第七話 エピソードタイトル未定[0.2版]

「ああ、そんな事もありましたね」

 乾いた泥湿布を剥がして患部を見つつ、鞍馬クラマ先生がそうポツリと呟く。

 往診が終わった鞍馬クラマ先生と千歳チトセさんが休憩所まで来てくれて、俺の怪我の様子を確認いてくれていた。

 丁度良いタイミングだったので、さっき宿のご主人に聞いた話を当の本人に確認してみたところ、そんな素っ気ない感じの返事が返って来た。


「それほどの事ではありませんよ」

 そう謙遜けんそんする鞍馬クラマ先生の言葉を

「いやぁ先生様々だよっ! あとは、千歳チトセちゃんのなっ!!」

 脇に座るこの宿のご主人が腕をブンブン振って否定した。


「いえアタシは、ただ自分ができる事をしただけだから……」

 少し困った笑顔でそう言うのは千歳チトセさん。大きな診療鞄から色々取り出し、泥湿布を作ってくれていた。

「いやいや、千歳チトセちゃんのお蔭だって! それこそ昼夜問わず世話してくれたのは千歳チトセちゃんだからな! 俺は千歳チトセちゃんに救われたんだよ!」

 嬉しそうにそう話すご主人。

 俺は今治療を受けている最中だからメモは取れなかった為、忘れないようにご主人の話を記憶しようと集中──

「あ痛ッ!!」

「ああ、申し訳ないです」

 患部を確認する先生の指がグイっとメリ込んだ為、その突然の痛みに思わず声をあげてしまう。

 先生は謝りつつも患部のまわりを少し押しつつ様子を見てから、サッと身を引いた。


「そんな奇跡のお医者様がいる温泉地なんて! 湯治とうじに来る人達も沢山いるでしょ!? なんでここは爆発的に有名になってないのかな?」

 俺の後ろの方にいる清輝キヨテルから、歓喜の声と同時にそんな疑問があがる。

 そういえば確かに。そんな大怪我が直せる医者のいる温泉。噂になって人が殺到しそうもんなのに。

「まぁ、先生が来てくれたのは三年前ぐらいからだったしな……でもだからこそだよ! 有名になるのはこれからなんだ! その為にウチも名前を変えたんだからなっ!!」

 えっへん、という声が聞こえて来そうなぐらい胸を張る宿のご主人。

 ん? どういう事?

「名前って、『白根しらね湯』をわざわざ『若狭わかさの湯』て変えた事? そういえばなんで名前変えたの?」

 清輝キヨテルがすかざず更に話を掘り下げる。

「そりゃな! ここの温泉には『若返りの効能』があるからだよっ!! その効能にあやかって『若狭わかさの湯』って名前にしたんだ!」

 若返り!?

 なんか、ここに来て色んな話が出てきたぞ??

 ヤバい、なんか頭爆発しそう。俺あんま記憶力良くないから混乱する……

「若返りッ!?」

 この言葉に、食いついたのは俺だけではなかった。

 清輝キヨテルだ。

「どういう事どういう事っ!? 温泉に入ると若返るのっ!?」

 さっきまで俺の後ろで宿のご主人と距離をとっていたのに、ズズズイっと器用に正座のまま前に滑り込んで来て、キラキラした目でご主人を見上げていた。

「キヨ──……き、キヨちゃん? 若返るって言ったって、キヨちゃんには必要ないんじゃないかな……?」

 人前では清輝キヨテルをキヨちゃんって呼ばないと、指全部へし折るって本人から笑顔で言われたから頑張ってそう呼んだけど、自分の中での違和感が凄い。

「馬鹿八雲ヤクモッ!! 若さっていうのはねっ! 知らない間にどんどんなくなっていくものっ! 多少の維持はできても戻す事はできないのっ!! 皺くちゃになってから嘆いても意味ないんだからねっ! 若い時からのたゆまぬ努力が必要なのっ!! ボクがこの珠のお肌を維持するのにどれだけ努力してるか知らないんでしょっ!! これだから八雲ヤクモ野暮やぼだって言うのっ!! 八雲ヤクモ野暮やぼ! 壱岐イキって苗字の音もなんか身分不相応ッ!! いっそ野暮やぼ八雲ヤクモって改名したらっ!?」

 ……百倍返しくらった……

「ははっ! 嬢ちゃんは面白なっ!」

 宿の主人がガハハと笑う。笑いごとじゃないよ……

「まあ、若返り云々は置いとくとして。温泉に浸かる事は悪い事じゃないよ。血行が良くなって傷の治りも良くなるし」

 さっき俺から外した包帯を巻き直している千歳チトセさんが、柔らかい笑顔で俺の顔を見ていた。やっぱり可愛い。

 そんな千歳チトセさんの言葉を受けて、清輝キヨテルがぴょいっと立ち上がった。

「じゃあ入ろう! 早速今入って来よう! 野暮やぼ八雲ヤクモ行くよっ!! ……なんか名前の語呂悪いー」

 清輝キヨテルが勝手にそう改名したんじゃないか……

「温泉に入るのは構いませんが、身体を温めると痛みが増しますからね。それだけは気を付けるように」

 さっき身を引いて少し離れた場所に座っていた先生が、ゆっくり立ち上がりながらそう忠告してきてくれた。

 確かに。気を付けないと……

「貼り替え用の泥湿布はここに置いておくからね。温泉からあがったらすぐ貼ってね」

 鞍馬クラマ先生にうながされた千歳チトセさんが、さっきまで作っていた泥湿布と巻き終わった包帯を、そっと俺に手渡してくれた。


 宿から出ていく二人の背中を見送る。

 清輝キヨテルは宿のご主人と若返りの湯についてキャイキャイと話し込んでいた。

 俺は、手渡された泥湿布に視線を落としつつ、今聞いた情報で混乱する脳味噌を、なんとか落ち着かせようと静かに藻掻もがきまくっていた。

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