いてあげる。

 爪が、彼の皮膚に食い込んで皮下出血を起こしていた。

「俺が、必ず見つけるから。大丈夫だよ」

 爪痕つめあとをゆっくり撫でて上げると、清輝キヨテルが泣きそうな顔で俺の事を見つめてきた。

「ホントに……?」

 そう呟く清輝キヨテルのクリクリの大きな瞳に、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。手が震えていた。


 清輝キヨテルの家族は、異能者に殺されたのだ。

 それがキッカケで組織に保護され、そして一員として働くに至った経緯がある。

 清輝キヨテルは、異能者たち──俺たちと一緒に働きつつも、同時に異能者を酷く憎んでもいた。


「うん。絶対に」

 俺は、震える清輝キヨテルの手を強くギュッと握りこんで、心からそう固く彼に誓った。

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