第四話 エピソードタイトル未定[0.3版]

 ツンとする刺激臭で一気に意識が覚醒する。


 瞬間、目の前にかざされた何かを反射的にガシッと掴んだ。


「ひゃあ!」

 その驚きの声と共に、俺の顔に冷たい何かがペシャリと落っこちてきた。

 慌てて身体を起こすとそこには──


 俺に腕を掴まれつつ身を引く女の子と、その隣に立つ男性。そして、それを少し離れたところでニヤニヤ見る清輝キヨテルの姿があった。


 驚いて大急ぎで辺りを見回すと、そこは石油ランプで薄暗く照らされた洋風な部屋の中。

 俺の上の顔に降って来た冷たいものは……泥湿布だった。

 俺が腕を掴んでいる女の子が手に包帯のようなものを持っているところを見ると……俺、治療されてたのかな……?


「大丈夫だよ。ここは診療所。アタシは手伝いの千歳チトセ。貴方は村の入り口で倒れたから、ここに担ぎ込まれて来たんだよ」

 子供を諭すかのようなそんな落ち着いた優しい声とともに、腕を掴む俺の手を女の子──千歳チトセさんはポンポンと軽く叩く。そして、緊張する俺の手に、水仕事か何かで少し荒れた手をそっと添えてくれた。

 その手から順に視線を這わせ、彼女の顔を見ると──可愛かった。可愛かった。可愛かった。

 白い割烹着に身を包み、頭には手ぬぐいを巻いている。

 少し気の強そうな眉毛にランプのオレンジの光を反射して輝く猫目が可愛い。化粧っ気のない肌で少し幼く見えるが、年の頃は俺と同じか少し下ぐらいの十代後半ってところか。兎に角可愛い。可愛さの押し売りみたいな清輝キヨテルと違って、素朴で本当に可愛らしい。


 千歳チトセさんの顔に見惚れてしまった為か、彼女が小首を傾げて俺の顔を覗き込んでくる。

「ごごごごごごごめんなさい!」

 俺は慌てて彼女から手を放した。

 終始ニヤニヤこちらを見る清輝キヨテルの視線が痛い。こっち見ないで。見ないでください。ヤメてどんな羞恥プレイ?


「意外と元気そうで良かった」

 俺の胸元までズリ落ちた泥湿布を拾い上げると、千歳チトセさんは俺のこめかみあたりにペタリと張る。そして器用に包帯でクルクル巻いていった。

 それが終わるのを待ってから、彼女の横にいた男性が口を開く。

「こんな怪我どうしたんですか? 全身打ち身だらけですけれど」

 白衣を着たその男性は、清輝キヨテルの方をチラリと見てから俺の顔を見た。

「ここに来る途中に物取りに遭いまして……なんとか命からがら撃退したんですが……」

 まさか、清輝キヨテルの方が撃退したんです、と言ったところで信じて貰えないし言うのも若干はばかられた為、そう濁す。

 清輝キヨテルの顔がより一層邪悪に歪んだ気がするけど……見てないフリ。


 清輝キヨテルに背を向けている為それには気づかない白衣の男性が、俺の言葉に驚いた顔をした。

「物取りですか?! そうですか……最近旅行者が時々襲われる事が起こってましたが、また……駐在さんに報告しておきましょう」

 頭をカリカリ掻きながら、彼は眉根を寄せた。


 ……そっか。

 ここは診療所だから、物取りとかに遭ってしまった人が時々来るのかも。


「じゃあ貴方は女の子を守って傷だらけになったんだね。偉い!」

 全ての手当が終わったのか、周りを片付けながら千歳チトセさんがそう、快活に笑った。

 笑顔も可愛い。

 その言葉に気を良くして少しだけ胸をはると──清輝キヨテルエグるかのような鋭い視線が突き刺さった。

 ……いいじゃん。嘘じゃないんだし。……いや、守ろうとはしなかったけどさ。


「入院の必要はなさそうだけれど、宿はもう取ってあるのかい?」

 白衣の男性にそう尋ねられ、俺はうーんと首を捻る。

 宿は取ってない。もっと早くに到着するつもりだったし、それから取ればいいかと思って。もし部屋がなくっても俺は別に野宿は平気だし気にしないし。

 ……まぁ、清輝キヨテルからの文句は凄まじく貰いそうだけれども……

「もし良ければ今日はここに泊まって──」

「大丈夫ですお構いなくー!」

 男性の言葉を、清輝キヨテルがピシャリと遮る。

 そして、俺のところまで素早く移動してくると、俺の腕を取って無理やり立たせようとしてきた。

「痛っ! 痛いよキヨテ──」

「んもう! いつもみたいにキヨちゃんって呼んで♡」

 え……それは勘弁。

 しかし、俺が言い募ろうと口を開いた瞬間、その口をガバリと手で塞いできた。

 ……清輝キヨテルの手……硝煙臭い……


折角せっかくの温泉地ですしー。ゆっくり温泉に浸かりたいので♪ あ、治療ありがとうございました! お代はここに置いておきますねー! ありがとうございましたー!!」

 誰にも口を挟まれないように、清輝キヨテルは怒涛の勢いでそうまくしたてると、無理やり俺の腕を引っ張ってその部屋を後にした。


 建物を出て暫くすると、清輝キヨテルは俺の腕を投げ捨てる。

「もう! 危うくあの男の口車に乗りそうになっちゃってさ! 温泉地だよ?! 宿がいい! 温泉入りたい! 埃と硝煙の匂いを洗い流したいっ!!」

 両腕をぶんぶんと振ってそう主張する清輝キヨテル

「え? そんな我儘で助けてくれた人たちにあんな失礼な態度取ったの!? それってちょっと酷くない?」

「ワガママじゃないもん! 当たり前でしょ?!」

「当たり前じゃ──」

「やだやだやだ!! 温泉に入るのっ!! さっさと行って宿取ってきてよっ!!」

 怪我人に酷くない? 普通に酷くない?? 俺まだ歩くのもちょっと辛いんですけど???

「そんなの……俺が気を失ってる間に行けば良かったのに」

「えー?! 一人で行動しろっての?! 馬鹿なの八雲ヤクモっ?!」

「直球……」

「だって馬鹿じゃん! ボク達が何しにここに来たのか忘れたのっ?!」

 清輝キヨテルのその一言で、俺はハタと気がついた。


 そうだった。

 俺たちは、ここに事件の調査に来たんだ。


「ほーら! 八雲ヤクモ馬鹿じゃん! そんな事にもすぐ気がつかないでさっ! 事件の内容すら分からないんじゃ、何が危険なのかも分からないんだよ?! そんな所でボクに一人になれって?! バーカ! バーカ!! バーーーーカ!!!」

「……言い過ぎじゃない……?」

 確かに。俺が浅慮せんりょだった……

 何が起こるか分からない場所で一人で行動するのは危険すぎるし。

 それに、清輝キヨテルはこう言っているが、多分気絶していた俺を一人にしないように見張っててくれたんだ。

 ……意外と優しい所、あるんだな。

「これだから馬鹿は嫌い! ホラ! サッサと宿まで走って!!」

 ……前言撤回。全然優しくない。

 そうだよ。別にあの診療所に泊まったって良かったのに。温泉にはすぐに入れなくても、怪我の様子を見て貰えるし。

 あの子──千歳チトセさんいるし。


 しかし。

 出てきてしまったものはしょうがないか……


 俺は、清輝キヨテルに催促されるがまま、しかし身体中が痛くて走る事もままならず、ヒョコヒョコとした足取りで温泉宿まで走らされるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る